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アッシュという失礼な女(2)

 天空タワーの最下層に、接続されている中継ターミナルは静かだった。


 活気にあふれた地上の賑やかな雰囲気に比べると、シャトル乗り場には、ほとんど人がいない。手続きカウンターや改札等は、すべてオートメーション化されていて、荷物の運搬も機械が行っているようだ。


 天空タワー内部につながるゲートを抜けると、吹き抜けのホールになっていた。大理石や金細工、クリスタルのシャンデリアなど煌びやかな内装に出迎えられる。


 本来は一般公開する予定すらなく、選び抜かれたセレブだけに開放するつもりで、建設されていたというだけあって、金のかけ方が尋常ではない。子供がうろうろするような場所ではないという、重厚な雰囲気がフロアを支配していた。


 奥のほうで、女性型の添乗員ロボットが、手招きをしているのが見えた。


 その顔が、なんだか死んだ母に似ている気がした。写真の中でしか見たことがない、学生時代の母にそっくりだった。


 もう生きているわけもないのに。

 思わず駆け寄って、抱きついてしまいそうになる衝動を、必死に抑えた。


「交流会の参加者は、こちらへ集合してください」


 手足の一部が、スケルトンになっている。わざと内部の機械部分を見せることで、未来感を出そうという演出のつもりだろう。それがなければ、ロボットだとわからないぐらいに、動きも喋り方も滑らかだった。


 声まで似ている。二度と聞くことはないと思っていた声に、こんな空の上で遭遇するなんて。胸がキュッと苦しくなる。


 落ち着け。これはただのロボットだ。私の母はもういない。

 大きく深呼吸をしてから、添乗員ロボットに近づいていく。


 他の参加者は、すでに集まっているようだ。

 私が列に並んだ時、アッシュが少し離れたところで動きを止めた。


「そこ邪魔だから、どいてもらえますか」


 私の横から声をかけてきたのは、双子の姉妹だった。携帯端末でホールの内装を撮影しているようだ。赤と黒のゴスロリ衣装を着ている。金髪のツインテールと、ビスクドールのようにパッチリとした目が印象的だ。


 胸元のワッペンには『2』と『7』の数字がそれぞれ書かれている。彼女たちも、交流会の参加者のようだ。


「あ、すみません」


 私が移動すると、姉妹はお互いを撮影しあっている。SNSにでも投稿するのだろうか。

 双子は他の参加者から声をかけられて、握手をしたり、サインをしたりしている。有名人のようだ。


「ちょっとだけ、お願いします」

「しょうがないなぁ」


 双子のゴスロリ姉妹は、その場でダンスをしながら、アカペラで歌いだす。あまり芸能関係に詳しくない私でも覚えているぐらいに、街中でよく流れている曲だった。


 ボーカロイドみたいな独特な歌声は、とても上手で、可愛らしい。ホールにいる人たちが、みんな振り返って拍手をしている。


 こんな有名そうな人が呼ばれているのに。

 なんで私みたいな、地味な女子高生が呼ばれちゃったのだろう。恐縮しすぎて、透明になってしまいそうだ。


「参加者の皆さん、気分の悪い方はいませんか。……大丈夫ですね。では点呼を取りますので、挙手をお願いいたします」


 添乗員ロボットが名前を読みあげていく。返事をしている参加者の中には、アース・ポートで見かけた赤髪の女子や、民族衣装を来た褐色の男子もいるようだ。


 様々な国からやってきた学生が揃っている。髪、目、肌の色がみんな違う。交流会がなければ、きっと出会うこともなかった人たちだ。アッシュの名が呼ばれる前に、九人が挙手を終えた。


 気がつくとアッシュの姿は見えなくなっている。


「みなさん揃っているようですね」


 交流会の参加者は十人だったはずだ。私は添乗員ロボットに質問した。


「あの、もう一人は」

「お一人は出発直前に駅のトイレでアクシデントに見舞われたということで、今回は辞退したいという連絡がさきほどありました」


「すみません、リストを見せてもらってもいいですか」


 端末に表示されたリストに、アッシュという名前はなかった。読み上げられていないのは『青衣』という生徒のようだ。リニアで見た時は、確かにワッペンをつけていたはずなのにどういうことだろう。


