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18・執事様と平手打ち

―同時刻・二アリス侯爵邸にて


「はぁ、はぁ……はぁ…っ!」


身体が痛い。上手く息が吸えない。

氷魔術の連発のせいで、やっと吸い込んだ空気さえ針の様に喉を差していく。体中に着いた返り血からはとっくに人の体温など消え失せていた。


剣を支えに膝をついていたアリシアは、新たな敵の気配に立ち上がる。


―もう無理だ。と体が喚く。

―誰か助けて。と心が叫ぶ。


(それでも良い。今だけで良い。私の大切なものを、守れれば…それで。それだけでっ!)


「うをぉぉぉおおおお!」


勢いよく斬りかかってきた敵に、勘の域で対応する。


「……っ!」


最早技名を叫ぶことすら辛くなり、ただ無言でアリシアは剣を振るう。

剣術において技名を叫ぶ事は、魔術で呪文を詠唱することと同義である。

慣れれば必要はないし、技名を叫べばその分相手に防御をしやすくしてしまう。それでも攻撃力や安全面を考慮して技名は言っていたのだが、その労力すら今は惜しい。


氷の魔力を帯びた剣が、相手の心臓さえ凍てつかせて逝く。剣を振るたびに舞う氷の粒が彼女の理性を何とかとどめていた。


「~!!」

「はぁ……ッ!!」


ドサリと、また一人崩れ落ちて行った。

服に着いた血も、崩れ落ちた人形も、もう構う暇はなかった。

…やるべき事は一つ、ティアラの救出。ただそれだけなのだから。


「ティアラ…ちゃん……」


アリシアが憂い帯びた声でそう呟いた時だった。


『アリシアよ、ティアラという娘の居場所が分かったぞ!』

「!レイデス!!」


相棒の声に、僅かに光が差す。

もう、なりふり構う暇はない。


「場所を教えて!直ぐに、向かうから…ッ!!」



****



「抜けた……ッ!」


背後で誰かが叫んだ声が聞こえた。

それと同時に視界に飛び込むのは大きな煉瓦造りの壁。…否、二アリス侯爵邸である。


「はぁッ、はぁ……っ、やっと…着いたのです、か…?」


休憩なしの全速力で飛ばしてきたため、馬も人も息絶え絶えになっている。

特に、騎士一族でなければ護身術も学んでいないカイルは満身創痍と言って良いだろう。


「大丈夫っスか?カイルっち~」

「げほっ、げほっ………ご心配なく…ごほっ」


((((いや、大丈夫じゃないだろう…))))


激しく咳き込みながら強がるカイルに、皆の心情は一致した。


「とりあえず、シアを探さないと……」


―何かをやらかす前に見つけなくては…

謎の使命感を持ちながら、魔術式を展開させるため魔力を練る。

しかし、それは一つの音と共に霧散してしまった。


ーパンッ



「「「「!?」」」」


あまり遠くないところから発生した音。…恐らく、誰かが誰かを………叩いた音。


「いい加減にしてッッ!!!」


程なくして少女の…ティアラの叫ぶ声も聞こえた。


「どうして………はいつ…そうなのッ!ここ………ら、………わか、ないッ!!どう……いつ、い、も…一人で背負おうと……のっ!家族じゃないのっ!?」


聞こえた内容にみんなで顔を合わせる。聞いている限りだと、ティアラと一緒にアリシアもいるようだ。


「……行こう」


シリウスの誘いに、全員が頷いた。


***



何時の間にか月は隠れ、背後にある森の気配だけが近づいた気がする。

そんな閑散とした侯爵邸の裏庭に、二人の少女の姿が浮かび上がった。


パンッ


乾いた音が湿った屋敷裏に木霊した。

熱くなる頬と背けられた視線、振り払われたティアラの手。

―頬をはたかれた。

そう理解するまでに、およそ十秒を必要とした。


「いい加減にしてッッ!!」


止まっていた時間と静寂を無理やり切り裂くような彼女の声に、固まっていたアリシアがゆっくりと涙を零す少女を映した。


「どうしてアリィはいつもそうなのッ!『ここは私が引き受けるから、一人で逃げて』って、意味わからないッ!どうして、いつもいつも一人で背負おうとするのッ!家族じゃないのっ!?」


ただひたすらに涙を流しながらアリシアを睨むティアラは、何の反応もしない義理の妹に苛立ちを覚えた。


「今日だって!朝アリィがいないと分かって、どれほど心配したかッ!一度でも残される側の気持ちを考えたことがあるッ!?」


(……あるに決まっているわ)


薄暗い月明かりの下、僅かに見える程度の足先を眺めながら、アリシアは拳を握りしめた。

―あるに決まっている。

その通りなのだ。彼女はずっと、置いて行かれる側の人間だったのだから。

それでも何も言わないアリシアに、ティアラの思いは上昇していく。


「どうして、アリィは心配する人がいると考えないのッ!どうして皆に心配させるのッ!どうして…っ!―どうして家族なのにっ、頼ってくれないのッッ!?!」

「…」

「どうして、いつもいつも一人で抱え込もうとするの!どうしていつも一人だけで立ち向かおうとするの!どうして大丈夫じゃないのに「大丈夫」って言うの!どうして苦しい時側にいさせてくれないの!どうして悲しいのに作り笑いするの!どうして……どうして……どうしてアリィは…私たちをっ、頼ってくれないの…っ!!」


