16・執事様は立ち上がる
「……っ、ぅ……」
全身が訴える痛みと倦怠感で目が覚める。
僅かに開いたカーテンから、月のない暗闇が僅かに見え隠れしていた。
「……私は……」
痛む体に鞭を打って上半身を持ち上げる。切り傷や掠り傷は治癒されているが、魔力枯渇による疲労は全く消えていなかった。
「助けに来てもらったのが…昼?だから、半日くらい気絶していたのね…」
アリシアは暫く夢と現実の間を揺蕩うように、暗闇の中をぼーっと見つめていた。
しかし唐突にビクッと体を震わせると、魔術を発動させる。何かを確認した後そそくさとベッドから降りると、アリシアは身なりを整え始めた。ネグリジェから簡易なドレスに着替えると、気配を消してそっと部屋から出ていった。
▽▽▽
「やっぱり……」
暗闇の中で唯一光を漏らす応接間を覗いて、アリシアは呟いた。
豪華な応接間の中には、国の重鎮が勢揃いしていた。セオドールやエドワード、シリウス、カイル、オリバーといった子供から、ルーカスやアンドロス公爵、ルードリアン侯爵……そして、国王陛下。
もしもココに爆弾でも投げ込まれたのならば、この国は崩壊の一途をたどる身となるだろう。
(…っていうか!なんで陛下まで⁉)
流石に大物過ぎるだろう、と頬を痙攣させながら聞き耳を立てる。
「――それで、ティアラの居場所は分かったのか?」
「…残念ながらまだだ。隣国まで範囲を広げるとなると、人も時間もかかるものでな」
「……そうか」
重々しい静寂を這う大人二人の会話に、アリシアは面を食らった。
(どういうこと!?ティアラちゃんが…誘拐された…?)
心の動揺を表に出さないよう細心の注意を払いながら、アリシアは一歩彼らに近づいた。
「すまん、ルーカス」
再び訪れた沈黙を、今度は陛下が破った。
威厳溢れる男は旧知の共に謝罪し、更に言葉をつづけた。
「辺境伯のことについてもそうだ。もしもアリシアが気づいてくれなければ、最悪の事態が起きていただろう……しかも、そのせいでティアラに被害が…」
「!?」
陛下の言葉にアリシアは息をのんで固まった。
(『そのせいで』…って…つまり、私のせい…?私が捕まらなければ―私がもっと強ければ、ティアラちゃんは攫われなかった…?私がヘマしたせいで、ティアラちゃんが怖い思いをしている……?)
思わず耳を塞いで叫びたくなる衝動を抑え、崩れ落ちないように足に力を入れるのが彼女の精一杯だった。
―しかし。そのせいで、聞きたくもない言葉が次々を耳に流れ込んでくる。
「ティアラの捜索については、俺の兵も貸すよ~。っていっても、宰相の持つ兵なんて君たちに比べたら少ないけど」
日頃無表情のカイルとは違い、明るく人の好さそうな笑みを浮かべた〈翡翠〉―ライド=アンドロスが言う。
「私のも使っていいですよ…先輩。流石に近衛兵は動かせませんが…私兵なら、いくらでも……」
間延びした口調で〈琥珀〉―レイク=ルードリアンも言う。
「…あぁ、助かる」
学生のころから変わらない友情にルーカスは目を細めながら言った。
そして、そんな大人たちを子供は微笑まし気に眺めていた。
―対して、アリシアは顔面蒼白だった。
(私のせいで…みんなに迷惑をかけている。私が、勝手なことをしたせいで…)
ただ自分を責める言葉だけが、頭を駆け巡る。
いつもの調子からは考えられないほど怯えた少女が、そこにはいた。
「父上。私は攫われた場所の検討を付けておきます。少しは役に立つかと」
大人の会話が一区切りついたと感じたのか、カイルがライドへ言った。
ライドは他人に無関心な子の成長に感銘を受けながら、ニコリと笑った。
「じゃあ俺は町の聞き込みをしてくるっス!何かわかることがあるかもしれないっスからね!」
「…うん。いいんじゃないー」
にっと笑うオリバーにレイクはおっとりした調子で答える。
そして、シリウスも口を開いた。
「僕は宰相の仕事を出来る限りやりますから、ティアラ嬢の救出を―――」
アリシアはそこまでしか聞いていられなかった。
気配を消して部屋を出るなり、自室へ向かって一心不乱に走り出す。
―大切な主に…大切な人たちに、迷惑をかけている…。
ただそれだけのことが、彼女に重く圧し掛かる。
『嫌だッ!嫌だぁッ!捨てないで!!私、次からちゃんとやるから……ッ!ママぁぁあああ!!!』
薄汚れた路地裏で三歳にも満たない自分を捨て去った、いつかの記憶がフラッシュバックする。
走っている向かい風で、涙が後ろへ流されていった。
「……っぅ…!すて……ないで……」
思わずこぼれた本音は、ぜぇぜぇと弾む息遣いに消えていく。
なんとか辿り着いた自室に鍵をかけると、彼女は崩れ落ちた。
―痛い
―熱い
―苦しい
誰かに助けてほしくて。
誰かに自分を肯定して欲しくて。
誰かに認めてもらいたくて。
誰かに居場所を分けてもらいたくて。
まだ本調子じゃない体を奮い立たせ、準備を始める。
(―大丈夫。まだ、まだ、出来る。次は…失敗しないように)
そんな言葉ばかりが心の上っ面を滑り、彼女の心を絡めとる呪縛へと姿を変えていく。
髪を高い位置でポニーテールに結び、暗器を手早く装着する。今日はいつもの黒装束ではなく、腰までのフード付きポンチョとショートパンツの戦闘着に身を包んで腰に剣を差した。今日までに集めた大量の証拠は異空間に収納して――準備は完了だ。
『少し散歩してきます』
メモ帳にそう綴って、アリシアは微笑んだ。
そしてプリズムの輝きが彼女を満たし―次の瞬間、真っ暗な部屋の中には誰もいなくなった。
…彼女が泣いた跡は、どこにも残らなかった。
シリアスがちょっとじゃなくなった気がする……。
もう直ぐ学園編に入るので、お楽しみに~!




