31.初めての口づけは
そういうわけで、まずはお披露目式までにこのお城や国の暮らしに慣れていくことになった。
コルリズ王国でエトワールに嫁ぐ予定だったときのようなガチガチの花嫁修業ではなく、この国の歴史や魔物、魔法についてなどの勉強を行いつつ、フォリス様も執務の合間を縫って会いに来てくれる日々が続いた。
けれど、寝室は別。
また大魔王様が一緒の部屋にしようとしてきたけれど、フォリス様がお断りしてくれた。
もちろんいつかはそうなるのだろうと、覚悟はしている。けれど、フォリス様は私が少しでも嫌がることを無理強いしようとはしない。
口づけも、額に軽く触れるだけで、まだ唇にされたことはない。
フォリス様となら、嫌ではないのに。
少しだけ……本当に、少しだけ、寂しい気がしてしまう私は、はしたないのだろうか……。
だけど、昼間にお互いの部屋は行き来するようになった。どちらかの部屋でゆっくりとお茶をしながら談笑する時間はとても楽しい。
フォリス様はこの国のことや魔族についてのことなんかをお話ししてくれる。
私にはとても新鮮で、わくわくするような話ばかりだった。
そしてこの日も、私は勉強が済んだらフォリス様の部屋に来るようにと、お誘いされていた。
「フォリス様――ティアローゼです」
部屋を数回ノックし、反応を待つけれどお返事がない。
いつもはすぐに開けてくれるのに、おかしい。
いないのかしら?
迷いつつも、そっと取っ手を押してみると、鍵はかかっていないようだった。
「フォリス様、入りますよ――?」
声をかけ、扉を押してそっと中を覗く。
私の目に映ったのは、大きなソファの上で横になって目を閉じている、フォリス様の姿。
こんなところでおやすみになるなんて……。
魔王だって、風邪をひいてしまうかもしれないのに。
そう思いながら近寄ると、静かに寝息が聞こえた。
……フォリス様……疲れているんですね。
当然よね。彼は私を捜しにひと月もこの国を空け、その後もずっと私に時間を使ってくれていたのだから。
ようやく私が婚約に応じて、勉強する時間が設けられたからフォリス様はやっと自分のお仕事の時間を取れるようになった。
それでも私と過ごす時間も必ず作ってくれるから、夜もあまり寝ていないのかもしれない。
「フォリス様……」
それを思うと、申し訳なく思う反面、とても愛おしく感じてしまう。
無理はしてほしくない。
そっと名前を呼んで、じっとその美しすぎる寝顔を見つめる。
本当に綺麗なお顔。整っていて、まつ毛も長い……。鼻筋も通っているし、唇も、形がいい……。
「……」
じっと、その形のいい唇を見つめ、ドキドキと鼓動を速めた。
「……――」
「……!」
そのとき、パチリ、と音が鳴ったかと思うほど突然に、フォリス様の目が開いた。
「……ごっ、ごめんなさい……っ!」
至近距離でフォリス様と目が合って、吸い寄せられるように顔を寄せていたことに気がつく。
わ、私ったら……!
今、フォリス様のこと襲おうとしていると思われちゃったかしら……!?
恥ずかしい……っ!!
そう思い、パッと身体を背けて熱くなった頬に手のひらを添える。
「……ティア」
「すみません、本当に……でも何も……っ」
何も、しようとしていたわけではないのです!
そう言おうと思ったら、きゅっと後ろからフォリス様に抱きしめられた。
「……ティア、今何をしようとしていたの?」
「え……っ」
違う、別に、何もしようとは……!
っていうか、近い!! 近すぎます!!!
耳にフォリス様の息がかかり、ぞくりと身が震える。
フォリス様の香りが……体温が……ああ、ダメ、蕩けちゃいそう……!!
「ティア……」
優しく囁かれ、ちゅっと頬に柔らかなものが触れた。
フォリス様の、唇だわ……。
「……え、……あ」
その感触に驚いて、バッと彼のほうを向く。
「……可愛い、ティア。耳まで真っ赤だよ?」
そう言って笑ってるフォリス様も、ほんのりと頬が赤い。
「でも、これくらいでそんなに照れないで?」
「だ……だって……!」
言葉を返そうと口を開くけど、間近にあるその美しいお顔に、言葉は掻き消されていく。
「…………ぁ」
何も考えられない。
こんなに近い距離で見つめ合ったことなんてなくて、とても恥ずかしくて……。目を逸らしたくなるけれど、なぜか逸らせない。逸らしてはいけない気がした。
「……」
「……」
言葉なんて交わす必要がなかった。
視線だけでお互いの意志を確認し合うようにしばし見つめ合ったあと、フォリス様はゆっくりとまぶたを下ろして、その距離を縮めてきた。
――キスしてくれるんだ。
そう覚悟して、私もフォリス様に合わせてまぶたを下ろす。
一度軽く触れ合い、そっとまぶたを持ち上げると、熱を持ったフォリス様の瞳と視線が絡み合った。
私を抱きしめていた彼の手が、するりと脇の下あたりに滑ると、軽々とこの身体を持ち上げて隣に座らせられる。
そして優しく頭を撫でると、小さく微笑んでもう一度唇を寄せてきた。
今度はゆっくりと、角度を変えて啄むように。
ゆっくり、しっとりと唇が重なり合う音だけが静かに部屋の中に響いて耳につく。
とてもドキドキするけれど、嫌じゃない。
むしろ、心地いい――。
「……」
最後に下唇を軽く吸われて離れると、頬を染めたフォリス様がニコリと可愛く微笑んだ。
「…………っ」
とても恥ずかしい。
けれど、この魔王、可愛い……。
「ティア……」
嬉しそうに私の名前を呼んで、ぎゅっと抱きしめられる。
顔が見られなくて済む分、こっちのほうがいいかもしれない。
そう思ったけれど、フォリス様の見た目よりもたくましい肉体に、私の心臓は壊れてしまうのではないかと思うほど大きく高鳴っていた。
「本当はずっと我慢してたんだよ。でも君からしようとしてくれるなんてね」
「え……っと、それは……」
嬉しいな。と言いながら、なでなでと。
髪を撫でながらそう口にするフォリス様の言葉を否定しようとして、思い止まる。
やっぱりそう見えちゃいましたよね。でも本当に、何かしようとしたわけでは……。
……いや、もしかして私、無意識でフォリス様にキスしたいと思っていたのかも。
それで、強請るような顔をしていたのかもしれない。
うう……恥ずかしい。
「ティア」
「……?」
そっと顔だけ距離をとって、見つめられる。
「もう一度してもいい?」
「……!」
その言葉にまた顔が熱を持つ。
いいですよ、と答えるのも恥ずかしくて、私はただ視線をさ迷わせたのち目を閉じた。
それを了承と受け取ってくれたフォリス様は、もう一度私の唇にそれを重ねる。
柔らかくて、あたたかくて、心地いい。
とても気持ちよくなってしまう。
「……ん」
「……ああ、ティア……本当に可愛い……っ!」
ちゅっと音を立てて唇が離れると、再び身体を抱きしめられた。
その背中にそっと自分の腕を回すと、フォリス様は嬉しそうにギュッと、より強く身体を密着させてきた。
フォリス様は、とてもいい匂いがする。
落ち着く匂い。だけど、甘くて、あまりにも甘すぎて、鼻腔からも蕩けてしまいそうになった。
甘い…、胸焼け要注意です。
また思い立ったら番外編書きますm(_ _)m
お読みいただきありがとうございます!