魔女を嫌いな国8
王はこの国ではいつも怒っている。
フェルアドール・ナインセアは、ひとつため息をついた。
どちらの王様ですかって、フェルアドールの王、ヴァロイス・エルサート・アスキロスである。
「フェル」と短い音で呼ぶ王は、自身のことも「ヴァイス」と気安く呼ぶことを好む。無論、誰にでもってわけじゃあないが、少なくともフェルにはそうであった。
二人が出会ったのはそれなりに昔。
ヴァロイス王子が世間に「愚かな王子」と嗤われていたころで、フェルはまさか自分の隣で酒をかっくらう荒くれ者がその王子だなんてちっとも思いやしなかった。
まあ荒くれ者って言い切るには、品が良いなあとか場慣れしてんなあとか、思うところは色々あったし、時間を共にするにつれて「おや」「もしかして」というヒントは転がってきたけれども。
いや、あれは手のひらの上に乗せられたのだ。
丁寧に丁寧に、一つずつ。
さあお前はどうする? とにんまり嫌な笑顔で。
それをわかっていてヒントを懐にしまったのはフェルだし、最終的に王の選定者の道を選んだのもフェルだ。
だって、思っちゃったんだもの。
性格も口も悪いくせにお人好しな、善性を足の裏に隠しているようなこの男が王になった国を見てみたいなって。
思ったらしゃあないよね。
フェルには知力があった。武力もあった。ついでに好奇心も。もりもりと。
そんなわけで、フェルは剣と金を握りしめて走り回り、同士を集め、わっるい貴族を追い込み、賛同してくれる貴族を囲い込んだ。
血なまぐさいったらありゃしない日々は、けれどもそれなりに充実していた。やらねばならんと燃えている時が一番活き活きとする。どうやら、フェルはそういう人間であるらしかった。
存外、喧嘩っぱやいよね君、とゆるく笑ったのは宰相の地位についた男だ。
眼鏡の奥から隙のない瞳を覗かせて「だから陛下と合うのかな」と肩を竦める。「苦労が二倍だよ僕」と嘯く男こそ、就任後に反対勢力を活き活きと血祭りにあげていたので、つまりはまあそういう集団こそが「簒奪王」ヴァロイス国王陛下の治世の象徴といってもいいのではないかとフェルは思うわけである。
そんな愉快な一団にある日、一通のお手紙が届いたことが、全ての始まりだ。
ヴァロイスが父王を王座から斬り落とし王冠を手にした瞬間「内乱で弱ってる今がチャーンス!」と叫んだ周辺諸国を返り討ちにし続け、ついでに前から仲が悪かった国にも攻め入って、「簒奪王」の名がすっかり馴染んだ頃であった。
それまで静かにしていた隣国から「和平を結んでやらんこともないから来いや蛮人」みたいなお手紙がやってきたのだ。
これに王は「ぶん殴るか」と腰を上げたし、フェルは「落ち着いてください!」と一応は宥めつつ軍の編成を考えた。
手紙の差出人は、小国でありながらも世界で三本の指に入るだろうって魔法大国だ。魔法石の輸出国としては世界一といっても過言ではないほど魔法が発展している。
それもそのはず。国には魔道士しか住んでいないらしい。
魔法を使うことが当たり前な、そんな国に代々魔道士嫌いの王が収めていた国が勝利することは容易ではない。ヴァイスの手によって急速に魔道士の育成が進められているが、まだまだ始めたばかりの取り組み。いかんせん、魔道士の数が少なすぎるのだ。
魔法こそ史上! と声高々な連中とやり合うには、編成に一捻りどころか雑巾絞りくらい捻らにゃ、ボロ雑巾と成り果てちまう。
そんなわけで、正面からやり合うには分が悪かろうと諭す宰相ジェイコスに二人は頷き、ヴァイスは和平の提案に応じることにした。わけだけど。
相手は、迷い込んだ冒険者や文化が合わず国を捨てた魔道士に「高飛車なクソみたいな国」と言わしめる御大層なお国だ。素直に「仲良くしようね」なあんてお約束をしてくれるわけがない。そもそも手紙で喧嘩売ってきてるわけだし。
