19.馬車での一時
そういうわけで、私は今フォリス様と二人で馬車に乗っている。
「……」
それにしても、手を繋いで歩くのも緊張したけれど、こうして狭い空間に二人きりというのは、とても妙な感じがするわ。
フォリス様は穏やかな表情で窓から外を眺めている。
正面を見れば整った美しいお顔が目に映り、気を抜けば思わず見入ってしまいそうになる。
そうだ……。
「あの、フォリス様」
「ん?」
この密室で無言は耐えられない。何か話さなきゃと、私はあることを思い出してポケットに忍ばせていた小さな箱を取り出した。
「先日お借りしたハンカチです。ありがとうございました」
「ああ、こんなに丁寧に……。わざわざすまない」
「それと、先ほどもありがとうございました」
「いや、私が君を待たせたせいで嫌な思いをさせてしまったね。やはり部屋まで迎えにいけばよかった」
本当は、フォリス様はそう提案してくれていた。
けれどそこまでしていただかなくて大丈夫だと、私が丁重にお断りして入口付近で待ち合わせしたのだ。約束の時間より早く着いてしまったのも私だし、フォリス様に一切非はない。
それに……
「あれくらい、全然平気です」
エトワールの女癖の悪さのせいで、社交界で私はもっと謂われのない言動を受けてきた。
国が平和なのはありがたいけれど、おかげでみんな暇なのだ。ゴシップ関連の噂話は格好の餌食となる。
「それよりフォリス様こそ、魔王であるという話がもう広まっているようですが……」
せっかく隠していたというのに、バレてしまっては色々と困ることがあるのではないだろうか。
先ほどのように、結婚相手を捜している他の令嬢からも言い寄られているかもしれない。
だってフォリス様はやっぱり素敵だから。
見た目ももちろんだけど、魔王と結ばれれば不老を手にできるということは、人間の間では伝説のように語り継がれてきたこと。
それはたぶん契りの儀で魔王から魔力を注がれることで得られるのだと思うけど……。
人間は欲深い生き物だ。いつまでも若く、綺麗でいたいと願う女性たちからすれば、こんなに素敵な魔王が花嫁を捜しにこの国に来たと聞けば、是が非でもその座を勝ち取ろうとする者がいてもおかしくない。先ほどのキャネルのように。
「私の心配をしてくれてありがとう。でも私は大丈夫。それこそ慣れているからね」
小さく笑みをこぼしてそう口にするフォリス様は、やはり自国でもモテるのだろうか……。
もしフォリス様と婚約して、クロヴァニスタへ嫁いで、キャネルのような女性の魔族が現れたらどうしよう……。
人間の私が勝てるはずがない。
最悪、殺されてしまったりして……?
「……」
「どうした?」
「……フォリス様は、本当に私が相手でよろしいのでしょうか」
「うん?」
「その……クロヴァニスタには強くて綺麗な方が、たくさんいらっしゃるのではないかと……」
不躾な質問ではないかと気にしつつも、おずおずと尋ねる。
契りの儀を別の相手で交わし直すことはできないようだけど、妾をとったりはできるかもしれない。
やめてほしいとか、そんな我儘を言える立場ではないけれど、やっぱり嫌。
「ふふっ」
「……どうして笑うんですか」
真剣に考えていたのに、目の前でフォリス様は息を漏らして笑った。
「いや……すまない、嬉しくて」
「え、嬉しい……?」
「ああ、君は本当に可愛らしい女性だ。心配しなくても大丈夫。魔族は人間と違って一途な種族だ。一度決めた相手と一生添い遂げる。妾など、必要ない」
「……っ」
また、心の中を読まれてしまったのだろうか。
魔王の能力? それとも私の顔に出ているのだろうか……。
「……そうなんですね」
「私のほうが心配だよ。魔族には見た目がよく、強い男が多いから。君が他へ目移りしてしまったら、俺はそいつを殺してしまうかもしれない」
「……」
とても、笑顔で語られていい内容ではない気がする。
……冗談ですよね?
〝俺〟という一人称に、その質問はなんとなく怖くて聞けなかった。
「他に気になることはある?」
「え?」
「言っただろ? 君の不安はすべて取り除くと」
「あ……」
そうだ。そう言えば、あのときそう言ってくれていた。
「……」
「教えて?」
とても優しく聞いてくれるから、私は思わず口を開かされてしまう。こんなことを言えば、気分を悪くさせてしまうかもしれないというのに。
「……人間である私が、クロヴァニスタでうまくやっていけるのか、不安です」
思い切ってその不安をこぼすと、フォリス様は少し考えるように顎に手を置き、私を見据えて言った。
「ティアローゼはクロヴァニスタに来たことがないんだったな」
「はい……」
「そうか。では一度招待しよう」
「えっ」
「来てみて、自分の目で確かめるのが一番だ」
「それはそうかもしれませんが……」
そんな簡単なことなのだろうか?
ううん、それよりも一度行ったら最後、もう後戻りできなかったりして……。
「大丈夫、取って喰いやしないから」
「え……っあ、いや……」
「どうだろう?」
ふっと笑うフォリス様。
……でも確かに、それが一番確実で手っ取り早い方法かもしれない。
それに、いつまでもフォリス様をこの国に留めておかずにも済むし。
「では……そうしてみます」
「うん、よかった。こちらはいつでも大丈夫だが、都合をつけられそうか?」
「はい、私はもう予定がないので、お父様にも確認してみます」
「ああ、私のほうからも戻ったら伝えておくよ」
「はい、よろしくお願いします」
きっと、父は喜んで行ってこいと言いそうだけど……。
そんな約束を交わして、馬車が屋敷に到着すると私たちは別れた。
フォリス様は屋敷の入口までエスコートしてくれた。
その背中を見送って、私はもう少し一緒にいたかったと思っている自分に気がついたのだった。