2・執事様と家族(1)
「紹介しよう。今日から君たちの母になるフィアラと、兄になるセオドール、そして姉になるティアラだ。仲良くしてやってくれ」
アリシア=スピネル、五歳。
転生を自覚して一か月。アリシアは自分の瞳を疑いながら、なんとか事態を受け止めようとしていた。しかし、それでもどうしようもないほどのショックが彼女の身を貫いていた。
(――この世界は、大好きな乙女ゲームの世界なの……?)
乙女ゲーム転生。
そんな流行りのファンタジー小説のような事態が、アリシアの身に起こっていた。しかも悲しいかな〝悪役令嬢〟というポジションで。
アリシアの前世ミリの時に一番ハマっていた乙女ゲーム〈星宝の歌と運命の恋〉……通称、歌恋。
物語は、幼い頃に父を失ってしまい女手一つで育てられた伯爵令嬢ーティアラが、五歳のときに公爵家に連れて行かれるところから始まる。
一体どうしたのか……と不安になるも、その内容は自分の母と公爵様との結婚話。公爵は母が困っているところを何度も助けており、それでも頑張る健気さに惹かれたらしい。
「これでお母さんの苦労も報われる!」と喜ぶティアラだが、ここから悪役令嬢――アリシアの虐めが始まる。
フワフワとした可愛い金髪に桃色の瞳…THE・ヒロインというような可憐な容姿に嫉妬し、母親の愛を知っていることに嫉妬し、義兄と実弟、父に庇われていることに嫉妬する……ゲームの中のアリシアはそんな少女だ。
結局、攻略対象である王太子や宰相の子、近衛騎士団長の息子や義弟などによってティアラは愛され、守られていく。
ただひたすら愛されることを望んだアリシアは結局誰からも顧みられることなく、学園の卒業パーティーにて断罪され、娼館落ちか死刑になってしますのだ。
そう、その哀れな少女こそ――庭で頭を悩ませている彼女……転生を遂げたミリである。
転生初日に彼女が叫んでいた通り、彼女の体は、ちょっと……いや結構残念な感じである。双子の弟たるエドワードはとても幼いながらもその美しさを発揮しているというのに、アリシアは脂肪と前髪の影響でとても見られたものではなかった。
ゲームの中の少女も太ってこそいたもののここまでではなかったように思える。
「はぁ……」
大きく一つ溜息をついたアリシアは、現実逃避をするかのように一か月前を思い返した。
▽▽▽
「ど、どうなっているの……?あまり考えたくないけれど、私は死んだ……のよね?」
転生初日アリシアは鏡と向き合いながら独り言ちていた。
もう一度寝たら起きるかもと寝てみたり、顔を抓ったり洗ったりしてみたものの全く起きる気配はしない。いや、それどころか〝この事態〟に対する現実味の方が増すばかりであった。
この世界で感じる微睡、幸福感をはじめとする感情、そして痛覚と温度、香。感じている身体は違うというのに、まるで本当に生きているかのように全てが感じられた。
(これは…信じるしかないわね……。私は〝転生〟した)
しかも誰とも知らぬ少女の身体に。
(私は誰……誰なの?そして、どうして私が転生したの……?)
疑問が次々と溢れては泡のように溶けていく。彼女の心にただ混乱と静かな絶望を残して。
「あれ、そういえば何故私は右目を隠しているのかしら。余計に太って見えるに決ま、って…」
何か傷でもあるのだろうとアリシアは顔の半分を覆っている前髪を小さな手で上にあげる。
おや、と一瞬首を傾げた後アリシアは体の奥深くがドクンと大きく脈打ったのを感じた。
視界が暗くなっていく。衝撃で大きく見開いでいたはずの瞳はいつの間にか閉じてしまっていたらしい。鏡台へと伏してしまっている身体を持ち上げようと思うのになぜか上手く動かなかった。
段々と遠のいていく意識の中、アリシアの頭の奥にジャラリと何かの鎖が立てた音がただ響いていた。
次に目が覚めた時、アリシアはすべてを思い出していた。
アリシア=スピネルという少女の五年間の記憶について。
アリシアの母――アメリアはもとより身体が強い女性ではなかった。
それでもアリシアの父――ルーカスは彼女を心から愛していたし、とても大切に思っていた。しかし、不幸にもアメリアが身ごもったのは双子であった。
しかも、二人ともとても強い魔力を宿していた。
貴族の人間たるもの、折角の後継者である子を降ろすことなどできず―結局、アリシアとエドワードの誕生と共にアメリアはなくなってしまった。
それでもルーカスは子にとても愛情を注いで育てた。
母がいない分まで、と忙しい仕事の合間を縫っては子供たちに会いに行っていた。
アリシアとエドワードは使用人に囲まれながらすくすくと成長していた。不安定ながらも愛ある生活は、その時までしっかりと続いていた。しかしある日、エドワードが怪我をしてしまったのだ。
命にかかわるようなものではないものの初めてのことにルーカスはとても慌てた。使用人たちも次期騎士公爵家の跡取りたる少年の怪我、と大変な騒ぎになった。
その時アリシアは幼いながらに察してしまったのだろう。
エドワードとアリシアの違いを。アリシアの価値を。そして何より、双子でなければアメリアも死ななかったかもしれない、という事実を。
それからアリシアとエドワードは少しずつすれ違っていった。
表立って喧嘩をすることは無かったが、アリシアはエドワードを見ては避けるようになったし、そんなアリシアの行動にエドワードはひどく傷ついていた。もとより三人の家族で、騎士団長の任を担っているルーカスは家にいない日も多かった。だから実質毎日会える家族は互いだけだったのだ。それなのにたった一人の家族にさえ避けられるようになったエドワードは、悲しみ故に少しずつ同じようにアリシアを避け始めた。
そしてその日々は五歳になった今でも続いていた。
いや、四歳になってから剣術の訓練を始めたエドワードと何もせずにいたアリシアとのすれ違いはひどくなっていた。
朝練習するエドワードとアリシアでは朝食の時間は被らないし、特別な用事がない限り二人が顔を合わせることはほぼなくなっていた。
次期騎士団長として多くの人から期待を寄せられるエドワードと、対して何もできない姉という図が仮ではあるものの確立しつつあったのだ。
ある程度の家族関係を整理したアリシアは、ふと記憶の隅にあった〈騎士公爵〉という点に突っかかりと感じていた。
(騎士公爵……。代々騎士団長の任を継いで繁栄してきた一族。その実力は圧倒的であり、他国との戦争の際には先陣を切って戦う将軍――)
そこまで考えたところでアリシアは、はたと思考を止めた。
(騎士……、鍛錬……?つまり、この家は……)
ずっと感じていた違和感のようなものの正体に、その時アリシアは初めて気が付いた。
「――ダイエットに向いているっ!」
前世が前世だから、と身体を絞りたいわけではない。
ただ前世とのギャップがありすぎて、体に違和感があるのだ。出来ればお腹の肉をそぎ落としたいし、何より……
(鍛錬を積めば、自分で自分を守れるようになる……)
もう死ぬのは懲り懲りなのだ。
今世こそできれば笑って平凡な人生を全うしたい。
「そうと決まれば早速訓練場ね……。といっても、訓練できそうな服なんてあったかしら?」
フリルで満ちたクローゼットを思い浮かべて、アリシアは少しだけ嘆息した。