07.彼の事情
「いい加減おまえも相手を決めろ」
ことの発端は、父である大魔王フェルガン・クロヴァニスタのこの言葉だった。
燃えるような赤い髪と深紅の瞳に、筋骨隆々の大きな体躯。
魔物の国、クロヴァニスタ。それが魔族である俺たちが治めている国の名前。
いずれは俺が大魔王になり、国の王となる。
俺は生まれて二十年で魔王の称号を手にした。
力、名声、権力、富、容姿に至るまで、他の者が欲しがるすべてを俺は生まれながらにして持っていた。
ただ一つ、足りないものがあるとすれば、それは愛だ。
魔王に愛など必要ない。
そう思いたいところだが、厄介なことに大魔王になるにはそれが必要だった。
魔王から大魔王へ昇級するには、世継を残す必要がある。
世継など愛がなくても作れる?
そうかもしれない。だが、愛のない女性との間に生まれる子は、弱い。
この魔力を引き継げる子は、魔王のみが持つ、ある特別な力を受けた女性だけが産める。
〝契りの儀〟
皆はそれをそう呼ぶ。
特別な魔法を用い、自分の魔力を相手に注ぐのだ。
決していやらしい話ではない。
もちろんそういうやり方も可能だが、相手に魔力を注ぐことができれば、やり方は問われない。
大事なのは、〝愛があるか〟それだけだ。
ともかく、魔王は一生に一人、これと決めた女性にのみ、それを行うことができる。
言い換えれば、一度使ってしまえばもう二度と他の女性には使えないということだ。
相手が子を産めずとも、死んでしまおうとも、二度と。
その魔王はそこで終わり。新たな魔王が誕生するのを待つしかなくなる。その場合、血筋が変わってしまう可能性もあるのだが。
それでも先祖たちは無事世継ぎを残し、国を豊かで大きなものにしていった。
だから俺も、そろそろその相手を決めろと、父はうるさく言った。
魔族は人間のように寿命が短くない。青年期まで成長すれば、そこからは老いるのが非常に遅くなる。
だから何も焦る必要などないだろうに、この父親は「早く孫を抱きたいのだ!」と、とても平和的なことを口走った。
俺たちは人間から見れば魔物であるが、見た目は人と変わらないし、相手に敵意が無ければ友好的だ。
人族であろうと、獣人族であろうと、魔族であろうと、種族は気にしない。
人間が勝手に俺たちを恐れて戦争を仕かけてこないかぎり、潰す気もない。
現に隣国、コルリズ王国とはとても良い関係を築いており、国王と父は友人同士である。
俺もエドライド王とは何度か面識があった。
「誰かいい相手はいないのか?」
「いませんね」
――さて、話は冒頭に戻る。
早く孫が見たいからと、俺の婚約相手を探している父だが、残念ながら俺は今までちゃんとした恋をしたことがない。
女性にはあまり興味がない。
……いや、男色の気があるという意味ではないが。
単にそんなもの、今まで必要なかったのだ。
だが父がうるさく言ってくるようになったのは、俺が二十歳になり、魔王の称号を得てからだった。
「女はいいものだぞ。愛らしく、やわらかく、とても癒される!」
「……そうでしょうか」
「おまえは知らないだけだ! 食わず嫌いはやめろといつも言っているだろう!」
「……」
俺だって、一応はモテる。だから女性をまったく知らないわけではない。
ただ、そんなにいいものか?
と、そう思う。
それは俺が愛を知らないからだと言われればそれまでだが、じゃあ誰か教えてほしい。
「おまえにも一人くらいいただろう? 心を動かされるような相手が。それが恋だぞ」
最近はあまりに毎日しつこく聞いてくるから、少し真剣に答えることにした。本当は父に言うつもりはなかったのだが。
「……過去に、一人だけ」
「おお、ではその者でいいではないか! 婚約を交わそう。すぐに連れてまいれ!」
初めての返答に、父は大袈裟なほど喜んだ。
と言っても、あれが本当に恋だったのか、今でもわからない。
「……実は既に、その者と契りの儀を半分、交わしています」
「なにぃ!? なんだ、おまえもやることはしっかりやっているのではないか! 驚かせおって! うむ、照れていたのだな! よいよい、気にするでない! 皆通る道だ!」
「……」
何を勘違いしているのだろうか、この大魔王は。
口元をニヤニヤさせながら、一人で何かを納得している。
「して、どこの誰だ?」
「名前はわかりません」
「なに……!? 行きずりの相手か。お前も大人になったな」
「……」
行きずりの相手とも、少し違う。
「まぁ名前などわからずともいくらでも捜し出せる。どこの女だ? 種族は?」
「……コルリズ王国の、人間です」
「……なに?」
父は俺の言葉に、驚愕の色を浮かべた。だから言いたくなかったのだ。
「……コルリズの人間!? なんだと!!?」
「……」
魔王は相手に種族を選ばない。
しかし、人間はあらゆる種族の中で最も弱いといえる。
まさか自分の息子が人間を嫁にするなど、考えてもみなかったのだろう。
「おまえは……いつの間に。まぁ、この際人間でもよかろう。おまえがその者と結婚する気があるのならな。連れてこられるか?」
「さぁ? 何せもう十年も前の話ですからね」
「…………は?」
続けた俺の言葉に、父は間の抜けた顔をした。
大魔王がそんな顔をしていいのだろうか。今ここに従者がいなくてよかった。
「なんということだ……子供の頃に、お前は人間と婚約を交わしたということか?」
「まぁ、そういうことです」
「しかし、その頃はまだ……」
「ですから半分しか行えなかったのでしょう」
通常、この儀は魔王にしか行えない。十年前の俺はまだ魔王ではなかった。
完璧ではなかったにしろ、それを行うことができたのは、やはり俺の生まれ持った才能としか言いようがない。
……しかし、改めて考えればやはり条件である〝愛〟は満たされていたということになる。
「……半分しか行えなかったとしても、一度それを行った相手がいるのなら、おまえはもう相手を変えられないぞ」
「わかっています」
「……おまえは……、まぁよい。それで、どうする気だ」
なんと浅はかなことをと、言いたかったのだろう。父は頭を抱えて溜め息をついた。
今ならわかる。だが、その後あのとき以上に好意を持った相手は現れていないのだから、あのときに少しでも印をつけておいてよかったという考え方もできる。
「私ももう一度会ってみたいとは思っていますので、捜してきます」
「うむ、ではエドライド王にはおまえを視察に送ると伝える」
「はい」
「いいか、必ず見つけだせ」
「……」
その言葉には頷けなかった。俺だってできるなら本当にもう一度会いたいと思う。だが、果たして見つかるだろうか。
何せあれはもう十年も前のことなのだから――。