5・執事様と夢
ティアラたちがスピネル公爵家に来て早二週間。
アリシアはいつものように剣術を学びながら自身の将来について考えていた。
(やりたいことをする…っていっても、特にしたいことがなぁ…)
強いていうならば楽しく生きていたい…くらいだろうか。
乙女ゲームのヒロインたるティアラがエドワードにしか興味がないと分かっているので、恐らくアリシアの身に危険が迫るということはないだろう。
そう考えると、今のように剣術を磨きもう少し成長したら魔術も磨いていきたい。前世にはなかったそういうものを楽しみつつ、誰かの役に立てるような仕事をしてみたい。
(そうなると魔獣を倒す冒険者とか…?)
アリシアに甘い父なら何とか許してくれそうだし、検討してみるか―と考えて、あわよくば…と続けた。
(もし、もしも叶うなら…シリウス様を遠くからでいいから眺めていたい…)
シリウス様―それは〈歌恋〉のメインヒーローであり、アリシアの最推しの名前だ。
本名は、シリウス=ウィル=ヴェルラキア。ヴェルラキア王国の第一王子にして、半年後にはもう王太子になることが決定している天才。
彼に不可能はないとまで言われる力を持っており、世界に十しかない特別な魔眼―星宝の持ち主だ。
ゲームの攻略対象は全員星宝という魔眼をもって生まれているが、とくにシリウスのもつ〈星宝・ルビー〉は炎の加護を与えるものである。
さらさらとした金髪とルビーの瞳のコンビネーションは正しく天使のようであり、なによりも優しい彼に多くのユーザーの心が打ちぬかれていた。
そう、彼は優しいのだ。
王太子らしく計算高く腹黒い一面があるかと思えば、根はとても優しく仲間思いな少年。
仲間を取るか、国を取るか、と選択を迫られ葛藤する彼は本当に格好良かった。
ゲーム中のアリシアは、彼の婚約者であった。
お察しの通り、アリシアが無理を言って婚約者の座を得たのだ。
といっても、王子が婚約者を決めるのは十八歳の時と決まっているので、仮の婚約者ではあったのだが。
(願わくば結婚したいよ…、好きだもの。でも彼に嫌われてしまうのはいやだなぁ…)
うー、と頭を悩ませながらアリシアは腰を上げた。これではいくら悩んでいても答えは出そうにない、と判断したのだ。
考えながら読んでいた魔導書を元の場所へと戻す。
これでもう今日の用事は終わってしまったので、アリシアは螺旋階段を下りて図書館の出入り口へと向かった。
暫く図書館にこもっていたせいか、外はもう夕方だった。
キラキラと輝く景色は何度見ても心を打つものがある。
少しくらい散歩をしてから戻ろうか、と少女が温室へと歩き始めた時―
「アリシア様、エドワード様とセオドール様が探していらっしゃいましたよ」
少し慌てた様子の執事が彼女の前に現れた。
恐らく本邸の部屋から訓練場、屋根裏とアリシアが生きそうな場所を色々探し回っていたのだろう。
公爵家の執事といえばいざという時のために戦闘も出来ることで有名だ。それ故か実際に彼もそこまで息を切らしていないように思えた。
(―ん?戦闘執事?)
アリシアはふと何か素晴らしいものと出会えたような高揚感を感じた。
(執事兼護衛とか、つまり主人とずっと一緒にいられるってことだよね。困っていたら助けられるし、同じ時を共有しながら成長を見守ることも出来る)
そこまで考えてアリシアは全身に電流が走ったような感覚がした。
(公爵が召使になるってこと自体あり得ないし、そもそも女は執事じゃなくてメイドだけど―)
ニヤリと口角を上げる。
つまりは公爵だと知られずに男でいればいい。
これは楽しくなってきたぞ…とギョッとする執事を置き去りに一人微笑した。
「というわけで、お父様。私、王家の執事になりたいです」
優雅な夕食後のティータイム。
珍しく仕事が早く片付いたらしいルーカスを含めた六人が囲んでいる食卓で、アリシアはニコリと笑ってそう言った。
「「「え?」」」
呆然とアリシアを見つめ返すティアラ、セオドールとフィアラ。そして飲んでいた紅茶を喉に詰まらせせき込むエドワードと、口元まで運んでいたケーキを落とすルーカス。
各々が各々の反応を見せる中で、アリシアはもう一度口を開いた。
「王家の執事になりたいので、許可をいただけますか」
あまりにも突飛な話に夢かもしれないと疑った五人が、もう一度繰り返されたその言葉に現実であることを悟った。
「な…何を言っているんだい?公爵は上に立つべき存在。文官や騎士として働くことはあっても、執事やメイドになることはまずない」
「えぇ、分かっています。つまりは、公爵であるとばれなければいいんですよね」
「そしてもし仮になるとしたら、アリィの場合執事ではなくメイドだ」
「そうですね。つまりは男になればいいんですよね」
どこまでもズレた解釈をするアリシアに、ルーカスはフォークを置いてアリシアと向き合った。
「いいか、アリィ…アリシア。そもそも王家に使えるというのは遊び心でやっていいことではないよ。だから―」
「いいえ、お父様。私は本気です。この人生で初めてやりたいと願ったことが、執事なんです。これから色々なことが起こると思います。それを私はそばで支えられる人になりたい」
いつの間にか食堂には少しの緊張が走っていた。
誰もが真剣な瞳で語るアリシアに本気を感じていた。
「それは、他の職業ではだめなのか。騎士や婚約者としてでは…」
最期の足掻きのようにルーカスはアリシアに尋ねた。
ただ静かに首を振った少女に、ルーカスはガシガシと首の後ろを掻いた。
「…きっと、その前髪とも、関係しているんだろうね」
「―!」
ルーカスは少しだけ切なく瞳を細めた。
亡きアメリアと同じ瞳を持ったエドワードと、ルーカスと同じ瞳を持ったアリシア。しかしその蒼い瞳は今や片方しか見えない。
仕事で忙しくてもルーカスは常に家の情報を聞いてた。
だからアリシアとエドワードがすれ違っていることも、アリシアがずっと部屋から出てこなかったことも聞いていた。
だからこそ少しでもその状況が改善すればとフィアラ達を家に入れたのだ。
彼にとって、子供たちの未来と思いは何にも代え難い大切なものだなのだ。
「よい、許可しよう。ただし、いくつか条件を飲んでもらうよ」
ルーカスは決意した。
何かがあった時には、自分がアリシアを守ろうと。
彼女の初めての願いを聞き届けようと。
もし何かがあってアリシアの立場が危うくなってしまっても、スピネル公爵家の権力をもってすれば何も問題はない。
「―っ、はい。ありがとうございます、お父様」
だから、ルーカスは希望に輝くそのサファイヤを守るのだ。