18.あの令嬢は
その後自室へ戻り、最終的な支度を済ませた私は侍女に手伝ってもらいながら荷物を持って、お城入口付近の広間でフォリス様を待った。
彼とここで落ち合う約束をしたのだけれど、まだ少し時間がある。
「どうしてですの!? わたくしはロンデール伯爵の娘ですのよ!」
そのときだった。
王城入口のほうから、女性が高い声で何か喚いているのが聞こえた。
「陛下より、あなたは通すなと言いつけられておりますので。どうぞお引き取りを」
「嫌よ、通してちょうだい!」
そちらに顔を向けると、どこぞの令嬢が騎士と揉めていた。
大声で叫んでいるせいで注目を集めている女性は、長い金髪を派手な縦巻きにセットし、大きく胸元の開いた服を着ている。
……どこかで見た顔だわ。
「ですから、そう言われましても……!」
「どうされたのですか?」
もやもやと嫌な記憶が呼び起こされるけど、あんなに騒がれて見て見ぬふりもできない。
一つ溜め息を吐いてそちらへ足を進め、騎士に問いかける。
「はぁ、実は」
「あなた……!」
騎士が話そうとしたのに、彼女は私の顔を見るなり食いつくように迫ってきた。
私に身体を向けていた騎士が、「あっ」と声を漏らす。
「エトワール様に婚約破棄されたそうですわね」
「……ええ、まぁ」
学生時代ぶりにきちんと顔を合わせたというのに、挨拶もなしに突然そう言うと、彼女はふっと鼻で笑って見せた。
「お気の毒に……。でも、元々お相手にされていませんでしたものね。エトワール様はいつも申しておりましたよ、自分の婚約者はまったく可愛げのない女だと」
彼女は学生の頃から何かと私に張り合ってくるところがあった。
エトワールのことが好きで嫉んでいたのか、侯爵令嬢で魔力の強い家系に生まれた私を僻んでいたのか知らないけれど、何かとこうして突っかかってくる。
……やっぱり関わらないほうがよかったかも。
そう思って後悔し、彼女に気づかれないよう溜め息を吐いたときだった。
「ティアローゼ」
後ろから、フォリス様が私を呼んだ。
振り返り、お応えしようと微笑むと、後ろから素早く私の横を通り過ぎ、私より先に誰かが彼の前に立った。
「こんにちは、フォリス・クロヴァニスタ魔王殿下」
……キャネルだ。
「わたくしのこと、覚えていらっしゃいますか? 以前ご挨拶させていただいたことがあるのですが、改めまして、キャネル・ロンデールと申します」
彼女は大きな胸をアピールするようにフォリス様の前で膝を折って少し前屈みになった。
「……」
フォリス様は無表情でキャネルを見つめている。
「クロヴァニスタの魔王殿下でいらっしゃったのですね。なんでもこの国へ花嫁を捜しにいらしたとか」
……どういうつもり?