「和平とは名ばかり、って魂胆があるのは明らかですよね」
「そうだねえ。うちも得をさせてもらわないと。どうします、陛下」
「そうだな……和平の証に……」
ヴァイスは、にやりと底意地悪く笑い、顎を撫でた。
「魔道士を一人もらうか」
そのお姿は山賊か魔王のお手本かってぐあいであったが、こちとら簒奪王一派である。フェルとジェイコスは一も二もなく頷いた。
それからすぐだ。ほんの数分後。ヴァイスは行動を開始した。
単身、魔法使いの国に乗り込もうとしたのである。
馬鹿か。いや、馬鹿なら良かった。頭が回るもんだから、城の警備を掻い潜るなんてわきゃない。どうせじっとしてらんねぇだろなって思って先回りしてなけりゃあ、フェルは置いていかれていただろう。
「相手は魔法が使えない人間を人とも思っていないと評判の国だってわかってるんですかねぇ」
「バレなきゃいーんだよ。俺がそういうこと得意なのは知ってんだろ」
身分を隠して旅をした経験のある王の心臓は鋼仕様であった。いらねぇわこの豪胆さ。
「あの国のことは噂話しか知らねぇからな。せめて、欲しい魔道士の目星はつけておきてぇ」
「そういうことは末端の仕事だと何度申し上げればわかっていただけるのかしら我が王は」
「俺が自分の欲しいものしかいらねぇ主義だっていつになったらわかるんだお前は。ああ、三歩で首傾げるっけな」
「誰が鳥頭だ!」
「あれだろ、三歩目で『なんで歩いてたんだっけ』つって」
「はいはいはいはい歩いたら忘れますからねなんでここにいんだろこいつってアンタ担いで城に戻ってやりましょうかね!」
「そう言いながら俺の馬の旅支度をとっくに済ませてんだもんなあ。お前のそういうとこが良いんだ」
「はいはい扱いやすい部下で良かったですね」
ヴァイスがお馬鹿で傍若無人な我儘野郎だったら、どんなに平和だっただろう。
「馬鹿言え。流石、俺の相棒だつってんだよ」
「ぐっ」
たやすく人の掌に自分の心を乗っけやがるもんだから、フェルの人生は荒れ狂う波の如く愉快なモンになっちまった。
それを後悔した記憶は、笑っちまうことにどこを探しても見当たらない。
だから、「街の隅に変わり者だが凄腕の魔道士がいる」と聞いて訪れた小さな民家で、その魔法使いから一人の少女の話を聞いたとき。
フェルは怒りを覚えると同時に、未来を予見した。
王はきっとその少女を捨て置けないだろうと。
その魔法使いははじめ、ドアを叩いた見知らぬ訪問者を見て嫌な顔をした。
「テレーゼ殿だろうか」
「……どなた」
「国の外れから来た。腕の良い魔道士を探しているんだが、貴女の評判を聞いてね。少し話をさせてもらえないだろうか」
しばらくじっと黙っていたテレーゼは、す、と小さく息を吸った。
まるで何か、大きな覚悟を決めるようなその仕草に「おや」とフェルが眉を上げると、テレーゼは扉を大きく開ける。
「……お入りください」
「どうも」
二人が室内に入ると、テレーゼはブツブツと詠唱を紡ぎ杖を振った。すると、ガチャリと硬い音が室内に響く。
「魔法を?」
「お二人を害するものではありません。全ての出入り口の鍵をかけて……外に会話と魔力が漏れないように、少し」
いやいやそれって俺達を逃さないようにとも取れるんですけど。
フェルは思ったが、ヴァイスが口に出さないので堪える。なんぞ言ってくれればいいのに、泰然としてまあお行儀の良いこと。
「どうぞ」
おまけに、出されたティーカップに簡単に口をつけやがる。止める間もありゃしない。
フェルは内心、ため息を付いた。おまえほんとそういうとこさあ! と嫌味を言いたいのは山々であったが、言ったところで王の性根は変わらぬし、そういうところを悔しいが好いてもいる。
何より。
「……わたくしが毒を盛っているかも、とは思われぬのですか」
