01.最低な王子様
「この者は私に不敬を働いた! よって、婚約破棄を言い渡します!!」
国王や騎士、従者たちの目の前で、この男は婚約者であった私の腕を酷く乱暴に、まるで投げ捨てるように解き放って叫んだ。
勢いよく放されて、よろよろとふらつきながらも転ばぬようにぐっと堪える。
前を見れば、国王たちが何事かと理解できない様子で目を見開き、じっと私のことを見つめていた。
――最悪だわ。どうしてこんな目に遭わなきゃいけないの……。
一体私が、何をしたと言うのだろうか――
*
話は今朝に遡る。
――また、だわ。
またあの〝色ボケ王子〟が、昨夜女を抱いてきた。
「おはよう、ティア」
「……おはようございます、殿下」
チカチカする長い金髪を後ろで纏め、その首元に咲いた新しい赤い華を気に留めることなく爽やかな笑みを浮かべているのは、この国の第一王子、エトワール・コルリズ。
私の婚約者。
この男は、その痕に気がついていないのだろうか。
気づいていてそのまま来たのなら、救いようのないクズだ。
……どっちにしても、最低であることに変わりないけど。
この世界には魔法や魔物が存在する。
この国、コルリズ王国に住む王族や貴族はみんな、生まれながらに魔力を持っている。
特に王族は多くの魔力を有しており、国に強い結界を張ることができる。
その力で国に魔物が侵入することを防いでいるのだ。
私はリーリエ侯爵家の長女、ティアローゼ。
父は宰相を務めており、リーリエ家の者は代々王家にも匹敵するほど強い魔力を持って生まれる。
特に私は子供の頃から他人にはない特殊な力を持っていた。
ウルフに噛まれそうになったにも関わらず、飛びかかってきたウルフは私に触れることができずに逃げていったり、花や木に宿る精霊と話ができたり。
子供だった私は母が病気をしていたことにも気づかず、最後まで笑顔でいてくれた母に何もしてあげることができずに亡骸を見送った。
私が特殊な力に目覚めたのは、ちょうどその頃だったと思う。
だから私は、これは母が残してくれた特別な力なのだと思い、人には話さず大切にすることにした。
そしてその二年後――私が十歳になった時、同い年であるこの国の第一王子との婚約が決まったのだった。
その頃にはもう国のための結婚は覚悟していたけれど、本当は結婚するなら好きになった相手と――。
そう、心のどこかで望んでいた。
だからエトワールのことを本気で好きにならない限り、たとえ結婚しても母から授かったこの力のことは内緒にしているつもりでいたのだ。
幸いエトワールは見た目もよく、優しく穏やかな性格をしていた。
だから彼のことを好きになれるかもしれないと、期待した時期もあったのだけれど……。
私たちが十六歳になった頃からだろうか。
そのルックスの良さと権力を狙い、エトワールに言い寄ってくる女性が現れ始めた。
最初は困っている様子のエトワールを見て、こういうことも仕方のないことだと思っていたけれど、そのうちエトワールもその女性たちを拒まなくなっていった。
男としての性に目覚めたのだろう。
この国の王族には一夫多妻制が認められている。
だから婚約者がいても、女性たちはエトワールに色目を使って近づいた。
一夫多妻制は知っていたけれど、エトワールはそんなことしないだろうと、若き日の私はなんの根拠もなく期待していた。
たぶんそれは私の理想。
お伽噺で聞いたような、素敵な王子様が一途で一心に私を愛してくれる。
そうしていつまでも幸せに暮らしていく……。
子供の頃に母が寝る前に話してくれたお伽噺を、夢に描いてしまっていたのだ。
夢の中で王子様は、「いつか迎えに行くからね」と言って少女の額にキスをする。
そんな王子様がいつか本当に迎えに来てくれると思っていた。
けれど、それは叶わない。
私の王子様はお伽噺に出てくるような人ではなかったから。
所詮、大人になれば男はみんな色香に走る。そういうものだと、割り切るしか今の私にはできない。
そしてエトワールの女遊びは日に日に酷くなっていった。
結界のおかげか、国は魔物に襲われることなく、特にここ数年はとても平和だった。
その平和にボケてしまったのか、エトワールは言い寄ってくる女性を片っ端から抱いているという噂も聞こえ始めた。
夫には一途に自分を見てほしい。
その夢は、結婚前に砕け散った。この王子ではそれは叶わない。
諦めてもいたけれど、この王子のことを見るだけでも汚らわしいと感じるようになったのは、それを隠そうともしなくなったから。
仮にも私という婚約者の前でくらい、弁えるべきでは? キスマークくらい隠してほしい。
ただでさえ、私は結婚前から王子に相手もしてもらえないかわいそうな婚約者だと、社交界の若い世代の間で嗤われているのだから。
そうして、エトワールにどんどん嫌悪感が募っていった。
十八歳になり学園を卒業した私は、婚姻前の一年間を王城で過ごすことになっていた。
悲劇の始まりはそんなある日、突然私の前に降ってきたのだった。