 偽物だったのだろうか。よくわからない。けれどあの嫌味女子が、交流会の参加者でないのなら、これから会うこともないだろう。むしろ喜ぶべきなのかもしれない。


「まずは本日滞在する、ホテルの部屋割りを発表いたします」


 添乗員ロボットが、部屋番号を読み上げながら、カードキーを配っていく。


「それではホテルへご案内いたしますのでついてきてください」


 添乗員ロボットに続いて、参加者たちは移動を始めた。到着したエレベーターに次々と乗り込んでいく。


「ホテルのある上層階は、人工重力装置が作動していますので、エレベーター内で落下による怪我をしないように、十分お気をつけください」


 エレベーターは上昇し始めた。




 ホテルのあるフロアに到着して、重力が戻った瞬間、体に感じる重さは強烈だった。


 真夏に冷房の効いた部屋から、太陽の照りつける外に出た瞬間のような、ダルさを感じる。微重力を体験したのは、そんなに長い時間ではないはずなのに、体というのは、楽なほうに慣れることにだけは貪欲らしい。


「体調悪い方いませんか。……大丈夫そうですね。それではご案内します」


 あまり頻繁に行き来をすると、体調を壊しそうだが、微重力のままにしてあるのは研究用のフロアが主で、一般人が利用する場所のほとんどは、人工重力が発生しているようなので、それほど問題はないのかもしれない。


 こんな風に重力のことを、心配する日が来るなんて、孤島の山奥に住んでいた、去年までの私ならありえなかっただろう。改めて天空タワーに来たのだと、ようやく実感し始めていた。胸が高鳴っている。鼓動が早くなっていた。


「今回は新しいスポンサー様のご意向で、天空タワーの中でも、最高級のホテルをご用意させていただきました」


 新しいスポンサーというは、バベル社をはじめとする大企業が参加している『世界経済倶楽部』だった。いわゆる儲けている会社が、社会貢献と称して、利益の還元を行っているとアピールするための集団だ。組織が発足したのは、一年前のテロ事件の後だ。


 昨年のテロ事件で標的となったのは、名だたる大企業が所有している高層ビルばかりだった。大企業だけが儲けているのは許せないという意思で、結託した貧困層が、SNSで呼びかけて、全世界で同時多発的に自爆テロを起こしたのだ。

 逆恨みとしか思えないような、「我々の人生がうまくいかないのは、金を搾取している大企業とセレブたちのせいである。強欲な者たちに、天の裁きを」という声明を残して、テロ実行犯たちは、命を投げ出した。結果的に、数多くの関係ない善良な市民が巻き込まれ命を落とした。


 同じような事件が、再び引き起こされないようにと、ガス抜きの目的で作られたのが『世界経済倶楽部』だった。実際に効果があったのかはわからないが、ARグラスによる危険人物の割り出しや、警戒が徹底され始めたこともあり、少なくともあれから今まで、大規模なテロ事件は発生していない。


 過去最大で最悪と言われた、同時多発テロ事件で母を失ってから、明日でちょうど一年だった。去年の誕生日は、文字通り最悪な一日となった。


 今年の誕生日は、地球にいたくなかった。どこにいたって、母が死んだという事実は消えはしない。それでも母の命を奪った、身勝手な人間がいた地球で、誕生日を迎えたくはなかった。だから、今回は交流会に参加できたのは、ある意味ラッキーだったのかもしれない。


 この天空タワーからの景色を、母と一緒に見たかったが、その夢はもう叶わない。母の代わりに、私がしっかりと記憶に焼きつけなければならない。


「世界に二つと無い、極上のホテルです。度肝を抜かれないように、お気をつけください」


 添乗員ロボットの説明は、ハードルを上げすぎではないのかと思ったが、それは杞憂に終わった。案内されたホテルは確かに唯一無二の代物と言って間違いなかったからだ。


 エレベーターを降りた瞬間から、すでに別世界だった。かすかに波音が聞こえてくる。


 通路を曲がって広いフロアに出ると、人工的に作られた砂浜と海の上に、コテージが並んでいた。天井はモニターになっていて、朝日から夕日、夜空までゆっくりと移り変わるように設定されているようだ。


 まさか空中に浮かぶ天空タワー内に、海辺のリゾート地があるなんて、誰が予想しただろうか。狂気の沙汰と言っても良い。


「荷物を置いたら、一時間後に、最上階に集合してください。礼拝堂での表彰式の後は、立食パーティーを予定していますので、遅れないように、よろしくお願いいたします」


 添乗員ロボットの説明を聞き終えると、交流会の参加者と別れて、それぞれの部屋に向かう。


 コテージにつながる連絡通路は、どこを歩いても絵になるように、客の視点を意識したオブジェが配置されていた。靴底が埋まりそうなほど、毛足の長い絨毯や、飾り扉一つを取っても、手間と金のかかっていそうな作りになっている。たった数メートル移動するだけでも、何度も感動するほどの仕掛けが、ほどこされていた。


