36・王太子と激戦
ろくに魔力を貯めることもできないまま、僕は前の少年へと魔術を放った。
「――は」
吐き出した分だけ吸った空気は自身が作り出した炎で随分と熱かった。
一瞬肺が焼けたような錯覚に陥ったものの、決して止まることはせずに炎を纏った剣を彼へと突き出す。
「おぉぉおおおおおおおーっ!」
自分の隣で同じように振りかぶったノルが橙の瞳を鋭く見開いて少年を見据えた。
その奥に見えるエディも、後ろで支援しているエルも全員が満身創痍の体に必死に鞭を打って少年と対峙しているようであった。
(効いているッ!少しずつではあるけれど、僕たちの剣は彼に届いている!)
三という人数ゆえか、自分たちが強くなっているのか、今の僕にそれを考える余裕などないけれど少しずつ勝算が見え始めているのは肌でわかった。
この十五年の人生で感じたこともないほどの緊張感と殺気、吐き気がするほど濃い魔力の中でも、僕の心は何故か軽かった。
「はあああああああーーーーっ!」
何度もシアとの戦いの中で経験した振り。
予備動作が大きい分初撃に向く上からの一閃。全ての経験を生かしたそれは、自分でも確信できるほど一番の出来だった。
「――!」
しかし前の少年はそれを右に動くことで避けた。そう、計算通り。
僕はそのまま僅かに炎魔術を展開して素早く軌道を転換させた。
予想外だったのか一瞬強ばった少年の体。
その隙を目掛けて横の一閃をいれた。
「―っ!」
ガキンッ
まるで鉄にでも当たったかのような音を立てて、僕の一撃は少年に当たる寸でのところで防がれた。
(届かな、かった……?)
漆黒の盾に止められた己の刃は弱々しい炎を纏っている。それはあと少し経てば消えてしまうほどの炎。
――それでも。僕の、僕がシアと紡いだ剣は、こんなことで終わるほど脆くはない。
(今……っ!!!)
僕が止まったと思い込んだらしい少年の防御が少しだけ、ほんの少し薄くなったその瞬間。
僕はそのまま盾を突き破る勢いで、上へと向けて力を入れた。
「!?」
剣に纏う炎は今までにないほどの勢いで力強く燃えている。
唖然とした顔とバランスの崩れた少年の身体をゆったりとした時の中で見つめながら、頭の中にはいつかの記憶が流れてきた。
これは……そう、いつものように騎士訓練場で試合をして、僕がアリシアにボロ負けした時のことだった。
涼しい顔で腰に剣を仕舞う少女の姿に、僕が拗ねて問いかけたのだ。
――え?どうして私が強いか、ですか?……うーん、私はそこまで強くないと思うんですけどね~。強いていうなら、気合と根性でしょうか?絶対に負けられない、負けたくない。そんなもんかって思うかもしれませんが、想いって行動にも影響しますし、大切だと思いますよ。
そして困ったように微笑んだ少女に、少しだけ劣情が芽生えた僕は続けて問うた。
――作戦が尽きた時?もう、物理の力しかありませんよ!何事もごり押しで何とかなる!……って痛い⁉イル、叩かないでください!!
ふわふわの赤髪を抑えた少女が恨みの篭った瞳でイルを見上げた。対して彼女の上にいるイルは澄まし顔で「そんなに力入れていないだろう」と言う。
幻覚魔術で姿を偽っているせいで、見かけよりも随分下にある彼女の頭。フワフワのその髪に触るとき、僕たちはいつも慎重だった。間違えて彼女を傷つけてしまわない様に、と。
いつだってわかっていたのだ。彼女が〈女〉であり、僕たちの大切な人であると。
彼女の照れたような微笑みが脳裏をよぎった時、遅く感じていた世界は再び元の速さに戻った。
――途端、衝突する二つの光。
それでもそれは先とは比べ物にならないほどの鋭さを含んでいた。
(負けない、負けない、負けない…っ‼僕は、この国の王太子だから……ッ‼この国が、大切だから……ッ!)
逃げるべきだということはちゃんとわかっている。イルやノルに言われるまでもなく、大臣や家族にも言われ続けていた。
――いざ戦いが始まったら、逃げるのか。それとも王位継承という地位を危ぶませても民を、友を助けるのか。
現国王である父の威厳漂う強い眼を今でも鮮明に思い出せる。
人生は選択肢の連続で、その些細な選択が後の人生の後悔やらに繋がっていく。
だから父に問われたその言葉に僕は思わず息が詰まってしまった。
王太子として育てられ、王太子であることに意味がある自分。国の未来は全て自分の肩にある。
それでも、僕は知ってしまったから。
(王太子だから、ってそんなの理由にはならない。僕は、僕が守りたいものを守る。我儘って言われても、それだけは曲げたくない…っ!!)
―シルが作る国はきっと素敵な国になりますね。こんなに民を思える王、あまりいないと思いますよ。
―シルは俺たちの大切な仲間だ。貴方がいてくれて、本当に良かった。
―シルの隣で、一緒に未来を背負えるようなオレになりたいっス!
―シルが困ったら助けるよ?それが友として出来ることだから!
―シル、君はもうちょっと人に頼るべきだよ。
―シリウス様、貴方ならきっと大丈夫です。
(王としての自分も、ただの〝シル〟である自分も、彼女たちは全てを肯定してくれた。だから、僕は僕で、僕のままで…っ!)
少年の生み出した盾が氷を纏っていく。少し弱まった炎が振り上げる剣の勢いを落としたが、それでも気力で刃を止めることはしなかった。
(僕は全てを守りたい!無理だと分かっていても、棄てることなんてできない…っ!アリシアも、カイルも、オリバーも、エドワードも、セオドールも、ティアラ嬢も!僕が大切なものを、彼女が大切だと守ったものを、僕も……)
「守る―ッッ!!」
真紅の炎が急に真っ青に変色する。
しかし人生で初めてだと断言できるほどの叫びと激情の前に、その変化は些細なものだった。
勢いのままに怒涛の連撃を放つ。
勘、本能。そんな領域で、息の仕方さえ忘れる程の密度の中で、僕と少年は戦い続けた。
剣も魔術も星宝も。
全てが閃光に姿を変え、繰り出される一瞬に命を懸ける。
狭まった世界に見えるのは少年の一挙一動だけで、他の者は全て削ぎ落ちていた。それでも仲間の存在だけがひどく近くに感じた。
まるで、繋がっているかのように。
全ての閃光が入り交じり、世界が白に染まったとき。
その暴風と眩しさに、僕は思わず目を閉じた。




