魔女を嫌いな国6
いや、そんなわけない。
風? ないない。
城壁はとっても丈夫で、どんな日でも平然としていた。この部屋で、風なんて、吹くわけがない。ルナティエッタが魔法を使わない限り、この部屋はただここに在るだけだ。
ただ、ルナティエッタの心がひどく騒がしいだけ。
男はなんと言った?
俺と来い??
ふむふむ。あるわけなーい。聞き間違いだな。ルナティエッタったら、会話が久しぶりすぎてお耳がおかしいみたい。
「俺と来るより、冷たい床で寝る方がマシってわけじゃねーだろ」
おっっっと。え。あれ。聞き間違いじゃないらしい?
わけがわからんまんま、ルナティエッタは男の言葉に首を振った。
「なんで」
なんでって。どストレートにぶん投げられる言葉に、ルナティエッタは首を傾げる。
「それこそ、なんで、です」
「まあ、そりゃ会ったばっかの野郎にいきなり言われちゃ、警戒するか」
そういうことではなく。いや、そういうことなんだろうか?
わからない。わからんが、ルナティエッタはとりあえず頷いた。
「私のことを知らないでしょう、あなた」
あれ?
ルナティエッタ自身が聞いたことのない響きで言葉が飛び出していった。どこか男を責めるような響きになってしまったのに、男はカラカラと笑う。
「知らねぇな。お前、おもしれぇのに、なんでこんなおもしろくねぇ所で、おとなしくしてやってんだよ」
「おもしろい」
おもしろい? おもしろいってなんだっけ。え、ルナティエッタの何が。どこが。まさかルナティエッタの顔か? 顔なのか? そんな人の興味を引ける顔だったろうか。わからない。なにせここには、鏡すらない。
「おもしろいよお前」
また言った。
パチパチと瞬きするルナティエッタに、男は不機嫌そうに眉間に皺を刻む。
「こんな所にいなきゃなんねーようなこと、本当にお前がやったのかよ」
はは、すごいな。どこまでもどストレート。ずどん! 心の臓の真ん中で音がするような、巨大な魔力を真正面からぶん投げられたような、そんな気持ち。心が、めちゃくちゃになる。
──ルナティエッタは、ゆっくりと瞬きした。
「私は」
忘れてはいけない。
男の言う「こんな所にいなきゃなんねーようなこと」が、どんなことなのかルナティエッタは想像もつかないが、ルナティエッタの罪はきっと、数え切れないほどにある。どっから数えりゃいいのかわからんぐらいに。両の手両の足を使っても足りぬぐらいに。
それと同じくらいに、ルナティエッタには責任がある。だから、こんな痛みなんざなんでもない。だって、ね。
「私はここで生きて死ぬんです。この国のために」
これは、生まれた瞬間から決まっていたこと。
ルナティエッタたちが、決めたこと。
「私自身のために」
──自分たちのために。
「……お前」
男は、フン、と鼻を鳴らした。
それから、偉そうに顎を上げる。
「やっぱ俺と来い」
「……話聞いてましたか」
「っせーな、聞いてるよ。だからなんだ。俺はな、欲しいと思ったモンは納得するまで欲しいと叫ぶ主義だ。俺を諦めさせたきゃ、もっとちゃんと説得してみろよ」
「え、ええ……」
なんだこの大人。
ルナティエッタが知る「会話にならない」虚無感とはまた違う「会話にならない」徒労感。ルナティエッタ、初めての体験に成す術無し。
うろたえるルナティエッタに、男は「ふざけんなよ」と苛立ったように続けた。
「外じゃ、お前の顔も声も思想も決意も知らねぇ連中が、当たり前の顔でお前を踏みつけて生きてんだぞ」
それは雷轟のような鋭さで。
「お前が、お前ってだけで」
ルナティエッタを貫いていく。
「他人に刷り込まれた言葉で決めちまっていいのかよ」
息が止まるような、ああ、心臓を止めるような、なんて、なんて恐ろしいひとだろう。
罵るでもなく、首を絞めるでもなく、たやすくルナティエッタの心臓を握るその眼差しが、言葉が、ルナティエッタは怖くてたまらない。
「……いじわるですね」
知られたくなかった気がする、なんて。わらっちゃう。
「知ってるじゃないですか、私のこと」
「知らねぇよ」
恐ろしい。
男は、ルナティエッタを、ルナティエッタじゃないものにする。
「教えろよ」
何を?
何を言えというのだろう。
ルナティエッタには何もない。罪と責任だけを抱えて生きている。なぜ? どうして? 知らない知らない知らない。懐疑などあってはならない。なぜって、だって、そんなもんは、ルナティエッタを惨めにするだけだ。だから決めたのだ。とおいとおいずっと、ずっと昔に。ルナティエッタたちは決めたのだ。
それは約束で、誓いで、誇りで、ルナティエッタのすべてだ。
──なんて、なんて恐ろしい男だろう。
目を閉じてうずくまっていたルナティエッタの目をこじ開けて、それで? 立ち上がれないルナティエッタを見て、何を思う。何を言うつもりだ。
ルナティエッタに魔女の死体を並べさせて、そこに何が在るという。
す、とルナティエッタは息を吐いた。
「魔法使いが欲しいなら、テレーゼという魔法使いを探してください。彼女の腕はたしかです」
男の顔は、見られなかった。
あの眼差しにもう一度射抜かれれば、ルナティエッタはその瞬間にルナティエッタじゃない何かに成り下がっちまう。はて、ルナティエッタじゃない何かってなんだろう? なあんて。くっだらない。ありもしない、そんなこと。考えるだけで恐ろしい。
だって、そんな、ねえ。今度こそ、ルナティエッタは国を殺してしまうかもしれないではないか。
そんなことは嫌だ。そんなことは、誰も、誰一人として、願ったことはない。
だから、ルナティエッタは、
「うっせぇーわ指図すんなボケ!」
ぼかん! と頭を殴るような声に、ルナティエッタは瞬きをする。
ボケ。ボケ? ボケって、えっと。悪口だったはず。たしか。ルナティエッタは、そんなシンプルな悪口、言われたことないけど。「口の悪い魔女」がたしかそんな言葉を使っていた。
恐れなんぞどっかに行っちまって、パチンパチンと瞬きしたルナティエッタは顔を上げる。
男は立ち上がり、ローブの埃を払いながらさらに怒鳴った。
「追い払おうとしたって無駄だわ明日も来るからなテメェ!」
「あ、明日は多分、嵐が来ます! お部屋でじっとしていたほうが良いです!」
つられて大きな声を出したルナティエッタに、男は「あ?」と怪訝そうな声を上げた。
「なんでわかんだよ。最近はずっと晴れてるだろ」
「……外は見えませんが」
は、と男は目を見開く。何を思ったのかルナティエッタにはわからない、やっぱり綺麗な瞳に、ルナティエッタは目を閉じた。
「音がするんです」
ざわざわ、びゅうびゅう、ごうごう。
渦を巻いて吹き荒れる音に、心が連れて行かれないようにルナティエッタは祈る。祈る。
「魔導力が騒ぐ、嵐の音」
どうかただ静かに過ぎ去って。
ルナティエッタの、知らない、遠いところで。