第十一章 親父さんの正論と理不尽な人々
その後俺とアンジーは夫婦者として、バージルが借りてくれた家で暮らす事になった。
きちんと結婚の届けも役所に提出した。
もちろん、アンジーの両親に花嫁姿を見せたいから形式上の夫婦だ。
アンジーが早く俺に処女を捧げたいと思っている事はわかっている。もし、無理矢理王宮に連れ戻された時に心の拠り所にしたいのだ。
俺だって、こんなかわいいアンジーの側にいて手を出さずに我慢するのは、正直辛い。
しかし、親父さんとお義母さんの元には奇麗なままの娘を連れて帰りたい。
今まで自分を犠牲にしてたくさんの人々の心と体を癒やしてきたアンジーに、ちゃんとした結婚式を挙げて、愛する家族からの祝福を受けさせてやりたい。
もう戸籍上俺達は夫婦なのだから大丈夫。絶対に俺がお前を守るからと、安心させるために何度もアンジーに言った。
アンジーはこの町で、二人が再会したあの喫茶店の隅を借りて占い師をしていた。
バージルの兄が毒を飲まされて死にかけた時は、助けたい一心で治癒師だと名乗ってしまったらしいが。
まあ、聖女だとばれたらまずいから当然だろう。やっぱりアンジーは子供の頃のような馬鹿じゃなかったみたいた。賢くなったなぁとしみじみ感心したら、彼女に頭を叩かれた。
たからアンジーはそのまま占い師として、俺は直し屋として働く事にした。
そして七日ほど経って、バージルが町に戻って来た。俺と違って馬車の移動だったから、予想よりずっと早かった。
彼は俺達との約束通り手紙をアンジーの家族に届けてくれた上に、彼らからの返事を持って来てくれた。
やはり大聖堂と王家からは何度もアンジーの居場所を教えろと迫られたらしい。しかし、親父さんはそいつらを怒鳴り返したらしい。
「人の娘をまるで犬猫の子供のように挨拶も無く、突然無理矢理に攫っておきながら、今度はその娘の居場所を教えろだと? ふざけた事をぬかしてるんじゃない! こっちが教えて貰いたいよ!
娘が突然居なくなったせいで、女房はこの通り具合が悪くなって寝込んでいるんだぞ。
しかも俺達から無理矢理奪っておきながら、今度は勝手に捨てたんだろう? それを今更取り戻そうだなんて、何て図々しいんだ!
一度捨てたらもう自分のものじゃない。そんな当たり前の事もわからん奴が、まさかこの国の王家って事はないよな? なぁ、騎士様よ…」
お手打ちレベルの言い草だったが、あまりにも真っ当な言い分だったので、親父さんの言うその非常識な事をしでかしたのが、まさか王家だと認める訳にもいかず、騎士達はすごすごと逃げ出したらしい。
親父さん達は俺達の手紙とバージルさんの詳しい説明のおかげで、真実を知って涙を流して喜んでいたという。
壊し屋聖女だの、偽聖女だの、王太子の側妃候補を苛めて婚約破棄されただの、不名誉な噂ばかりが流れてきて、家族みんなが辛い思いをしてきた。
しかし、それが嘘誤りだと知って、これからは堂々としていられると言っていたそうだ。
ほとぼりが冷めて二人で町に戻ってくるのを気長にまっているから、本当に夫婦になっても構わんぞと、ロイドの手紙には書いてあった。
ただしカスバート師匠からは、
「もう俺も年で仕事がきつくなっているから、早く帰ってこい! 約束は一年だって事を忘れるな!」
というメッセージを貰った。
「母さん、少しずつ元気を取り戻しているって。でも本当は私がすぐ帰って癒やしてあげたいのに…」
アンジーは母親からの手紙を頬ずりしながら泣いた。今まで数え切れないほどの人を癒やしてきたのに、一番大切な母親を癒やしてあげられないのだ。そりゃあ辛いだろう。
しかし、いつか母親に贈りたいと、彼女が誠心誠意祈りを込めて刺繍を刺したハンカチには、彼女の癒しのエネルギーが込められていたようだ。それを手に取っただけで、おばさんの体調はすうーっと軽くなったらしい。
『まぁ病は気から』という諺もあるくらいだし、癒やしのハンカチの効果がどれほどのものかはわからないが、これっていい商売になるんじゃないか? 癒しグッズを売るっていうのもさ、とバージルは笑っていた。
それと、ロイドの奥さんがおめでたらしい。絶対に赤ちゃんが生まれる前に町に戻りたいと、俺達は心の底から思った。
そしてバージルは、彼自身が俺達の手紙を届けてくれている間に、弟子に王都の様子を調べてくれるように頼んでくれていたようだ。
バージルが俺達の町から戻ってきた二日後に、再び弟子のランディと共にやって来た。そして王都の様子を話してくれた。
聖女がいなくなった後、王都はかなり混乱したそうだ。
大聖堂では聖女様に会わせろと、連日人々が押し寄せたらしい。大聖堂側はあれは偽聖女だったと説明したが、人々にとっては本物かどうかはどうでもいい事で、病気や怪我を治して貰えればいいのだから。しかもダダで…
あの聖女が偽者だというなら今度は本物を連れて来い!