 突き当たりの一番奥に、私の部屋はあった。カードキーをかざして、扉を開けると甘い香りがしてくる。テーブルの小さな花飾りに、ウェルカム用のメッセージカードが飾られていた。桜の花びらが描かれたカードを開くと、世界共通言語でなく、私の故郷の漢字とひらがなを使った、メッセージPVが流れ出した。


 テーブルの上には、オレンジやリンゴを飾り切りにしたフルーツ盛りや、チョコレートのセットが並んでいる。私の好きなものばかりだった。用意されていたミルクココアを口にすると少し甘めで、私が最近好んで飲んでいる銘柄と同じ味がした。


 ARグラスの映像情報や、検索結果で常に趣味趣向をトレースされ、ビッグデータとして利用されている世の中は少々窮屈だが、こういう場面では役に立つようだ。子供相手でもおもてなしに手を抜くつもりはないらしい。いかにもプロの仕事という感じで好感が持てる。


 調度品も高級なものばかりで、洗練されていて趣味も良い。配置や色合いなど、人がどうすればリラックスできるかが、すべて計算しつくされているようだ。初めて来たはずなのに、何度も訪れている馴染みの場所のようにくつろげる空間が広がっていた。


 バルコニーからは、人工の砂浜と海のどちらにでも、降りられるようになっている。部屋に備え付けられている端末を使って、フロントに頼めば、水着も用意してくれるようだ。何からなにまで、至れり尽くせりである。


 部屋の奥には、天空タワーの側面につながる通路があり、壁からはみ出した部分に、バスルームと寝室が、二つずつ設置されていた。壁紙を投影している表示部分をオフにすれば、宇宙の星空に包まれながら風呂に入ったり、寝室で眠ったりもできるようだ。


 まさに夢のようなホテルだった。見るものすべてに圧倒されて、立ち尽くしていると、部屋をノックする音が聞こえた。


 扉を開けると民族衣装姿の男子が立っていた。地上で泣き虫の兄に見送りをされていた、背の高いイケメン男子だ。


「ちょっと今いいかな」

「大丈夫です」

「隣の部屋みたいだから、挨拶しとこうと思って。ボクはジナーフといいます」


 ARグラスに、検索中のアラートが表示される。結果はグレードAだ。善良な市民と判断されたようだ。


 同時に灰色猫先生の『それなりのイケメンニャ。ターゲットを彼に設定するかニャ』というメッセージも表示されていたが、無視をすることにした。最上級といっても良いイケメンに対して『それなり』なんて評価する灰色猫先生に教わることなんて何もない。


「わざわざご丁寧に。有希・ドレイパーです。よろしくお願いします」

「こちらこそよろしく」


 私のお辞儀を真似したジナーフは、人懐っこい笑みを浮かべている。褐色の肌に白い歯が眩しい。大人びた表情が、笑った途端に小さな子供のように無邪気な雰囲気に変わる。雑誌の表紙でも飾っていそうな完璧な笑顔だ。


 地上のアース・ポートで見た時も、人目を引くタイプだとは思っていたが、近くで見るとキラキラと光る星を背負っていそうなぐらいに華やかなオーラに満ちていた。


「もしかしてだけど、有希って、あの『奇跡の子』なのかな」

「そう……呼ばれてたみたいですね」


 一年前の事故現場で、私だけが崩壊直前に助けられたことで、マスコミからは『奇跡の子』と呼ばれていた。私にとっては自分だけが助かり、母を目の前で失った記憶をセットで蘇えらせる、呪いの言葉でしかない。あまり嬉しい呼び名ではなかった。


 できるだけ考えないようにしていたせいか、当時の記憶は曖昧だ。なぜあの時、自分だけが助かったのかすら覚えていない。気がついた時には、母だけが崩壊に巻き込まれていた。母が目の前で落ちていく瞬間が、フラッシュバックする症状に、しばらく悩まされていたが、最近ようやく悪夢で目覚めることも減っていた。


「ボクの親友も、あの事故で亡くなってね。中継をリアルタイムで見てたんだ。生存者は絶望的って言われてたのに、君が発見されたとき、ボクは初めて、奇跡というものを信じたよ。ボクがいくら祈っても訪れなかった奇跡を、君は手に入れたんだね」


