09.彼のときめき
予定通り、エドライド王には視察のためと滞在の許可を得て、王と宰相以外には俺が魔王であることを内密にしてもらい、国王付きの騎士としてコルリズ王国の王宮へやってきた。
王宮には思ったより多くの貴族令嬢が出入りしていた。
どうやら皆、第一王子であるエトワールの学生時代の友人だそうだ。
それにしても、友人は女性ばかりだな。
最初の印象はそれ。
まぁ、エトワール王子は見た目がよく、穏やかな性格をしているらしい。
女性のほうから寄ってくるのも無理はないかと、どこかの誰かと重ねて自嘲した。
きっと鬱陶しい思いでいるのだろうと思ったが、どうやらそうではないらしいと気づくのに時間はかからなかった。
エトワール王子は毎日、取っ替え引っ替えに違う女性と遊んでいた。
自分にはあり得ないなと思いつつ、どこか他人事で例の少女を捜すことにしたのだが、俺が一人でいると令嬢のほうから話しかけてくることもよくあった。
「お初にお目にかかります、キャネル・ロンデールと申します、騎士様」
その中の一人に、そういう令嬢がいた。
「新しく国王陛下に付いた騎士様がとても素敵な方だと、噂になっておりますよ」
「……そうですか」
上品なふりをしてしゃべる彼女は、胸元が大きく開いた服を着ていた。
この国の若い令嬢は、そういう格好をする者が多かった。
流行りなのか、男を誘っているのか知らないが。
しかし俺にとっては好都合だった。こちらが何もせずとも向こうから胸元をさらけ出してくれているのだ。
俺のためか? と笑ってしまいそうになるほど、例の印を探すにはこれ以上ないデザイン。
「ふふ、大胆なお方」
だからこちらも遠慮なく、その胸元をじっと見つめれば、キャネル嬢は嬉しそうに笑った。
初対面の男に見られて喜ぶなど、とんでもない女だなと思いつつ、お構いなく目を懲らす。
契りの儀は半分しか行えなかったので、その印はまだ薄いかもしれない。
「ねぇ、よろしければあちらでゆっくりお話しません?」
そうすると彼女は何かを勘違いしたように口元を緩めてそう言った。
「……あなたに用はない」
「なっ、見ていたじゃない……!」
しかし、その胸元に印の形跡がまったく見られないと、俺は彼女を睨みつけ、さっさと次を捜すため足を進めた。
そうすれば大体の女性はギャーギャーと甲高い声で文句を言ってくるが、それも興味ない。
……しかし、人間というのは欲深いな。
欲に忠実なのは構わない。魔族も本能で子孫を残すのだから、それは一緒だ。
だが人間の男というのはそれ以上に無駄に種を撒き、女も見た目や権力に群がり、すぐ媚びる。
魔物の中にも寿命の短い下位種族にはそういうものがいたな。
……つまり人間は、弱いという証拠か。
子孫を残す相手など一人いればいい。だから、やはり人間相手に契りを交わしてしまったのは間違いだったかもしれないと、深く溜め息を吐いた。
国王の宰相、リーリエ侯爵は俺にとても親切にしてくれた。
十年前に最愛の妻を亡くしてしまったらしいが、後妻をとることもなく、今でも亡き妻を愛しているのだとか。
とても好感が持てる。
それに今は一人娘を愛しており、心からその幸せを願っているようだ。
娘の話はよく聞かされた。
亡き妻に似て、とても美しく可憐で優しい娘だと、これでもかというくらい、いつも褒めていた。
どんな娘かと興味を持ったが、どうやらその娘はエトワール王子と婚約しているらしい。
リーリエ侯爵はそれすらも誇らしげに語っていた。
では俺には関係ないな。すぐにそう思ったが、あのエトワールの婚約者となると、娘の幸せを叶えてやることは難しいだろうと、少し気の毒に思った。
一向に目当ての少女が見つからず、やはり十年前の相手を見つけだすのは難しいかと頭を抱えた。
もしかすると既に結婚が決まり、その相手のところへ嫁いでいるかもしれない。
生きている保証すらない。
そんなある日、あの薔薇の庭へ向かっていると、いつもは誰もいないそこに、一人の女性がいるのが目に映った。
まさか……!
そう思い、俺は女性の顔が見えるところまで駆け寄った。
「……」
花を愛でていたのは、薄茶色の流れるようにサラサラとしたストレートヘアの女性だった。
一瞬、時が止まった。
俺の周りを流れる時間が止まった。
まずい……。
正直に、綺麗な人だと思った。
下品な服は着ておらず、立ち振る舞いが他の令嬢とは明らかに違った。
だが、それだけではない。
この感情はなんだ? 俺は、魔女に呪いでもかけられたのか?
そう思ってしまうほど、突然心臓がドクドクと早く脈を刻み始めた。
全身に熱い血液が流れていくのを感じる。顔に熱が集まり、赤面しているのが自分でわかる。
こんなことは初めてだ――。
まさか、これが一目惚れというやつなのか?
そんな得体の知れないものは、魔法の類だと思っていた。
まさか、自分が――。
だが彼女がどことなく、あのときの少女に似ているような気もした。
もしかして、彼女かもしれない。
そうだったらいい――いや、たとえそうじゃなくても――。
期待に胸を膨らませ、話しかけに行こうかと思ったのだが、一歩踏み出すその前にリーリエ侯爵が俺に話しかけてきた。
「あれが娘のティアローゼです」
「――え?」
「ティアは花が好きでねぇ。どうです? 可愛いでしょう?」
「ああ……、彼女が」
その瞬間、俺の中からスーッと熱が引いていった。
娘を遠巻きに見ながら、リーリエ侯爵は楽しそうに何か言っているが、耳に入ってこない。
第一王子の、婚約者か……。では、確認の必要はないな。
もし彼女があのときの少女ではなくても、俺は彼女を妻にしたいと思ってしまった。だが、その夢は一瞬で砕かれた。
さすがに王子の婚約者を奪うことはできない。
「――聞いてますか?」
「え、ええ。とても可愛いらしいお嬢さんですね」
「そうでしょう? 自慢の娘ですぞ!」
ははははは――!
リーリエ侯爵は満足そうだが、やはりどうしても無視できないことが一つある。
「……エトワール王子にはよくない噂があります。調べてみたほうがいいかもしれないですね」
「なんと……! そ、それは困る……すぐ陛下のお耳に入れなければ!!」
もし、彼女が傷つくようなことがあれば――攫ってでも俺が国に連れて帰ろうか。
初めて本気でそう考える、出会いだった。