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少女薄野夜行

作者:

『また一人、若者が夜のすすきのに溶けていく。』


   ◇ ◇ ◇


『次は──すすきの──すすきの──』


 歳をとった、女の声のアナウンスが鼓膜を揺らす。

 日が暮れて、時刻は18時の少し前。地下鉄南北線の電車内は、満員まではいかなくとも、それなりの密度で帰宅中の人間が詰まっていた。

 その過ごし方は、大体皆同じだ。スマホを弄る女、スマホを弄るおっさん、スマホを弄る学生。稀に本を開く老人や、英単語を必死に覚える、僕のような高校生がいる程度。皆、スマホに支配されている事実が、目に見えて判る場所なのだ。


『まもなく──すすきの──すすきの──』


 単語帳から視線を上げる。

 目の前でスマホを弄っている──僕と同じ学校の制服を着た、ボブカットの清楚な女子が目に入った。

 僕は、彼女を知っていた。2年続けて同じクラスで、成績が常にトップで、学級委員長を毎回引き受けている。そのうえ、清楚な美人。僕は彼女を「どこか完璧な人間」だと感じていて、どこか憧れていた。


『すすきの──すすきの──』


 停車し、ドアが開く。ドア付近の人間が、濁流のようにすすきのホームに流れていく。

 背広を着た中年の群れに混じって、彼女も夜のすすきの駅に流れていく。


 まさか、と思った。まさか、彼女がすすきので降りるなんて、思っても居なかった。

 あの完璧な女子生徒が、こんな「夜のすすきの」なんかに、何をしに行くのか。僕は気になったのだ。


 気付けば、僕は彼女の後を追っていた。

 背広の群れに、混じって。


   ◇ ◇ ◇


 彼女は改札を出て、一番近い出口から街へ出た。ストーカー染みているな、なんて自覚しながら、僕も同じ道を追って行った。

 人間の臭いか、酒やヤニの臭いか。ほんのり臭う、どこか不快な臭いにしわを寄せながら、僕は階段を上る。


 そして僕は、その光景に圧倒された。

 何度も見た事のある筈の街が、全く違うものに見えた。


 膨大な人口密度。通勤ラッシュですら比較にならない程の、人間の量。

 休日の昼間は、スカスカだった筈の歩車分離式の交差点も、昼間はシャッターが閉まっていた店も、すべて、溢れんばかりの人間で満たされている。


 「夜のすすきの」に来るのは、初めてだった。

 そして、札幌にこんなに人間が住んで居る事を、初めて知った。


 チッと、後ろから舌打ちが聞こえた。冷や水をかけられたように、思考が引き戻される。

 黒いジャケットを羽織った、酒臭い、禿げ散らかしたおっさんが睨んでいた。

 道を妨げていたことに気付いて、「すいません」、と小さく謝る。


 はっと気付けば、追っていた筈の彼女は見失っていた。


   ◇ ◇ ◇


 ふらふらと、「夜のすすきの」を歩く。そして、ぼうっと考える。

 目的を失った僕は、何の意地を張っているのか、帰りもせず、通りを南に歩いていた。


 僕は「クソ真面目」と言われていた。遊びも、恋愛もロクもせず、黙々と勉強だけをする毎日。それが自分の為になると信じて疑わなかったし、「自分は遊んでる奴らとは違う」、とちっぽけな優越感に浸っていた。

 だから、僕は彼女に憧れていたのかもしれない。色恋とはまた違う、尊敬に近い感情。

 彼女の成績は、常に僕より上をいっていた。それに加えて、学級委員や、学校祭実行委員も引き受けていた。それでいて驕らず、他人を見下したような事は言わないし、弱音は一切吐かない。

 そのうえ、見た目まで気を遣っているのか、学校でもかなり美人の部類に入る。


 ──あの華奢な体のどこに、そんな体力と根性があるのかと、彼女を見るたびに思っていた。

 彼女のような完璧な人間は、いったい何を考えて生きているのだろうと、時折疑問に思っていた。




 別の高校の制服を着た、女子高生の集団とまたすれ違う。流行りの『タピオカドリンク』を片手に、自撮りを取ったり、恋愛の話をしたり、充実してそうな時間を過ごしているようだった。

 その女子高生達の楽しそうな声を聞いて、酷い劣等感に見舞われる。


 何故だ、何故だ。

 僕は他の奴らより、ずっと努力してきた筈だ。

 遊ばずに、真面目に生きてきた筈だ。

 なのに何故、「夜のすすきの」で遊んでいる、不純な女子高生の方が楽しそうに見える?