「なぜ? テレーゼ殿が、俺はこの国の人間ではないと見抜いておられるから?」
「この国の人間が、外の国の人間を嫌っていることはご存知でしょう」
「ああ。わざわざ招き入れて殺すほどの価値を感じていないこともな。……俺と話をしたいと思ってくれた貴殿の心を信じたい」
「……口が上手いのね」
フェルは、ヴァイスの人を見る目とタラシの才能を、それこそ信じていた。
だからフェルはフードを取って椅子に座る。
ヴァイスもフードを取ると、テレーゼもまた、ため息を付いてフードを取った。
この国特有の金色の瞳と、かつては同じように黄金であったのだろう白髪は、どこか淋しい色をしている。深い皺とともに刻まれた過去が滲むような佇まいであった。
「どちらの国から、と聞いて答えていただけるのかしら」
「隣国から」
「そう」
聞いたわりに興味がなさそうに頷くと、テレーゼは顔を上げた。
「一つ忠告しておきます。髪と目の色を変えるだけでは、変装といえませんよ。この国の人間は『腕の良い魔道士を探す』なんてしません。自分こそが誰よりも腕の良い魔道士だと思っているのですから」
「らしいな」
「……カマを掛けたのですか」
に、とヴァイスは嫌な笑顔を浮かべた。
「この国に迷い込んだ冒険者から話を聞いたことがあってな。街の隅に妙に品が良い魔法使いが住んでいて、その魔法使いだけが薬を売ってくれたおかげで死なずにすんだと」
「わたくしがその魔法使いなら敵意を向けられることはないだろうと?」
「貴殿がどういう人物なのか知りたかった。礼を欠いて申し訳ない」
大人しく頭を下げるヴァイスに倣ってフェルも頭を下げると、テレーゼは小さく笑ったようだった。
「頭を上げてください」
テレーゼの口角は、ぎこちなく上がっている。笑い方を忘れたような、そんな物悲しい表情だった。
「試される価値など、わたくしにはありませんよ」
そりゃ怒るよねえ、と思ったフェルが眉を下げると、テレーゼは「勘違いなさらないでね」と髪を耳にかけた。
「怒っているわけではないのです。言葉以上の意味はありません。……わたくしは、とても罪深い、ただ時間を食いつぶしているだけの屍にすぎないのですよ」
魔法道具だろうか。大ぶりのピアスが窓からの光を鈍く反射するのを、フェルはなんとなく見つめる。
「テレーゼ殿が食うのはそこにある小麦や野菜だろう。こうして動いて喋っている以上、屍には思えんな」
ふ、とテレーゼは息を吐いた。ため息か、笑っているのか、判断がつかない浅い呼吸。
「生きるとは、なんでしょう」
疲れたように、ぽつん、とテレーゼはつぶやいた。
「食べて、寝て、起きて、動いていれば、生きているのかしら」
迷い子のような、心もとない響きを、ヴァイスはフン、と蹴散らして笑う。
「生きている」
精気のない顔を上げるテレーゼに、ヴァイスはことさらはっきりと、力強く言った。
「生きている」
それは、生きろ、と言っているようだった。
顔を上げて、目を開けて、お前が言う意味で生きてみせろと。まるで無理やり腕を掴んで立たせるような乱暴さだ。
それでも、テレーゼはくたりと笑った。
「そう……そうね……」
諦めたような、やっぱり笑い方を忘れたような、そんな顔だったけれど。
「わたくしは、生きている」
ヴァイスのたった一言で、彼女の「何か」が払拭されることはない。けれども、「何か」を決意させるには十分だったのだろう。
テレーゼは、ヴァイスの瞳を見返した。
「魔法使いをこの国から連れていきたいのですね」
「ああ」
それならば、とテレーゼは手を伸ばす。
相手は魔法使いだ。王に伸びるその手を掴むことが正しいとフェルはわかっていたが、身動ぎしないヴァイスの目を信じてじっと見守る。
果たして。
テレーゼは、ヴァイスの手を握り、涙をこぼした。
「どうか、ルナティエッタ様をお救いください」




