05.突然の求婚
「なんだって!?」
クロヴァニスタの、魔王……?
隣国であるクロヴァニスタは、魔族の王が国を治めている。
しかしそこで暮らす魔族はとても人間に友好的で、長年我が国とも良い関係を築き、経済的な取引も行っている。
その国力は魔族の国といえ、侮れないのだ。
国土自体もこの国より大きいし、なんといっても魔族は人間に比べて魔力がとても強い。
だから人間の国はクロヴァニスタを畏れている。
決して喧嘩を仕かけていい相手ではないことは、子供でも知っている。
友好関係を築けているうちはいいけど、魔王の怒りを買ってしまえばこんな小さな国、簡単に潰されてしまうだろうから。
それに、この国が魔物に襲われないのは、張っている結界の効果もあるのだけど、それ以上に隣国であるクロヴァニスタが牽制してくれているからだ。
「……な、クロヴァニスタの、魔王……フォリス殿下……だと?」
「彼の父上である大魔王フェルガンには非常によくしてもらっている。彼は私の友人でもある。此度はそのご子息が身分を隠し、お忍びで我が国に視察に参られていたのだ」
クロヴァニスタの国王は大魔王であるフェルガン様。
しかしその子息も、若くして既に魔王の称号を得ているのは周知の事実。
それが彼、フォリス様――。
「そんな……っ嘘だ……」
「嘘ではない。おまえは友好国であるクロヴァニスタを危うく敵に回すところだったのだぞ。その意味がどれほど重いか、わかるか」
「しかし……っ!」
まだ何か言おうとするエトワールだけど、フォリス様からの鋭い視線に気がつくと言葉を詰まらせ、深々と頭を下げた。
「……っ申し訳ございません!! 気がつかなかったといえ、大変失礼なことを……!」
「謝るのは私にではないだろう? もっと酷い目に遭ったご令嬢がいるのではないのか」
「……っ」
魔王フォリス様が凍ってしまいそうなほど冷たい瞳でそう言うと、エトワールは私に向けて頭を下げた。
「酷いことをした……すまない……」
「……いいえ」
エトワールの表情は窺えない。
悔しさで歯を食いしばっているのか、自分のしたことを本当に悔やんでいるのか、はたまた単なる恐怖なのか――。
その肩は小刻みに震えている。
「我が国に張られている結界や人間の技術等を学んでいただくつもりが……、愚かな側面を見せてしまったようだ」
陛下は静かに、威厳のある声で言った。
「我が国の恥さらしめ」
「……っ」
エトワールは依然、頭を下げたままだ。
「おまえの王位継承権は剥奪する。正式な処分が下るまでは大人しく自室で待機していろ」
「……はい」
「それと、女性を部屋に連れ込んだりせぬように。見張りを立たせるからな」
「……っ、仰せのままに」
項垂れているエトワールを一瞥したあと、陛下は私の前まで歩いてくると頭を下げて言った。
「愚息がしてきたことは許されることではないな。君を大変傷付けてきたのだろう。本当に申し訳ない」
「お顔をお上げください、陛下!」
「何か望みがあれば、なんなりと申してみよ」
「……いいえ、私は殿下との婚約を解消できればそれで十分でございます」
「そうか……。二人の婚約を白紙にすると約束しよう。私がもっと早く動いていればよかった……本当にすまなかった」
「陛下……」
頭を上げた国王は、感慨深そうに目を閉じた。
その後ろでは父が怒りに震えて拳を握っているのがわかる。
とはいえ……いかなる理由があれ、王子との婚約が今更解消されて、一体どこに嫁げるのだろうか。この国ではもう、ろくな貰い手がないかもしれない。
父に申し訳なく思い、私も言葉を詰まらせる。
少しの間、それぞれが何かを考えるように沈黙が続いた。
「――そうか、婚約は解消されたのですね?」
「え……?」
けれど、またその沈黙を破ったのはフォリス様――魔王殿下だった。
「あなたならきっと私の国でもうまくやっていけるでしょう。どうか、私と一緒に来ていただけないだろうか」
「え……?」
「なんと……!」
魔族の、国に……?
この方は突然何を言い出すのかしら。
動揺してしまうけど、まっすぐに私を見つめているその瞳の輝きが、先ほどまでと違っている。
廊下で会ったときは、何者も寄せ付けないというようなオーラを放っていたのに、今はとてもあたたかな雰囲気を醸し出している。
「どうか、私の妻になっていただきたい」
「…………えええっ!!?」
魔王様の、妻!?
フォリス様から発せられた言葉に、そこにいた者全員が驚きに目を開いて彼を見た。
エトワールはとうとう床にヘタリ込み、呆然としている。
「あなたのことはずっと見ていた。婚約者にどれほど傷つけられても気丈に振る舞うその姿は、誰よりも美しく、気高かった。私はあなたに惹かれているのです。どうか、私と結婚していただけませんか?」
な、な、何を言い出すの、突然……。
私に惹かれている? さっき会ったときは、そんな様子微塵も感じなかった。冷たい態度にすら感じたのに……。
それを、婚約が解消されただけで、こんなにも変わるものだろうか……?
不信に思いながらも、フォリス様の真意を探るようにその瞳をじっと見つめる。
……さっきも思ったけど、この方はとてもハンサムで、素敵な方だわ。
一見、とても魔王には見えないほど、見目麗しい。
それにエトワールから酷い仕打ちを受けた私に、最初に手を差し伸べてくれたのも彼だった。
そんな方からの求婚に、つい顔が熱を持つ。
「突然申し訳ない。陛下、リーリエ侯爵、ティアローゼ嬢への求婚を、お許しいただけますか?」
「それはもちろん……愚息との婚約は白紙にする。我が国にとってクロヴァニスタと更なる縁ができるのなら、私に異論はない」
「私もです。しばらく共に過ごしましたが、貴殿のようなお方なら今度こそ安心して娘を任せられる」
王も父も、フォリス様からの突然の求婚を快く承諾した。
「ですが、私は人間で……!」
「構いません。魔王の相手に種族は関係ないのです」
でも……そんなこと、考えてもいなかったから……。
突然過ぎて何と答えたらいいのか……。
それに、魔物の国クロヴァニスタというところには行ったことがないし、少し不安……。
「私たちは人間ほど欲深くはありませんよ」
フォリス様は一瞬エトワールを睨んでから、私に優しい眼差しを向け、
「――ですが、あなたは欲しい。攫っても?」
と、その言葉とは裏腹に胸に手を当てて紳士的にそう言った。
ドキリと、胸が高鳴るのを感じる。
父に目を向けると、なんだか嬉しそうに頷いてくれている。
……魔王に逆らうな、ということだろうか?
逆らえば魔王の怒りを買ってこの国は滅ぼされる?
それとも本当に、この方なら信じられるのだろうか……。
「え……っと」
「ふっ……さすがに突然すぎましたね。ですがぜひ、考えてみてください。私はもう少しこの国に滞在する予定ですので」
ね? と国王に微笑みかけるフォリス様。
「うむ。挽回したい。ぜひ時間の許す限り、我が国を見ていってほしい」
「その間に、あなたの不安はすべて取り除こう。なんだったら一度我が国へ招待しましょうか?」
その言葉を聞き、もう一度フォリス様へ視線を向ける。
「……」
私の視線を受けて、フォリス様はにこりと口元に笑みを浮かべてくれた。
本当に、さっきとは別人である。けれどその笑顔に、不覚にもドキドキと胸が熱くなった。