 ジナーフは突然、私の手を取る。


「無事で良かった。今はもうこんなに元気になって、本当に良かった。でも辛かっただろう。目の前でお母さんを亡くすなんて。大変だったね」


 ジナーフは感極まったように、手を震わせると、顔を歪ませボロボロ泣き始めた。


「この天空タワーだって、本当は怖いんじゃないのかい。大きなビルはあの事件を連想させるからね。もし悪夢にうなされたりして、眠れない夜があったら、ボクを呼んでくれていいから」


 一年も前のことを思い出して、人のために泣くなんて、地上で見送りをしていたジナーフの兄も号泣していたが、涙もろいのは遺伝なのだろうか。悪い人ではないのだろうが、初対面なのに急に泣かれても、どうすればいいのかわからない。だが親友を亡くしてもなお、私のために泣いてくれるジナーフを邪険にすることはできなかった。


「あの……もう泣かないで。全然大丈夫だから」


 私が曖昧な苦笑いを浮かべていたら、急に手を引き寄せられ、優しく抱きしめられた。


「大丈夫って言う人は、全然大丈夫じゃないんだよ。大切な人を目の前で亡くす辛さは、ボクも一度味わったことがあるんだ。何もできなくて……辛いよね。大丈夫だから。お母さんを救えなかったのは、君のせいじゃない」


 さらにぎゅっと強く抱きすくめられ、ジナーフが耳元で囁く。


「偽物の笑顔は遅いんだ。一度頭で考えてから無理やり作ってるから。無理をしている人を一人になんかしておけないよ。有希さえ良ければ、このままボクの部屋に来てくれないかな。話があるんだ。とても大事な話が」


 先ほどまでの明るい声とはまったく違う。大人びた絡みつくようなトーンだった。逃れようとしても、強く抱きすくめられていて動けない。


「お取込み中のところすまないが」


 スーツケースを持ったアッシュが、通路に立っていた。抱き合っている私とジナーフを冷めた目で見ている。


「そんなところに立たれていると、邪魔なんだが」


 ジナーフの抱きしめる力が、弱まった隙を狙って、私は彼の腕から離れた。

 アッシュは、ジナーフを睨みつけるようにしながら、隣をすり抜けると、さも当たり前という風に、部屋の中に入ってきた。ぐるりと内装を見回している。


「欲望の赴くままに、これだけのものを作れるというのは大したものだ」


 アッシュはテーブルに手を伸ばして、チョコレートを口にする。満足げに頷くと、携帯用のチョコが入ったケースを、いくつか黒スーツのポケットに忍ばせた。


「悪くない。君はもう食べたのか」

「ちょ、ちょっと何を勝手に」


「予定の部屋がキャンセルになっていた。仕方ないのでしばらくここに泊まることにする」

「は? 泊まるってどういう」


 ジナーフが眉をひそめながら、アッシュを見ている。


「有希、誰ですか、この失礼な女性は」

「誰って言われても」


 名前は知っているが、何者かなんて知らない。こっちが聞きたいぐらいだ。


 アッシュは近づいてくると、私の胸ぐらを掴んで引き寄せた。気が付いた時にはアッシュの唇が目の前にあった。


「……!!」


 口の中がなんだか甘い。チョコレートの味がした。どうやら私は、人生で初めてキスをしたらしい。これをキスと言って良いのならばだが。どう考えても接触事故のようなものだ。アッシュが唇を離すと、ジナーフに向かって言った。


「そういうわけだから。邪魔をしないでくれるかな」

「なんてことを。有希はこれからボクが」


 ジナーフは睨みつけている。アッシュは涼しい顔をして言った。


「僕の特技は、クラッキングのようなものでね。世界中どこにあろうが、ネットにさえ繋がっていれば僕に消せないものはない」


 アッシュは、ジナーフの胸元のワッペンに、指を突きつける。


「君の素性は割れてるんだ。これ以上、彼女にちょっかいを出すと、君のアカウントは消えるぞ。いくらチートでズルをしているとはいえ、二千時間以上やりこんだキャラが、一瞬で消えるのは嫌だろう。それとも君が今まで違法にダウンロードした、アニメのデータも全部消そうか、オタク王子くん」


 アッシュはニヤリと笑った。


「もちろん今見たことは他言無用だ。話したらどうなるか。わかるよな」


 唖然としているジナーフを、通路に突き飛ばすと、アッシュは扉を閉めた。




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