46・執事様と遭遇(1)
「ふぅ~食べた食べた」
満腹になったお腹をさすりながら、すっかり静寂の戻ってしまった町を眺めた。
チカチカとところどころ祭り火が残る町並みは、昼間の熱を残したまま柔らかな夜の帳に閉じ込められたらしい。
帰る前に少し夜の散歩へ出た二人だけが、この儚くも柔らか熱を感じていた。
「そりゃね、あんだけ食べればお腹も一杯になるよ」
アリシアの隣を歩いていたシリウスが、苦笑しながら言う。
あの後、酔いが冷め目覚めたディアンとともに、アリシアは本当に全ての料理を完食してみせた。
食べながら摂取したエネルギーを魔力へと変換し体に貯蓄するアリシアと違い、素で次々に料理を空にしていくディアンの姿にはアリシアも呆れてしまった。
そして何よりも、完食しきった後のお店の人の反応と言ったら。
主催者の男性は驚きのあまり持っていたビールを床に落とし、料理人の人はなぜか笑っていた。アリシアとディアンの健闘を近くで見ていた他の客はみな笑顔で拍手までくれた。
思い出すだけで胸が暖かくなる景色だった。
一人カーテンも閉め切った暗闇で膝を抱えていたままだったら、きっと見れなかったであろう光景。
「……楽しかったです」
ぽつり、と少女は無意識のうちにそう零した。
生暖かな風が彼女たちを包み、背中を押して去っていく。
「……そっか。それは、良かった」
シリウスの返答を聞いてやっと自分が言ったことに気づいたのだろう。アリシアはハッと一瞬顔をこわばらせると勢いよく少年の方へ顔を向けた。
そして、息を飲んだ。
闇の中に金髪が靡く。キラキラと輝く金糸が闇を彩るその様は、あまりに幻想的であった。
そして何よりも。アリシア自身を見つめるサファイアのその瞳が、とても優しく細められていて。何も言われてなどいないのに、彼が自分を大切に思ってくれているのだと伝わってきたから。
胸の奥がギュッと苦しくなる。
かぁっと一瞬で熱を帯びた頬が、まるで他人事のように感じられる。
切ないほどの愛おしさが心の奥から溢れて止まなかった。
(好き。好きです……。シル様――)
その感情が〝何〟を表すのか。
アリシアは何故か知ろうと思わなかった。
けれど、今確かにカチリと嵌った歯車は、いっそ不思議なほどにその感情を素直に受け止め身体に染み込ませていった。
そうして見つめ合って、どれほどの時が過ぎただろうか。
唐突に現実へと戻ってきたアリシアは、ハッとしてシリウスから顔を背けた。
「あ。え、っと……その……」
なんとなしに気まずくなってしまった空気をどうにかしようと、アリシアは頭を回す。
けれど、どうにも良い案は浮かんできそうにない。
それでも何か話さなくては、と口を開いたアリシアは〝その気配〟を察知して思わず術を展開した。
瞬間にして思考は一気に熱を失う。
先の浮かれた熱はどこへやら、シリウスは急に雰囲気の変わったアリシアに一瞬息を飲んで何かを察した。
「〈結界〉」
〈空〉属性のその魔術に、斜め上前から飛んできたいくつもの光矢が飲み込まれていく。
その様子を一瞥したアリシアは、まだ対象が動いていないことを確認してもう一度魔力を練った。
「〈氷矢〉」
漆黒を切り裂いて、いくつもの銀が目の前の建物の上へと向かっていく。
全身で魔力の気配を探るアリシアの姿は、もういつも通りのものであった。先の魔法はもう解けてしまったらしい。
(対象は二人……。一体何が目的?シルの命なのか、それとも――)
じっと建物の上を眺めていたアリシアは〝あること〟に気が付いて呆然と立ち尽くした。
「え……?」
ありえない。ありえないことなのである。
それなのに、何度確認しても事実は事実であった。
(魔力反応が消えた…?)
そんなことがあり得るのだろうか。
あの時アリシアは確かに氷矢を放った。そして、それに対しての相手からのアプローチは観察していた間何一つなかった。
それなのに。まるで忽然と、元から存在などしていなかったかのようにアリシアの放った魔術は抹消されていた。
(何?何が起きているの?空間魔術の応用?……でも、そんな大きな魔力反応は感じられなかった。となると、もしかして……)
バクバクと心臓が早くなる。思い至る答えは一つしかない。
魔術を魔術で相殺する以外に消滅させる方法など、この世にはたった一つしか存在しないのだ。
(――魔術無効化)
「そう、出てきたのね……〈星宝・シルバー〉〈星宝・ゴールド〉」
吐き出した息は、どことなく堅かった。




