第十章 古物商と兄
「それでその後、お兄さんと毒を仕込んだ犯人の女性はどうなったんですか?」
とアンジーが尋ねた。
「今二人とも拘置所の中だよ。ちゃんと法に基づいて裁かれるだろう。どんな罪状になるかわからないが、囲いの中に入る事になるから、当分は身の安全は確保されるだろう」
「身の安全って、詐欺をして騙してきた被害者の方々からですか?」
「もちろんそれもあるけど、実家の父親からだよ」
「えーっ、なんで実の親から命を狙われているんですか? お兄さん、一体何をしたんですか?」
アンジーが驚きの声を上げたので、バージルの代わりに俺が答えてやった。
「お前が壊した対価の品って、家宝だったんだって。しかも国宝級の懐中時計だったんだ」
「えーっ、わ、私、どうしよう。
そんな凄い物壊しただなんて死刑になっちゃう。とうしよう。やっとレイにまた会えたのに。外国に逃げなくちゃ!
でも、私が逃げたら父さん達も罪になるのかしら? そんなの嫌! そんな事になるくらいなら私今すぐ自首するわ。そうすれば家族にまで累が及ばないかも知れないわよね?」
アンジーはパニックに陥った。お宝を破壊するなんて今まで何度もしてきただろうにと不思議に思ったら、彼女はこう言った。
「今までもそりゃ色々貴重な品を壊してきたわよ。でもそれは本人の承諾を受けていたし、そもそも聖女としての天からの命でやった行為だから、問題になんかならなかったわ。
でも私はもう聖女なんかじゃない。市井のただの治癒師なのよ。勝手に壊していい訳がないわ!」
「落ち着いて、アンジー嬢。俺が依頼したんだから君には何の落ち度もないよ。責められるとしたら俺と兄だから大丈夫だよ」
バージルも慌ててアンジーを宥め始めたので、俺はポケットからハンカチに包んだ物をテーブルの上に乗せた。そしてそのハンカチの結び目を解きながらこう言った。
「バージルさんのお兄さん以外に誰も罰せられないよ。国宝の懐中時計はここにあるから……」
粉々になった懐中時計の前と後を知っていたアンジーとバージルは、両目をあんぐりとして元の姿に戻っているそれを見つめたのだった。
「すごい! もしかして……とは思っていたが、まさかこんなに完璧に直っているとは。
そもそも十年以上前に床に落ちてから動かなくなっていたんだ。それが動いているなんて。まるで夢を見ているようだ。これで兄貴も救われる!」
ずっと飄々としていたバージルが心からの笑顔で喜んでいた。冷めたように兄の事を語っていたが、本当は兄を大切に思っていたのだろう。
バージルの本当に嬉しそうな姿を見られて俺も嬉しく思った。それがたとえ俺の純粋な力でなくて魔法の力だったとしても。
それに愛するアンジーや、親父さん達を守れたのならそれでいいや。
「まだ子供だった兄貴がこの懐中時計を床に落としたんだ。そうしたらその直後間髪入れずに、父がいきなり兄の顔を殴りつけたんだ。
そして時計を拾い上げて傷がないのを確認して一瞬ほっとしたんだが、すぐに針が動かなくなった事に気が付くと、近くにあった暖炉から火かき棒を取り出して、あっという間に兄を打ちつけたんだ。
まだ修理が出来ないとわかる前だったのに。
慌てて皆で止めたけれど、兄は肋骨と利き腕を骨折した。そしてそれから兄の右腕は上手く動かせなくなった。
兄は騎士になろうと毎日修練していたんだけどね」
「酷い・・・」
とアンジーが両手で口を覆った。
「この事があってから両親の仲が悪くなって、家庭がギクシャクするようになったんだ。
兄は放蕩三昧になり、その尻拭いの為に父親は右往左往していたが、それは兄の為ではなくて家の面子のためにだったよ。
上の兄二人も父親にそっくりで冷たい人間だった。
母が病気で亡くなった後、母の実家がそんな最悪の家庭で育つ俺を心配して、養子に迎え入れてくれたんだよ。
そして俺が留学したその直後だったかな、兄が自分の人生を狂わせたこの懐中時計と共に王都を出奔したと聞いたのは……」