フォリス様は今私の名前を呼んで、私に話しかけようとしたのは明らかだったのに、それを遮るなんて。
この方がクロヴァニスタの魔王だと、本当にわかっているのだろうか。
「クロヴァニスタにはとても興味がありますの。よろしければ、わたくしと少しお話しいたしませんか?」
先ほど私に何か言ってきたときとは違い、えらく猫なで声でキャネルは言った。
しかし、魔王様相手にそんなことが言えるなんて、よほど自分に自信があるのね。
それについ数日前までエトワールと逢い引きしていたくせに、次はフォリス様とは……。
クロヴァニスタの魔王が騎士に扮してお忍びでこの国に来ていたことは、あっという間に広まってしまった。
その目的がどうやら花嫁捜しであるらしいとの噂も、あのときあの場にいた従者の誰かが広めてしまったのか、キャネルは知っているようだ。
けれどその相手が私だということまでは聞いていないのだろうか……? いや、彼女の場合は知っていてやっている可能性も大いにあるのだけど。
噂というものはどう広がっていくのかわからない。
「すまないが、私はティアローゼに用があるのだが」
「あら、彼女はエトワール殿下に捨てられた身なのですよ? フォリス殿下がお相手をするような方じゃありませんわ」
彼女から発せられたその言葉に、フォリス様がピクリと反応した。
しかし、やはり話は中途半端に広まっているらしい。
フォリス様が私に求婚してくれていることを、どうやら彼女は本当に知らなさそうだ。
それにしても、もう一歩距離を縮めてフォリス様にそっと囁くその姿は、とても魅惑的。
彼女はロンデール伯爵家の末っ子として生まれ、父や母、上の兄たちにも大層可愛がられ、甘やかされて育ったらしい。怖いもの無しのご令嬢だ。
出来がいいと言われている長女に劣等感を覚えているのか、やたらと権力に媚びたがる。
自分は姉の結婚相手よりもいい人のところへ嫁ごうと思っているのかもしれない。
学生時代から彼女とは親しく話したことがないし、興味もないから詳しくは知らないけど。
でもエトワールのように、フォリス様も彼女に靡いてしまうのでは……。
不安が胸を過ぎり、彼がどんな顔をしているのか見たくなくて視線を下げる。
「ああ、覚えていますよ」
けれど、フォリス様がふぅ、と短い息を吐いたのが聞こえ、私は顔を上げた。
「あなたは確か、婚約者のいる男性に日の沈まぬうちから王城で身体を開いていた、キャネル・ロンデール嬢だ」
「な……っ」
そして、声高々にそう言った。周りに居た者がくすくすと笑いをこぼす。
「申し訳ないが、私は尻軽には興味なくてね」
にこりと浮かべられた笑顔には、冷酷さが含まれている。
「しかしエトワール王子の婚約は白紙になったそうじゃないですか。よかったですね、今度はあなたが王子の婚約者にでもなって、他のご令嬢と戯れているところをじっくり眺めるといい」
口元だけを持ち上げているけれど、その瞳は決して笑っていない。
「なんてことを……!!」
「ああ、それから、エトワール王子は王位継承権も剥奪されてしまったようですが、自主都合で周りが見えていない者同士、あなたたちはとてもお似合いだ」
そこにいた騎士までも、ぷっと吹き出した。
注目を浴び、キャネルは耳まで真っ赤にしてふるふると小刻みに肩を震わせる。
「女性に対して、なんて失礼な方なのかしら……!」
「失礼なのはどちらですか。本当に、王子もあなたももう一度教育を受け直したほうがよさそうだ。私はそこにいるティアローゼ嬢に求婚した。私に対する不敬は見逃す。だが私の大切な人をこれ以上傷付けるなら、容赦しない」
そう言ってキャネルに向けたフォリス様の視線は、それだけで人を殺せてしまうのではないかと思えるほどに、鋭いものだった。
「ひっ……」
「あなたは一度ティアローゼを泣かせている。二度目はないぞ」
「も、申し訳……、ござ……」
キャネルの耳元でそっと呟かれたその言葉に、彼女はカタカタと唇を震わせた。
「二度と近寄らないでいただきたい」
そして、もう一度笑顔を作ってそう告げると、震える彼女を置いて、フォリス様は私へ歩み寄ってきた。
「ティアローゼ、お待たせ」
その顔にはもう冷酷さは残っておらず、とても穏やかな笑みが浮かぶ。
「さぁ、行こうか」
「はい……」
……怖っ!
何ですか、その切り替えしの早さは……!!
そう心の中で突っ込んで、「荷物は?」と問いかけてくるフォリス様に「あちらに……」と、控えていた侍女のほうを向いて、私もぎこちなくだけど笑顔を浮かべた。
……やっぱりこの男は魔王だ。
敵とみなせば、容赦ない。
この男を怒らせてはならない。
そんな覚悟をした、私だった。
なんとか今日中にやっつけられました。
次の更新は明日の朝です。
甘々目指して魔王様には頑張ってもらいます!!
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