第二章 直し屋少年と聖女誕生
俺が十五の時に母が死んだ。
葬儀の時、アンジーが人目も憚らずに号泣し、自分のせいだと何度もそう言った。
しかし母が死んだのは、その年に全国的に感染が広がった流行り病のせいだった。
伝染ると大変だから来ては駄目だと何度言っても、アンジーは自分は風邪は引かないのだと言って、毎日見舞いに来ては、母の手を握ったり、甲斐甲斐しく世話をしてくれた。
アンジーが手を握ってくれると、その癒やしの力で少し楽になるのか、母は嬉しそうな顔をして、何度もアンジーに礼を言って、レイの事をよろしくね、と言った。
その度にアンジーは頷いて、
「私がレイの側にずっといて、レイを幸せにするわ。心配しないで。
でもおばさんがいないと私達は笑顔でいられないの。だから元気になって!」
と言って母を励ましてくれた。
母はアンジーの言葉を聞いて安心したように笑っていた。
だから、自分のせいだと思う必要なんてなかったんだ。それでもアンジーはこう言って泣いたんだ。
「私の癒やしの力がもっと大きかったら、私がおばさんの病気を治せたのに」
って。
そしてアンジーがそう言った時、彼女の体全身から金色の眩い光が放たれた。
俺を含め、アンジーの家族や師匠、そして近所の人達、母の葬儀に参列してくれていた二十数人が思わず目を瞑った。
その時、神父様が興奮しながら叫んだんだ。
「聖女様だ! 聖女様が降臨されたぞ!」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
それからというもの、アンジーの周辺はガラリと様子が変わってしまった。
教会には毎日アンジーに治療して欲しいと願う人々が列を成した。
アンジーは町の人々の治療を優先させたので、近隣から苦情が来たり、無理矢理彼女を攫おうする者達が出たり、大金と引き換えに強引に治療を要求して来る者も現れた。
そこで町の有志達で警護団が作られ、絶えず彼女の周りには数人の屈強な若者達が取り囲むようになった。
そしてそいつらは俺を見ると凄く嫌な顔をして、俺をアンジーに近づけないようにした。
「幼馴染みだからって馴れ馴れしくするなよ。今じゃ聖女様とお前では天と地ほど身分が違うんだからな」
「お前は元々父無し子のよそ者で、聖女様とは釣り合わねぇんだ。今まで優しくしてもらったからって、勘違いするなよ」
「お前、少しばかり顔が良くて女にもてるからっていい気になるなよ。
聖女様はそこら辺の尻軽女とは違うんだからな」
俺はいい気になっていた訳じゃない。俺はアンジーを好きだったが、無理矢理結婚しようとか思っていたわけじゃなかった。
せめて幼馴染みとして彼女の側にいられたらそれで良かった。そして今の彼女の状況が心配なだけだったんだ。
親父さんもおばさんさんもロイドも、アンジーにずっと会えなくなって心配していたから。
そしてアンジーにようやく会えたのは、彼女が聖女になってから三か月ほど経った頃だった。
しかも彼女は明日この町を出て王都へ行くと俺に言った。王都の大聖堂の聖女に選ばれたというのだ。
大聖堂の聖女と言えば、王族の次の位置する身分だ。俺は仰天した。
「大聖堂の聖女は王子様と結婚するのが決まりなんですって。今の王太子殿下は私より一つ年上だから丁度いいでしょ!」
アンジーは満面の笑みを浮かべ言った。だけど……
「アン、今の王太子殿下にはもう婚約者がいるんだよ。お前も知ってるじゃないか!」
「ああ、どこかの侯爵令嬢だったわね。でも、貴族令嬢より聖女の方が身分が高いのよ。
大体聖女が現れたら聖女が王太子と結婚するのは定められている事なんだから、それ以前の婚約なんて破談されるのは仕方のない事でしょう?」
「お前は本気でそんな事を言っているのか? 昔、人のものは勝手に取らないと、神の前で誓ったのを忘れたのか?」
「人と物を一緒にしないで。それに別に私は自分の意思で王太子殿下と結婚するわけじゃないんだから、私が悪い訳じゃないでしょ!
