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10.彼の心

 それから二週間ほど経ったが、相変わらず目的の少女は見つかっていない。


 それよりも、俺の心はエトワール王子の婚約者、ティアローゼ嬢のことでいっぱいだった。


 リーリエ侯爵は娘の話をよく聞かせてくれる。

 彼が話すティアローゼ嬢の話も、俺はとても好きだった。

 想ってはいけない相手だと知りながら、話を聞いてはそれを想像して胸を熱くさせた。


 更に城でもつい彼女を捜し、目に映ると胸を高鳴らせる日々。


 話しかけたい。しかし、それは叶わない。




 そうして過ごしていたある日、王城内の廊下を一人で歩いているときだった。

 角を曲がろうとしたとき、俺は前から走ってきた女性とぶつかってしまった。


「おっと」


 城内を走るとは、お転婆な令嬢もいるのだな。

 そう思いつつ、弾かれてしまった彼女の身体を支えてやる。

 ほっそりとした華奢な体躯だが、やわらかい。


「すみませんっ……」


 女性は透き通るような美しい声で謝罪の言葉を口にし、俺を正面から見つめた。


「……」


 リーリエ侯爵の娘……ティアローゼ嬢――。


 俺にぶつかってきたのは、その人だった。


 近くで見る彼女の姿は、想像以上に美しかった。

 サラリと揺れる長い髪、可愛らしい桃色の唇、絹のようになめらかな頬、そして宝石かと思ってしまうほどに輝いている大きな瞳の中の碧眼は、俺を吸い寄せるように甘く、潤んでいた。


 そして、ポロリ――と、一雫の涙がこぼれ落ちた。


 途端にドキリと胸が鳴る。


「すみませんっ!!」

「ああ、これは失礼」


 その美しさに見惚れてしまっていたことに気がつき、慌てて手を離す。


「……大丈夫ですか?」

「はい、ちゃんと前を見ていなくて」

「あなたがそんな顔で歩いていては、お父上が悲しみますよ」


 ドキドキと高鳴っている鼓動がバレてしまわないよう、口元を引き締めて言い、彼女にハンカチを差し出した。

 涙を流している理由はわからないが、何か悲しいことでもあったのだろうか。


「え……?」


 しかし、彼女は自分が泣いていたことに気づいていなかったのか、頬に触れてハッとした。


「どうぞ」

「……ありがとうございます」


 もう一度言うと、素直に受け取り涙を拭うティアローゼ嬢。


「……あなたはいつも堂々としていて、とても気丈な方のはずだ」

「え?」

「いつも見ていますよ、リーリエ侯爵の隣で」

「あ……」


 彼女は二週間ほど前から、エトワール王子に嫁ぐための花嫁修業で、この王城へやってきている。


 リーリエ侯爵は彼女の姿を見る度に「ティアは今日も可愛い」と呟き、その存在をそっと見守っていた。

 隣で俺も一緒に、何度「うんうん」と頷いたことだろうか。もちろん、心の中でだが。


 婚約者(あんな男)のために勉強に励む彼女が健気で奥ゆかしく思えた反面、エトワールのだらしなさには怒りを覚えていく。


「あの、これ……ありがとうございます。洗ってお返ししますね。ええっと……」

「フォリスです」

「……フォリス、様?」


 必要以上に詮索されないよう、きつめの口調で言ってしまった。だがティアローゼ嬢は嫌な顔をせず、丁寧な挨拶をしてくれた。

 その様子も、他の令嬢とは違った。


「あなたのことはよく知っていますよ」


 だからつい、余計なことを口走ってしまった。

 彼女は「え?」というような顔をした後、父が思い当たったのか、恥ずかしそうに頬を染めた。

 とても可愛くて、ついニヤけてしまいそうになる。


「それはお気になさらないでください。よろしければ差し上げます。いらなければ捨ててください。それでは、私はこれで」

「あ……」


 だから自分に活を入れ、わざと低い声で早口にそう言い、くるりと彼女に背を向けた。


「ああ、それから」


 けれど、最後に一言だけ伝えよう。そう思い、もう一度彼女を振り返る。


「あなたにもいつか、必ず幸福が訪れますよ」

「……」


 深い意味はない。ただ、彼女の日頃の努力や苦悩がわかるから、それが報われるといい。涙を流していた理由は聞けないが、せめてそう思って告げた、無責任な言葉だった。




 しかし、これ以上王宮(ここ)にいても例の少女は見つからないかもしれない。

 たとえ見つかったとしても、どう育っているのかわからないし、ティアローゼ嬢に心を奪われてしまっている今の俺に求婚されて喜ぶはずがない。


 ……初めてティアローゼ嬢(彼女)と言葉を交わしたが、その声はとても澄んでいて、心地のいいものだった。


 彼女と交わした会話を心の中で呼び起こす。

 それだけで身体が熱くなってしまう。

 本当に俺は、どうかしてしまったようだ。


 これほどまでにティアローゼ嬢に惹かれてしまっている今、例の少女が見つかったとしても傷つけてしまうだろう。

 ならばこのまま諦めて帰ろうか。そう思いながら廊下を歩いていると、客室から声が聞こえた。


 こっちは先ほどティアローゼ嬢が走ってきた方向だ。


 何事かと、閉まりきっていない扉から中を覗き、俺は怒りに打ち震えた。


 ああ、なるほど……。そういうことだったのか。


 ティアローゼ嬢の涙の意味がわかった。


 彼女の婚約者は最低のクズ野郎だということが、今ここで確信に変わった。


 エトワール王子に絡みついている女は確か、ロンデール伯爵のキャネル嬢だ。俺にもアプローチしてきた、下品な女だ。


 ティアローゼ嬢の涙を思い出す。


 彼女にできないなら、いっそ俺が報復してやろうか――。


 そんな、魔族のような(・・・・・・)考えを思い浮かべながら、俺は国王の元へ足を進めた。

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