「お兄さん、この懐中時計で人に催眠術をかけて詐欺してたって言ってましたよね。
自分の人生を狂わせた諸悪の根源であるこの懐中時計を、きっと汚してやりたかったんでしょうね」
俺がこう言うとバージルも頷いた。そして懐中時計を手にしてじっと見つめながら言った。
「これ、兄貴が持っていた最近の懐中時計じゃないな。制作された当時のものだろう。二百年ほど前の。新品同様だ」
「そう言えばそうですね。これじゃ金にはなりそうにないですね。歴史的価値を無くしてしまったんじゃ……」
やっぱりいきなり挑戦したのはまずかったな。何かでお試しすれば良かった。
まあ、本当に直せるだなんて微塵にも思っていなかったんだから仕方ないけどさ。
まあ、バージルさんだって半ば諦めていただろうし、責任取れとは言わないだろうけどさ。
「いや、価値が無くなるって事はないよ。腕のいい磨き屋に頼んだと言っておけば大丈夫だ。ちゃんと金は支払うよ」
そう言われて俺はほっとした。まあ、修理代は本当に貰わなくてもいいんだけど。
ほんの数分しか時間はかからなかったし、アンジーみたいな労力というかエネルギーを使った訳でもないし……
俺がそんな事を考えていたら、アンジーがキラキラする目で俺を見ている事に気が付いた。
「この懐中時計、レイが直したの? 凄いわ。やっぱりレイは天才ね。
ねぇ、もし私が人様の大切な物を壊してしまっても、いざとなればレイが直してくれるでしょ?
これから私、罪悪感を持たずに済むかも……いえ、直せないものもあるわよね。だけどそれでも、少しは気が楽になりそうだわ」
「それいいな! 聖女が対価として物を壊し、それを直し屋が修理する。
商売になるぞ。聖女様も修理屋も治癒される方も大喜び。みんなウィンウィンの関係だな」
バージルがやたらノリノリで言った。
なるほど、アンジーと一緒に居れば自ずと仕事にありつけるって事か? ラッキー!
……じゃないよ。まるで夫婦詐欺みたいで絶対に嫌だ。まあ、アンジーの役に立つのなら、やるのもやぶさかでないが……
やがて三人の興奮状態がとりあえずおさまった頃、バージルが真面目な顔をしてこう言った。
「二人は兄と俺の恩人だ。感謝している。この恩は決して忘れない。俺に出来る事があれば何でも言ってくれ」
恩人だなんて大袈裟だと俺とアンジーは思った。確かに依頼のされ方は無理矢理で戸惑ったが、仕事をしてそれに見合う報酬が得られるならそれで十分だった。
しかし、アンジーはバージルの兄の毒を消して命を助けただけではなく、子供の頃の肋骨と右手の骨折の後遺症まで綺麗さっぱり治していたようだ。
その上、家宝の懐中時計はバージル兄が壊す以前の形に俺が直したので、もう父親や上の兄達に命を狙われる心配もなくなりそうだとか。
「感謝している……ありがとう……」
バージルは何度もそう繰り返した。
うーん、何もお願いしないのもなんだか申し訳無く思えてきた。そこで、俺はバージルに二つ頼み事をした。
一つ目は、王都へ行って王城と大聖堂の動きを調べて欲しいという事……
もし、本気でアンジーを連れ戻そうとしているのなら、こちらもそれ相応の対策を考えないといけないので。
二つ目は、これから二人でアンジーの両親と兄宛に手紙を書くのでそれを故郷へ直接届けて欲しいという事だ。
今まで彼女の手紙は一度も家族には届いてはいない。どこで手紙が消えたのかがわからないのだ。
そして今も誰かが彼女の行方を探しているとすれば、両親宛てに出した手紙を奪われる恐れがある。もしそうなったら、こちらの情報が漏れてしまう。だから信用出来る人に直接手渡して欲しいのだ。
会ったばかりだというのに、何故か俺はバージルを信頼出来る人物だと確信していた。彼とは永遠に交流をする事になるだろうという、そんな予感があった。
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