偽者でいいから元聖女を連れて来い!
聖女が無理なら医者や薬師を準備して、タダで治療させろ!
みんな好き勝手な要求をしたようだ。人間というものは一度手にした既得権は絶対に無くしたくないと思う、強欲な生き物なのだ。
特に生命に関わる事なら尚更だろう。
アンジーの治癒魔法で治してもらう場合、その怪我や病気が重くなれば重くなるほど、希望している患者の収入が多くなれば多くなるほど、その対価は大きくなっていった。
だから大商人や貴族達は、金を保つ者や位が高い者ほど聖女に不満を抱いていた。それは王族も同じだった。
王族なら大概の事なら何でも自分の思い通りにする事が出来た。それなのに聖女は、他の者達同様に対価を渡さなければ言う事をきかなかった。
脅しをかけたり、牢に入れても無駄だった。それはそうだろう。彼女の力は彼女の自由にはならなかったのだから。
天が望んだ対価を得られて初めて、彼女はその力を発揮出来たのだから。
王侯貴族達は、怪我や病気で苦しんでいる時は、仕方なく対価を払って治癒を受けるが、治ってしまうと聖女を悪し様に語り、絶えず不満を漏らしていた。
聖女の力を正しく理解すれば当たり前の事なのに、彼らはそれをどうしても理解しようとしなかった。
そう、シルビア以外は……
だからこそ王太子が聖女を事実無根の罪状で吊るし上げ、偽聖女呼ばわりして婚約破棄して王都追放した時も、それを止めたり、窘めようとする者はいなかったのだ。
そして聖女がいなくなって初めて、王侯貴族達は自分達の過ちのせいで頭を抱える羽目になったのだ。
というのも聖女を追い出した一月後、王都ではある病が流行り、そのせいで民衆がバタバタと倒れ、やがてそれが王侯貴族にまで広がったからだ。
亡くなる者はそうはいなかったが、高熱と咳が酷く、治るまでに時間がかかった。しかもその上、完治しても皆顔に赤いシミのような斑点が残るのだ。
何故こんなにもこの病が流行ったのかというと、聖女がいなくなってからというもの、連日のように民衆が大聖堂や王城周辺にたむろして不満を訴えていたのだが、その人々の密集がいけなかったようだ。
自分達の赤いシミのような斑点を見る度に、民衆は王侯貴族に対する恨みを募らせていった。
そしてその貴族達も王族に対して憎しみを抱く者が増えていった。
顔に赤いシミのような斑点が残れば誰だって嫌なものだが、外見を重視する貴族、特に婦人達にとっては死活問題だった。
跡が消えない限り彼女達は社交場どころか一歩も外には出られないのだから。
病気に罹った婦人達は屋敷の中で異口同音ヒステリックに叫び続けた。
「早く聖女様を呼んで来て!」
「早く聖女様を見つけて!」
「どんな高額な治療費でも、どんな対価でも支払うから、早く聖女様を探して、早く!」
貴族達は王太子や彼を咎めなかった国王や王妃、そして他の王族に対する不満を次第に大きくしていった。
しかしそれは聖女に関する事だけではなかった。
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