それから、もう私をアンの愛称で呼んだり、偉そうにお前って言うのも止めてよね。
確かにあんたも天才と呼ばれる修理屋だけど、あんたが直せるのは物だけじゃない。
それに比べて聖女の私が治しているのは人間なのよ。同等だなんて間違っても思わないでね!」
アンジーは俺にこう言うと、家族にさえ挨拶をしないで、多くの警護団の連中を引き連れて王都へ行ってしまった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
アンジーが王都へ行ってしまってから二年が経った。
あれからアンジーは一度も帰郷しないどころか、手紙を出しても返事すら返さなかった。俺どころか家族にさえも・・・
最初の頃は五十年ぶりに聖女が誕生したと国中大騒ぎしていた。そして一年ほど前にその聖女と王太子が婚約したというニュースがこの町まで流れてきたが、その後はさっぱり人々の話題に上らなくなっていた。
そして今日はアンジーの兄ロイドの結婚式が行なわれた。
もちろんアンジーの姿はなかったが、誰も何も言わなかった。親父さんもおばさんもロイドも、既にアンジーの事は居ないものだと考えようとしていた。
ロイドのお嫁さんはアンジーとは違ってお淑やかで大人しい女性だ。しかし一本芯の通ったしっかり者だった。それにとても美人だった。
ロイドは悪仲間にさんざん冷やかされていたが、それでも嬉しさを隠し切れずにずっと笑っていた。
久しぶりに幸せそうなロイド達家族の姿を見て、俺も本当に嬉しかった。
この辺りの田舎では披露宴は一晩中続く。しかし、さすかに花嫁さんや親や親類の年寄り達は、疲れてしまって夜中になる前に家の中で休んでいた。
俺も夕べは仕事が忙しくて寝るのが遅くなった。そのせいで、このドンチャン騒ぎの中でもいつの間にか、俺はテーブルに伏せって眠ってしまっていたようだ。
目を覚ますと毛布が掛けられていて、目の前に新郎が座っていた。
「あれ、俺眠ってたのか? 今何時かな? みんなは?」
「もうすぐ夜明けだ。さすかにみんなその辺で寝てるよ」
「ロイドは眠くないのか?」
「俺も少し寝たよ」
「そうか。でも、本当にいい結婚式だったな。天気も良かったし。
ロイド、幸せになってくれよ」
「ありがとう、レイ。お前には感謝してるよ。彼女と出会えたのはお前のおかげだからな」
ロイドのお嫁さんは、うちの修理屋の常連客の娘だった。
半年前、うちの修理屋は隣町の粉屋から水車小屋の修理を頼まれた。本当は師匠と俺が二人ががりでする仕事だった。
ところが師匠に緊急性の高い仕事が突然入って、師匠がには他の仕事をしなくてはならなくなった。
しかしこれは大きな水車の修理だったので、補助してくれる人間がいないと作業が出来なかった。それでロイドに声をかけて手伝いに来てもらったのだ。
そしてその時、ロイドはその粉家の娘さんと出会って恋に落ちたのだ。
「次はレイの番だな。お前は俺の弟だ。だからお前の結婚式は俺達がやってやるからな」
ロイドの思いがけない言葉に、俺は胸が熱くなった。ああ、家族だと思っていたのは俺だけじゃなかったんだって。
「ありがとう。その時はよろしく頼むよ、兄貴! だけど式挙げる前に相手見つけないとな」
「相手ならすぐに見つかるだろう、お前なら。町中どころか、この近辺の町の娘達はみんなお前に夢中だろ、イケメン天才修理屋め!
世の男達のためにもさっさと早く一人に決めろよ」
「まるで俺がたくさんの娘と遊んでいるような言い方はやめてくれよ。
それに俺はまだ十七だぜ? ロイドより四つも年下なんだから、結婚なんてまだ早過ぎるよ」
自分で言うのもなんだが、俺はめちゃくちゃモテる。天才修理屋として有名になったせいもあると思うが、俺が金髪に瑠璃色の眼という、この辺じゃ珍しい色合いをしているからだと思う。
だけど今俺は仕事の依頼が殺到していて超忙しくて、デートする余裕なんか本当にないんだ。
それに・・・
「お前、アンの事引き摺っているのか? あれは別世界の人間で、もう二度とこの世界には戻ってこ来ないんだ。
いいや、あんな奴、最初からいなかったんだ。だからあいつに言われた酷い言葉も何もかも全て忘れて、他の女の子をちゃんと見ろよ!
あれより素敵で優しくてかわいい子はいくらでもいる」
ロイドは真剣な顔で俺にこう言った。わかってるよ。
大丈夫だよ。アンジーのせいで俺は女性不信になってるわけじゃない。
ただまだ心のどこかで、あの時の言葉は本気じゃなかったに違いない、って思っているだけなんだ。
一時の気の迷いだったんだって。馬鹿だって自分でも思うけど。
「俺は悔しいよ。おばさんが何よりも大切にしていた宝石入れ付きのオルゴール、あれをおばさんから受け取っておきながら、お前を捨てたのが俺の妹だなんてさ。
おばさん、お前に大切な子が出来たら渡すんだっていつも言っていたんだぜ。
お前と別れるつもりなら置いて行けばいいのに。なんて強欲な奴なんだ」
ロイドは泣いていた。
口では悪く言っているが、たった一人の妹が自分の結婚式に出席してくれなかったのが悲しいんだ。
変わってしまった妹が悔しいんだ。
母の形見のオルゴールをアンジーが持って行った事を、俺自身は恨んじゃいない。母が自分の意志で彼女に手渡したんだから。
それに、俺は彼女に捨てられたのかも知れないが、彼女のおかげで今この町で楽しく暮らせているのも事実なんだから。
今は、あのオルゴールが幼馴染みで初恋の少女を守ってくれたらいいなって、そう思っているだけだ。
それに俺だってさすがにもうわかっているさ。アンジーはもうすぐ王太子妃になり、やがて王妃様になるのだ。
ロイドじゃないけど別世界の人になるんだ。だからいい加減忘れないと……
ところが、ようやく彼女を忘れようと決心して間もなく、再び俺の心が掻き乱される事態となった。
アンジーを守って王都へ行ったきりだった、自称アンジーの警護団五人組が約二年ぶりに町に戻って来たのである。
読んで下さってありがとうございました!