うっ、ふぅッ……、ティアラの嗚咽だけが、深々とした森に吸い込まれていく。


自分のために泣く彼女を前にしても、アリシアは何も言うことが出来なかった。アリシアはただ、ぐるぐるに混ざった感情を歯を食いしばって飲み込んでいた。

覗いているシリウス達の間に漂うのも、重い静寂。どうしてアリシアがいつも一人で暴走するのか…その理由を知りたいと思ったのだ。


「どうして、何も言わないの……アリシア」


暗闇でも分かる赤くなった瞳でティアラは静かにそう問うた。


「―――――……ごめん」


それは、とても小さな声で、今にも消えそうな細い声だった。

ちょっとした風に飛ばされそうな脆い声で、伝わったか分からない掠れた声。


「…………それは、何に対する謝罪?」


アリシアに感情をぶつけて少し落ち着いたのだろう、棘こそあるもののいつも通りの彼女だった。


「これ、は……みんなに、迷惑…かけたから……」


これは…従者なのに心配と手間を掛けさせてしまったシリウスへの謝罪。仲良くなれたのに裏切るような真似をしたカイル、オリバーへの謝罪。自分の詰めの甘さのせいで晒されなくても良い危険に晒されてしまったティアラへの謝罪。いつも自分勝手な行動のせいで助けてもらってしまっているエドワード、セオドール…家族への謝罪。

――だから、これは…不甲斐ない自分のせいで迷惑ばかりかけてしまう、みんなへの謝罪。

…そして、今世でも幸せにしてあげられない自分への謝罪。


いつもの自信満々な少女の面影すらなく、彼女は小さくなってただ俯いた。


「違う。迷惑かけるなって言っているんじゃないの。家族なんだから、迷惑かけていいってそう言っているの…!一人で背負おうとしないで、分け合おうって言っているの!…アリィ。お願い。もう自分を無碍にしないで。貴方を大切に思う人が、沢山いるんだから…ッ!!」

「………っ」


―それは、貴方はヒロインだから。悪役令嬢を大切に思う人が、いるわけない!!

叫び出したい気持ちを抑える。ずっと我慢してきたんだ。


前世でも今世でも必要とされなくて、私なんていなくても同じなんだって。

大勢多数の、その一人。いなくなっても気付かれない存在。気づかれても、どうも思われない存在。

今になって思うのは、ララに殺されて嫌だった…とかじゃない。

私が死んで悲しんでくれた人は、どれほどいただろう?

常連さんの貴族?たまにお茶するパン屋の少女?孤児院の子供たち?あとは――義母さん?

きっと義母さんは悲しんでくれたと思う―。それでも、スラムで私を拾ってくれた彼女に、まだ何も返せてはいなかったけれど。


強く握りしめた掌に爪が強く食い込んだ。零すまいと我慢する涙も、胸の痛みを逃がすように奥から溢れてくる。


「あり…「アリシア」

「「!!」」


唐突に闇から聞こえた声に、二人はそろって振り返った。


「ある、じ……⁉―みんなも……」


果たして彼らはいつから聞いていたのだろう。急に現れた彼らに、二人はただ吃驚(きっきょう)した。

情けない自分を彼らに見られたくなくて…血だらけの自分を大切な人の宝石に映したくなくて…アリシアは思わず退いた。


「僕も君に頼ってほしいと思う。君の主として…いや、友として」

「…っ!」


ルビーの瞳を真っ直ぐサファイアに映し、シリウスはそう言う。

その宝石から逃げる様に足元に視線を移せば、いつの間にか血が出ていた掌の痛みが強く感じられた。


「俺もッ!俺もっス!シアともっと仲良くなりたいっスよっ!」


シリウスに続くようにオリバーが叫ぶ。


(止めてっ!止めてっ!!そんなこと言わないでッッ!!)


耳に入ってくる優しい言葉の数々とは反対に、アリシアの心の中は荒れていた。ここで耳を塞いで、一人きりの世界に閉じこもれたら…どれほど楽になれるだろうか。

―それでも無情で優しい世界はそれを、許さない。

オリバーに続くように、カイルが口を開いた。


「……まぁ、私も…」


ツンデレなのか、ただ単に恥ずかしいのか。視線を外して頬を僅かに紅潮させたカイルが、オリバーに賛同した。


「僕もっ!もう大切な家族を失いたくないよっ!」

「俺も、折角できた妹なんだ。簡単には手放したくないね」

「………っ」


(っ!そんなの、私だって―――!!)


溢れそうになる思いを、いつかのトラウマが蓋をする。

もしまた捨てられたりしたら…今度こそ自分は壊れてしまう。もう一度立ち上がる力なんてきっともう残らない。程よい距離感で、離れることも考えて――そう思って生きてきたのに、どうして離れがたいと思ってしまうのか――。

予感めいた感情と今までの暖かな思い出が反発しあって、無意識の内に足を退いていた。

………結局どこまでも、彼女は臆病だったのだ。


苦しそうに悲しそうに―寂しそうに顔を歪める少女を見て、ルビーの少年は優しく問いかけた。


「アリシア。君は、どうしたい?シアが背負っているもの、全て忘れていい。ただのアリシアとして…君は、どうしたいんだ?」


徐に顔を上げたアリシアの赤髪を、夏の風が揺らす。

隠れた右目の秘密も、血で汚れた服も手も、穢れた心も、臆病な本音も。

抱え込んだ苦しみだけ大きくなって、いつの間にか一人では背負いきれない荷物となっていた。


「――私は……私は……」


いつの間にか止まらなくなっていた涙が、視界を揺らして頬を濡らした。


(私は…)


前世からずっと好きだった彼の、優しい問いかけに、凍った心が溶かされる気配がする。

溶けた心の涙を隠すように両手で顔を覆えば、何となく言えるような気がした。






「私は……っ、みんなと一緒に……いたい――…」








生みの親に捨てられ、誰からも本当に愛されることなく、唯一の家族とさえ生き別れした少女は、初めて心から――そう願った。










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