 ──もう、何も考えたくなかった。


   ◇ ◇ ◇


 気付けば、煌びやかな「夜のすすきの」の街からは抜け出していた。

 建物も古いものばかりになってきて、人もまばら。向こうには、広々とした「中島公園」が見える。すすきのと同じく、夜に訪れた事の無い場所だった。

 スマホのバイブレーションが鳴っていた。幸せな事に、「普段通りの時間に帰ってこないから」と、母親から心配のメールが入っていた。

 そんなメールにつられて時間を確認すると、いつの間にか、1時間半も経っていた。


「なにしてんだろ、俺────あれ?」


 ふとした違和感。

 ずっと探していたものが見つかった時の、体が宙に浮くような感覚。

 目を凝らす。

 交差点の対岸に、先ほどまで追っていた「彼女」が居る事に気付く。

 なんという幸運だ、と思った。同時に、こんな中心から離れた場所で、彼女は何をしているんだろう、と純粋な疑問を抱いた。


 信号が青になる。僕は小走りで、彼女の後をつけた。

 あの完璧なクラスメイトが、こそこそと何をしているのか気になった。

 遊びとか、そういったものとは無縁なイメージがある女の子が、こんな場所で何をしているのか、知りたかった。


「誰だ、あいつ」

 思わず、足を止める。

 彼女の隣に、20代中頃くらいの、如何にも不良といった感じの風貌をした、金髪の男が歩いていた。


 「へぇ、彼氏居たんだ。」そんな乾いた感想が、喉から漏れそうになって、飲み込んだ。

 あんな清楚な子が彼氏にするには、チャラくて頭が悪そうで、喧嘩っ早そうな男は、余りにも不釣り合いだと思った。

 きっと兄か、幼馴染か何かなんだと、僕は必死に思いこんだ。


 そして僕は、ここで引き返せばよかったと、後に後悔する事となる。

 暫く彼女をつけて歩くと、また少し、煌びやかな場所に出た。


 少し、臭いが違う。

 紫の液晶や、ピンク色のネオンサイン。ある建物はお洒落な看板を、ある建物はまんま「love」なんて文字を掲げている、如何にも「夜のすすきの」のイメージを体現した世界。


 その場所を、僕は今日初めて知った。

 本当に札幌という街にあるのか。一体どこにそれはあるのか。今までずっと、不思議に思っていた場所。

 ラブホテル街だった。


 頭が痛くなった。もう、何もかも投げ出して、ここから逃げてしまいたかった。

 否、逃げてしまうべきだったのだ。最後の希望くらいは、残しておくべきだったのだ。


 彼女は、建物の一つに、金髪の男と入っていった。肩を組んで。金髪の男の片手は、彼女のお尻を厭らしい手つきで撫でていた。


 たった、それだけの光景。

 一組の男女が、夜、ラブホテルに入っていく。たったそれだけの、世にはありふれた光景。


 だがそれは、僕を無力のどん底に落とすには、十分な光景だった。

 反射的に、僕はパシャリと、持っていたスマートフォンで写真を撮った。我ながら、最低だと思った。

 倦怠感と、脱力感と、吐き気と、無力感と──兎に角、色々な負の感情がぐちゃぐちゃに混ざった感情が襲ってきて、僕は暫く、その場から一歩も動けなかった。


 写真は、どうする気にもなれなかった。消す気にもなれなかった。

 僕は母親に「ごめん、今から帰る」なんてメールして、「中島公園駅」に向かった。

 「すすきの駅」には、もう戻りたくなかった。そしてもう、絶対に行きたくなかった。

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