魔女を嫌いな国2
「おい、あれ……」
「馬鹿やめろ見るな」
なんぞコソコソ言われとんなってことはルネッタだってわかったけれど、まあこの国じゃこんなもんだろなって話なのでルネッタは気にもしちゃいないが、
「なんですかアレ」
「殴ってこよっかな」
トゥレラージュとシャオユンがピリピリし始めた。
チラチラコソコソピリピリ。楽しいお散歩とはかけ離れた空気に、ルネッタは肩を竦める。
「いいです。べつに」
「べつにってルネッタ」
「この国は私達のことが怖いんです」
「怖い?」
「あ」
ふよん、と空を飛んでいる魔法石を見つけたルネッタは、とてとてと駆け寄る。軽く魔力を流しながら手を伸ばすと、赤い魔法石はふよふよとルネッタの手に下りてきた。手のひらにぽっかり乗るサイズの水晶玉をルネッタはくるりと回転させて観察する。うむ。異変はないようだ。
「これが国を出るときに監視用に飛ばしておいた魔法石です。声を飛ばす魔法石を応用して、魔法石に映ったものをそのまま確認用の魔法石に飛ばしています。これも大気中にある魔力を動力としているのですが、転移の魔法陣に使った術式と比べると」
「ルネッタルネッタ」
「はい」
説明を止めたトゥレラージュは、眉を下げて笑っている。うーん、と困ったように頬を掻くので、ルネッタは首を傾げた。はて。
「私の説明、わかりづらいですか」
「いや、そういうことでなくて。えーと」
「ルナティエッタ様」
「はい」
今度はシャオユンがルネッタを呼ぶ。トゥレラージュと同じく眉を下げた顔は頼りなく、いつもの静けさがない。ちょっとやそっとじゃ動じない我が道を行くクールさそこそが、シャオユンの完璧な魔力コントロールの秘訣のはずなのに。
「その、やはり、俺は邪魔でしょうか」
「?」
邪魔? シャオユンが?? 邪魔?? なぜ??
まるでわからん。わからなすぎて思いっきり首を傾げたルネッタに、「は!」とトゥレラージュが声を上げた。
「!」
突然の大きな声に、驚いたルネッタがぴょんと跳ねると「びっくりさせてごめん」とトゥレラージュは笑うが、その顔は複雑そうである。え、なんで?? いよいよもって何が起きているのかさっぱりとわからんルネッタは、ぎゅっと眉を寄せる。
「あー、あのさ、ルネッタ」
ちょいちょいとルネッタの眉と眉の間をつつきながら、トゥレラージュは笑った。
「シャオユンが一緒に来たのは、魔法石じゃなくてルネッタの話を聞きたいからだよ」
「え」
「え」
「え?」
「えぇ……」
ルネッタと目が合ったシャオユンは頭を抱えて呻いた。え、ええ……? 吐き出される声の疲労感はルネッタのせいってこと? え? まじで。あわわわと見上げるルネッタに、シャオユンは髪をかきあげて溜息をついた。はあああああ、ってふっかいやつ。大丈夫かな酸欠になんないかなって心配になるやつ。え、これがルネッタのせい???
「ごめんなさい」
思わず反射で謝ると、シャオユンは「おやめください」と力なく言った。
「不甲斐なさに落ち込みそうなだけなので、どうかお気になさらないでください」
不甲斐ないって、ルネッタのせいじゃないって、んじゃこのわずかな間に何があったというのだろう。常に冷静でマイペース、紡ぎ出す魔法は流れる水のように麗しいシャオユンを、ここまで動揺させる事など、ちいちゃな脳みそのルネッタには見当もつかない。
「?? シャオユンはすごいひとです」
「あ゛ーーーーー」
「!」
何がなんだかすこっしもわからんが、シャオユンが素晴らしい道士であることを伝えたくて、ルネッタは拳を握る。その瞬間、シャオユンはさらに項垂れたけれど。
黒い髪をわしゃわしゃと乱すシャオユンなんて初めて見たルネッタは、そらもうたまげてトゥレラージュを見上げる。どうしよう! と困り果てたルネッタに気付いたトゥレラージュは笑いながらルネッタの頭を撫でた。
「ルネッタ、シャオユンもルネッタの話を聞いて良いんだよね?」
「おもしろくないですよ?」
「そっかー、おもしろくないのかあ」
「楽しくもないです」
「楽しくもないのかあ」
あはは、と笑うトゥレラージュの顔はとっても綺麗。街で見かけた絵本に描かれていた王子様みたい、なのに。うーん、なぜかしら。黒い。黒いんだよなあ。おっかない空気がこう、ずもももっと漂っているんだな。いったいこれは。
「おにいちゃん?」
クエスチョンマークがお手々繋いで輪になって愉快にダンスするまま兄を呼べば、長い指がまた頭を撫でる。
「ねえルネッタ」
「はい」
くりん、と巻かれた髪に指をすべらせて、トゥレラージュは目を細めた。
「おもしろくも楽しくもない話を、したくないなら無理しなくて良いよ」
優しい言葉は、優しい響きで、ルネッタの記憶を撫でた。
「……あなたを知りたいと思うのは、俺達の我儘ですから」
知ってどうするんだろうなあとルネッタは思う。
ひんやりとした部屋の中で、触れることのできない小さな空を夢想した、おもしろくも楽しくもない日々。
あんなもん、知ったって良いことなんざなかろうよ。例えばトゥレラージュが、シャオユンが、あんなところに閉じ込められようもんなら、ルネッタは何があったって全部ぶっこわしてみせる。冷たい床の感触なんぞ、知らぬままで良い。
「ルネッタ」
「はい」
穏やかな眼差しを見上げるとトゥレラージュは、ヴァイスが町の子供と話すときのように、柔らかい響きでルネッタの名をもう一度、丁寧に呼んだ。
「君はよく私の話を楽しそうに聞いてくれるよね。なんでかな?」
「? 楽しいから」
突然の問に不思議に思いながらも、ルネッタは大人しく答えを返す。
だって、いろんな国のいろんな文化を、旅の思い出を、色鮮やかに語るのがトゥレラージュはとても上手いのだ。賑やかな国や美しい景色、時に恐ろしく時にハラハラする体験談、見たことも聞いたこともない情景を、けれどまるでその場で体験しているかのように語るトゥレラージュの言葉の魔力といったら! 強請る度に飛び出す物語にルネッタはすっかり夢中だった。
思い出すだけで心が跳ねるルネッタに、トゥレラージュは優しく言う。
「楽しいだけなら、私以外にも話の上手い者はいるよ」
「……」
そりゃあ、そう、かもしれない。かもしれないけど。
城内には様々な国で生きた人の分だけ物語があって、街に下りれば芝居も見られるけれど。
でも、そうじゃなくて、
「……私、おにいちゃんの話だから、おにいちゃんの旅だから、聞きたいんですね?」
「だったら嬉しいなあって思うよ」
ふふ、とくすぐったそうに笑うトゥレラージュに、ルネッタは頷いた。
おもしろくも楽しくもない。くだらない国の、つまらない話。
だけれども、ルネッタにとって大切な話を、二人は、だからこそ聞きたいと言う。
ルネッタは頷いた。
「これは、私達魔女が生きて、死ぬための話なんです」
だからまあ、やっぱりおもしろくも楽しくもないんだけど。
今日こそもう1本更新します!