14.薔薇の庭の王子様
「思い出した? 俺のこと」
フォリス様は少しあどけなさが垣間見えるような、無邪気で純粋な笑みを浮かべて問いかけてきた。
「……薔薇の庭の、王子様……?」
「そう」
夢で見てきたその人のことを呟くように口にすると、フォリス様はふっと照れくさそうに笑って頷いた。
口調が今までのものと違う。けれど、そのしゃべり方はなんとなく聞き覚えがある。
夢の中の王子様よりも低く、大人の男性の声だけど、この蜂蜜色の綺麗な髪と、ヘーゼルナッツのような榛色の瞳は、間違いなく私が子供の頃から夢に描いていた王子様だ。
〝いつか迎えにいく〟
そう言って、王子様は少女の額にキスをする。
……あれは、夢じゃなかった。
潜在的にそう願っていたのは、昔彼と約束したからだったんだ。
「本当に来てくれたんですね……」
「俺は嘘をつかない。……なんて、偉そうなこと言っても、これは父のおかげなんだが」
「お父様……?」
「ああ、大魔王フェルガンに、早く嫁を連れてこいとせがまれてね」
「そうだったんですね」
フォリス様は少し照れくさそうに笑った。
……でも、本当に嘘みたい。夢みたい。
私の憧れの王子様は、実在したんだ。
「すまない、肩は痛くなかったか?」
「え? あ、はい。大丈夫です」
申し訳なさそうにそう聞いたあと、フォリス様は落ちてしまっていたマントを拾った。
けれど、さっきのはどういうことだったんだろう。
フォリス様は何か、とても興奮されていたようだった。
「……あの」
「その印」
「え?」
それを聞こうと口を開くと、フォリス様は再び、今度は穏やかな瞳で私の胸元に視線を向けながら言った。その眼差しに私の身体は熱を帯びる。
嫌というよりも、恥ずかしい気持ちが勝っている。
けれど彼は、エトワールのような下心のある視線ではなく、愛おしげに左胸の痣を見つめている気がした。
「これは、子供の頃にできてしまって……怪我や火傷をした記憶はないんですけど」
「うん、それはそうだろうね」
「え?」
コンプレックスであるとも言える痣を見られてしまい、少し恥ずかしい気持ちになりながらも説明すれば、私の言葉にクスッと笑みを浮かべてフォリス様は言った。
「すまない、ティアローゼが私のものだという証だから。つい嬉しくて、少し舞い上がってしまった」
「……どういうことですか?」
口調が戻った。それに、さっきもこの痣を見て「やっぱりあなただ」って言っていた気がする。
一体どういうことかしら。
「うん。昔約束しただろ? 大人になったら迎えにいくと」
「……はい」
「魔王には一生に一度、ただ一人心に決めた相手に執り行う、ある儀があってね」
フォリス様は穏やかな口調で話し始めた。それを真剣に聞く。
「妻にすると決めた者に行う〝契りの儀〟これを交わした相手の胸には、魔王の伴侶の証として印が刻まれる。私は十年前、あなたにそれを行った。まぁ、まだ未熟だったから完全ではなかったが、それでもうっすらと、あなたの身体には私の魔力が宿っている」
「え……?」
フォリス様の魔力が……?
まっすぐな彼の視線を浴びて、私も応えるように見つめ返し、考えた。
それじゃあ……
「あの、私には子供の頃から他の人にはない、特別な力がありました……! 魔物に襲われなかったり、花や木の精霊と話ができたり! それって、フォリス様の魔力のおかげなのでしょうか?」
ちょうど母が亡くなったときからだったから、母からの贈り物だと思い込んでいた。
けれどそれは、フォリス様と出会った時期と重なる……。
「うん、そうだと思うよ」
フォリス様は嬉しそうに微笑んで答えた。
「私の魔力がティアローゼにうまく馴染んでいたようでよかった」
「……でも、妻にする相手に行うって……もし、私がフォリス様と結婚しなかったらどうなるのですか……?」
おそるおそる、聞いてみた。
フォリス様は少し困ったように眉を下げて笑い、口を開く。
「そしたら私は大魔王にはなれない。強い世継ぎを残せるのは契りの儀を行った相手とだけで、世継ぎを残せなければ大魔王にはなれないからね」
「大魔王になれないと、どうなるのですか?」
「魔王でも国を統治できるが、大魔王に比べるとその力は劣る。新たな魔王が誕生し、その者が大魔王になるまでは、決して油断出来ない時間を送ることになるだろうね」
「……」
クロヴァニスタのおかげで、コルリズ王国も邪悪な魔物から守られている。
それはおそらくクロヴァニスタ自体も同じなのだろう。
国王の力が弱まれば、そこに付け入ろうとする者が現れるかもしれない。
それに、人間の国の王と違い、魔王が誕生するのは数百年に一度と言われているのだ。
それってつまり、フォリス様は私と結婚して子供を儲けなければ大魔王になれないということで、大魔王になれなければクロヴァニスタも、その周辺諸国すらも危険な数百年を送ることになるということ……?
「他の相手にもう一度行うことはできないのですか?」
「うん、たとえ完璧に済んでいなくても、一度交わしてしまえばその相手としか、執り行えない」
「……それじゃあ、私がフォリス様と結婚しなかったら、クロヴァニスタは困りますよね……」
「そうだね」
「……」
迷いなく答えるフォリス様に、私は言葉を詰まらせた。