17・執事様と足跡
「はぁ、はぁ……はぁ…っ」
一刻も早く。一歩でも先に。
異国の丑三つ時の闇をシリウス達はただ一心に走っていた。
公爵家の姫が急に二人もいなくなった上、どちらの居場所も皆目見当がつかないという状況が彼らの焦りを増幅させていた。
思い返すのはまだ半刻も経っていない王城でのこと……
***
「ニケル王に至急の謁見を願いたい」
アリシアがいなくなったことに気がついて早一刻。シリウス達はローズィリス王国の王城へ来ていた。
「誠に申し訳ございません…今は別のお客様がいらしておりまして……」
「別の客?この時間にか?」
嘘である可能性を考えて張り詰めた声で問い返す。
「はい……英雄ディアン様というのですが…」
そこまで聞いて納得した。
英雄ディアンといえばヴェルラキア王国でも有名な美丈夫だ。まだ十八の時に魔王を倒した世界の英雄。
(……それにしてもなぜ彼が…?)
確かに英雄と王の仲が悪いわけではないだろうが…。
「すまない、本当に急いでいるんだ。我が国の公爵令嬢が攫われてね…」
「!?、し、失礼します…!」
粗方の話を伝えると、何故か顔を青くした男が去っていく。
「?なんだ?」
今まで黙っていたオリバーが少し後ろで首を傾げた。
「さぁ?もしかしたら何か知っているのかもしれませんが…」
彼に続くようにカイルも訝しさを露わにする。
「まぁ、まぁ。急いだって事は進まない。一歩一歩丁寧に、注意深く、だよ」
ゆっくりとした口調でルーカスと共についてきた保護者の一人…現宰相ライドが言うた。
ライドはその独特の雰囲気とマイペースさで世界と渡っているためか、その言葉には説得力があった。
「姉さんたち…早く見つかると良いけど…」
オリバーやカイル、ライドの更に後ろでエドワードが呟いた。星宝であるエメラルドに今は暗い影が落ちている。
彼を隣から支える兄のセオドールは、エディを励ますように声を上げた。
「ティアラもアリシアもきっと無事だよ。ティアラはちゃんと軸を持った子だし、アリシアは……」
彼の言葉はそこで切れた。
アリシアは……アリシアはどうなのだろう?
お茶会で少し話しただけの少女に命を張るようなお人好しで、そのくせ強がって見せているくせにどこか脆く危うい。
彼女を大切に思う人はたくさんいるのに、彼女は必死にそれを見ないふりしている折がある。
重い沈黙が八人の間に落ちる。
しかし、それを破ったのは他でもない、彼女の父だった。
「……大丈夫。アリィなら今頃ティアラを救うために元気に走り回っているさ。きっと上手くいく……今は彼女を信じよう」
優しく落ち着いた…けれども、芯のあるその声にエドワードは顔を上げた。
『そうだ、僕が彼女を信じなくてどうするんだ。あの脳筋のことだ、きっとティアラ姉さんのために走り回ってる』
少しずつ空気が明るくなっていく。
下を向いても未来は変わらないと、そう気がついたから。
そんな時、先程出て行った男が慌てた様子で戻ってきた。
ー一人の男を連れて。
「しししししししっ、失礼しましたぁ!い、今説明を……」
見ている方が哀れになるような動揺ぶり。…しかし、まぁ。それもわからないでもない。事務員であろうヒョロ男の後ろには、鍛え上げられた肉体を持った美丈夫がいる。その場にいるだけで緊張感を醸し出すような…そんな色男が。
「あぁ、俺から説明させてもらおう」
重々しく口を開く男。
「あなたは……?」
警戒を隠すことなく王代理は問いかける。
「あぁ、俺はディアン。まぁ…アレだ。お前らの探しているヤツの…妹?の友だ」
「ティアラの妹……アリシアと知り合いなのか!!」
渇望していた愛娘の情報に、ルーカスが食い付く。
…しかし、彼以外の子供たちは憧れの英雄が目の前にいることに、絶句していた。
「アリシア…?なるほど、それで"シア"か…。あぁ、アイツのダチだな」
まぁ、友の前に〈悪〉が付くかもしれんが…。と心の中で付け足す。
「あれか?お前らはもうシアの証拠書類を見たか?」
出来るだけ簡単に関係を説明しようと、自身も手伝った証拠集めについて聞いてみる。
「…?いや、見ていないが…」
『どうしてそんなことを聞くのだ』と心底不思議そうな顔をしたルーカスが首を傾げる。
ーまぁ、それもそうだ。実際、彼は未だ証拠書類を見ていない。救出後直ぐに気絶してしまったアリシアは、証拠を全て国王へと直接出したのだから。
「はぁ?じゃあアイツなんで今日来たんだ?」
そんなことを知らない彼らは、アリシアの行動に対して疑問を募らせる。
「「「「「!?!?」」」」」
「今日!?来たんですか?アリィが!」
ようやく分かった娘の目撃情報に、再びルーカスが食いついた。
「あ、あぁ…三時間ぐれェ前だな。急に『作戦変更。ローズィリスの掃除を今すぐやる』とか言って、裏屋敷に押し掛けてきてな…。んで、ついさっき王への謁見が終わったところだ」
「「「「王への謁見…!」」」」
英雄と知り合いなだけでもすごいのに、ただの公爵令嬢でしか無い…いや、この場合は一執事でしか無い彼女が、よくもまぁ王に謁見できたものだ。
「すげぇ…シアって本当、何者なんだろ」
「あ、あぁ…本当に」
彼らもその心情は同じな様で、オリバーやカイルの頬は彼女への期待と歓喜で染まっていた。
そんな子供を置いて、ルーカスは娘の話を問いただす。
「じゃあ、シアは今…!」
今直ぐにでも会えるかもしれない期待をなんとか抑え込む。
「いんや。アイツならすぐにニアリス侯爵邸へ向ったぜ。『ティアラちゃんはきっとそこにいるはずだから…!』って。わざわざ王に一族皆殺しにする権利までもらって」
「……一族…皆殺し……」
ふと浮かび上がるのは、昼間のボロボロになったアリシアの姿。
もしあとちょっと遅れていたら…そう考えてゾッとする。
「向かうなら急いだ方がいい。アイツはなんか覚悟した瞳をしていたし、腰に剣まで提げていたから…多分本気でヤるつもりだ」
***
「クソッ……!」
早く彼女に追い付きたいもどかしさで、イライラする。
「アリシア……!」
移りゆく景色の中で、叫ぶ。
彼女がまるで幻の様に、いなくなってしまいそうで。
『あぁ、お前がシアのいう"主"か。よく俺に話していたぜ。すっげー嬉しそうに』
ディアンの言った言葉が頭の中で繰り返される。
すぅっと吸い込んだ空気は、夏だというのにどこか冷えていた。
森の中だからだろうか、汚れの無い空気に頭がスッと冷やされていく。
「今行くから…!」
貴方を…助けるために。