4・執事様とヒロインの秘密
「どう、して…」
一瞬で渇いた喉から、アリシアはなんとか言葉を絞り出した。
カラカラになったそこを潤すように唾液を飲み干せば、思った以上に大きな音が身体に響いた。
「その反応…やっぱり貴女も転生者なのね」
まるで愛しい人を殺されたような憎悪を瞳に宿したティアラは、グッと唇をかみしめて言った。
「どうして。何でよ!せっかく幸せになれたのに…。そんなに私が憎かった?そんなに私が嫌いだった?どうしてここまでするのよ…っ!」
ティアラは一瞬でも気を抜いてしまえばすぐに泣き出してしまいそうな顔をしていた。
たいしてアリシアは何も状況がつかめていない。
どうしてアリシアが転生者だと分かったのかも、何故ティアラが悲しみと怒りに身を焦がしているのかも。
「えっと…あの。ティアラお姉様も、転生者…なの?」
「は。当たり前でしょう。だって貴女がこうしたのでしょう⁉貴女以外おかしい人なんていない。貴女以外は考えられないもの」
先よりは少し落ち着いたものの、やはりどうしようもない激情が彼女の中に渦巻いているらしい。
早口で告げられた事実に、アリシアは一瞬何もわからぬこの状況のことが一つ分かった気がした。
(〝貴女以外おかしい人はいない〟。今日初めて来たはずの場所で、何故ティアラちゃんはそう言ったの?)
自問したそれの答えは、アリシアが思いつく限り一つしかない。
「ティアラお姉さまは…逆行している…?」
恐る恐るといったように口を開いたアリシアに、ティアラは一瞬面を食らったように動きを止めた。
さも、何故アリシアが自分にそれを問いかけるのか分からないかのように。
「ご、ごめんなさい。私もよく事態が分かっていませんが…。私の前世の名前はミリ。ゲルバニアという国に住んでいました」
ひゅうっとティアラは息を飲んだ。
そこでようやく、二人が何かすれ違っていることに気が付いたのだろう。
「え、嘘…。貴女は〝アリシア〟ではないの…?確かに前世とは比べられないほどに貴女は変わっているけど…」
ぶつぶつと小さな声で呟いたティアラは、困惑した表情のまま眉を下げてアリシアへ言った。
「ごめんなさい…。とりあえず、話しをしてもいいかしら」
ティアラはその美しい瞳に苦しみの色を強く浮かべながら、ポツリポツリと前世のことを話し出した。
今と同じ時期に公爵邸へ来て、性格の悪いアリシアと出会ったこと。そして、彼女からの絶え間ない虐めに日々苦しんでいたこと。
そんな中エドワードが彼女を助け出してくれ、次第に彼に惹かれていったこと。そして紆余曲折の果てに彼との幸せな日々を手に入れることが出来たこと、等々。
「それじゃあティアラお姉さまは、エディの奥さんだったの…⁉」
全てを聞き終わったアリシアが、思わず身を乗り出してティアラに問う。
その瞳には前世で自分の弟と大好きなティアラが幸せになっていたことへの歓喜の色が浮かんでいた。
「えぇ。…と言っても、そんなに時間が経たない内にコチラに戻ってきてしまったのだけど」
「…戻ってきた?死んだわけではなく?」
「え?えぇ。私は気が付いたら伯爵令嬢に戻っていたわ。死んだ記憶もないし…。って、じゃあアリィ―ええと、ミリは死んでここに来たの?」
その一言に、アリシアは思わず息を飲んだ。
思い出すのは母に捨てられスラムで過ごした日々と義母に拾われ身体を売って過ごしていた日々…そして、ララに短刀で刺されてしまったその記憶。
もう完全に別の人間として生きているというのに、時どきおぞましくなる自分の身体。
その幾つもを思い出したアリシアは、どうしても顔が引きつるのを感じた。
「そ、そうですね…。私は、仕事の後輩に刺されてしまって…気が付いたらこっちに」
カタカタと小さく身体が震えた。
いくら前の世界だとしても感覚的にはまだ一か月前のことなのだ。
そう簡単に忘れられはしないし、刻み付けられたあの恐怖を捨てられるとも思っていなかった。
「…そう」
そんなアリシアの様子に何かを察したティアラは、それ以上踏み込むことなくまた紅茶の水面へと視線を落とした。
そのまま少しの静寂が訪れた。
グッと湧き上がる恐怖を殺そうとするアリシアと、何かを考えるティアラ。
そして沈黙を破ったのはティアラの深刻な声だった。
「…あの、ごめんなさい」
唐突な謝罪に、アリシアは考えていたことも放り投げてティアラへ視線を投げた。
「今の貴女を見ようともせずに色々責め立ててしまって…。どうしても、今の状況にも慣れないし、過去が忘れられなくて…」
ティアラはぎゅっと強く拳を握った。
静かに聞いていたアリシアは、少しだけ小さく息を吐いて、ティアラの拳を自身の両手で包み込んだ。
その行動にティアラが瞳を見開いてバッと顔を上げた。
「過去と今と切り離せないのは、仕方ないことなんだと思います。私ももしかしたら今が全部夢なんじゃないかってよく考えてしまいますし。これからこの世界でどうすればいいのか、どう生きればいいのか。何一つ私には分かりません。それでも―」
アリシアは包み込んでいた彼女の手をそっと持ち上げて、少女と視線を合わせた。
「私は、今度こそ悔いのない人生を生きたい。だから、私の望むまま願うことをやりたいです。これはきっと、前世の人生の延長戦だから」
「―――」
きっとこれからも囚われ続ける。
過去との違いに苦しめられ、過去のトラウマに悩まされるのだろう。
だからこそ、せめて少しでも悔いのない生き方をしたい。
ぐっとティアラの手を強く握って、アリシアは出来る限りの思いを言葉にした。
ハッと息を飲んで視線を落としたティアラの表情はアリシアから見ることは出来ないけれど、それでもアリシアは彼女に伝わっている気がしていた。
そしてアリシアの感じた通り、ティアラは何か吹っ切れたような笑顔でアリシアへ言う。
「…ありがとう。アリシア。もうちょっと時間はかかるかもしれないけれど、なんとか前に進めそう」
少しだけ瞳の淵に貯めた涙には気づかないふりをして、アリシアも笑った。
向かい合うティアラが背負う青空が、なぜか痛くなくなっていた。
一か月前はまだ冬だったのに、少し熱いくらいの太陽が世界を一層輝かせる。
「ねぇ、アリシア。良かったら敬語を外してくれない?」
「え?」
「私たち〝家族〟になるんだから」
「…っ」
もしもこれが本当に人生の延長戦なのだとしたら、アリシアはどんな人生を生きるのだろう。
運命と宿命に流されて、それでも願う未来のために戦い続けなくてはいけない。
人生はそういうものだから。
雨が降ったら必ず晴れるし、朝が来たなら夜が来る。
そんな世界の中で、自分を探し続ける旅なのだ。
「うん…、改めてよろしくね。ティアラ姉様」
物語はきっともう始まっている。