15・執事様と救出
「ふんっ、無様だな。〈王太子の番犬〉」
ニヤニヤと気持ちの悪い笑みを浮かべ、ヘルドギスは舐める様な視線をアリシアによこした。
前世のこともあり多少慣れてはいるものの、木の枝や弓矢によって切り裂かれたボロ服装備では些か心もとないらしい。彼女は居心地悪そうに身動きをした。
「……何か用?辺境伯サマ」
負けじと彼を睨めば、それが不快だと言いたげに盛大な舌打ちをする。
「お前に選択肢をやろうと思ってな。お前の噂は良く聞いている」
「…」
意気揚々と話し出すヘルドギスに、アリシアは無言で冷たい視線を向けた。一般人が見たら思わず粗相をしてしまいそうなほどの、極寒の視線を。
「〈五大魔術大会〉で宮廷魔導士副団長を倒し、最年少の【氷使い】の称号を得る。さらに剣の腕は宮廷騎士団に稽古をつけるほど。―なにより私の”影”を一人で百人近く殺す、その力――」
「……」
アリシアの瞳は段々、段々と黒い闇に溺れていく。
もしも今魔力があったのなら、彼は瞬殺されていただろう。
視線だけで人が一人死んでしまいそうな視線に、愚かなヘルドギスは未だ気づかない。
―もしも彼が今気づいていたのなら、フルボッコになるのは避けられたかもしれないのに…。
「私と契約をしようではないか、シアよ。お前が私のものになってくれるというのなら、命を助けてやるしリーリアもくれてやろう。―どうだ?悪いものではないだろう」
「…………」
アリシアはもう何の感情もないその瞳をそっと伏せ――盛大に溜息をついた。
「はぁぁぁぁぁぁあああ………っ」
「!?」
「お前はバカなのか?」
「――なぁ!?」
怒りを通り越して、呆れた視線で哀れなものをただ見つめた。その瞳の中には何があっても揺るがない意志と、燃える思いが占めていた。
「私に主を裏切れと、そう言っているのだろう?―だとしたら、お前はただの阿呆だ。ド阿呆だ。今世紀一番の大馬鹿者だ」
「お、お前ぇえええッ!」
酷い侮辱に真っ赤に顔を紅潮させたヘルドギスが柵へ飛びついて怒鳴る。そこに鉄格子がなかったらば、今すぐにもアリシアに飛び付き、激情をぶつけていただろう。
「私は主に一生の忠誠を誓っているんだ。お前如きのために振るう剣は私に、無い」
そんな彼を目の前にしながらも、アリシアは変わらない。静かに燃える炎の如き声でしっかりと拒絶を露わにする。
「調子に乗るなよッ、小僧ッッ!お前なんて今すぐにでも殺せるんだからなッ⁉」
顔を真っ赤に逆ギレするヘルドギスは、二人を隔てる障害物を排除しようと鍵を取り出し……
ドゴォォォォオオオオンッッ
何かが壊れる音と共に、地面が大きく揺れた。
震源であるヘルドギスの背後へ視線をやれば、もくもくと上がる土埃。そして、その間から僅かに差し込むのは日の光。
「それは困るなぁ、辺境伯。ただでさえ遅刻した従者を迎えに来るために時間を使ったというのに。これ以上手間を掛けたら僕が陛下や宰相に怒られてしまうよ」
「「!??!」」
本来、ここにいるべきじゃない大好きな人の声。それがアリシアの元にしっかりと響いてきた。
「―迎えに来たよ。アリシア」
「あるじ……!」
視線の先には、土埃に塗れても尚美しい金髪。爽やかに細められるルビーの瞳。壁を壊すために星宝を使ったのだろう、アリシアにはその紅瞳が燃えている様に見えた。そして、実際に壁を壊したらしい剣は紅の炎を纏って燃えていた。
「どう、して……?」
「さっきも言っただろ、シア。遅刻だよ。―ほら、早く帰らないと公務が終わらない」
「……っ」
何時もと変わらない彼に様子に、いつの間にか構えていた肩の力がゆっくりと抜けていく。
本当ならばこんな危険な場所には来てほしくなかった。それでも、アリシアは喜んでしまっている自分がいることに気が付いた。自身の危機に駆けつけてくれる王子様、まるで今だけ自分がヒロインであるように思える。
そして、一歩ずつ近づいてくるシリウスの後ろから何人もの影が現れた。
「先に行かないでくださいよ、シリウス様。お転婆公爵令嬢には私からも色々と言いたいことがあるんですから」
「…っ、カイル様⁉」
いつもと変わらない物言いで、カイルは溜息をつきながら部屋へ入ってくる。
「俺もいるッスよ、シア!助太刀に来たッス!」
「オリバー様…っ!」
そんなカイルと対になるような明るさで、オリバーはニコリと微笑んだ。
しかし言葉は異なっても、二人の瞳がシリウスと同じように光輝いていることに違いは無かった。魔力が空になっている今のアリシアには分からないが、魔力があったのならば膨大で濃厚な魔術が沢山ある現状に気が付けただろう。
じぃん、と心に温かい者が広がっていくのを他人事のように感じながら、アリシアは鋭い瞳でヘルドギスを睨む三人を眺めていた。
そんな時だった。
「私もいるぞぉぉぉおおおお!アリシアあぁぁぁああああああーーッッ!」
「父上っ⁉」
ガシャン、ドカン、ガラガラガンッ。
盛大に音を立てながら…恐らく色々なものを破壊しながら…剣を片手に、涙目のルーカスが飛び出してくる。
そんな彼に続くように、声変わりのしていない少年の声がアリシアに届いた。
「もうっ、こんな狭いところで叫ばないでよ、父様っ!煩いッ!」
「えっ⁈」
「アリシア~?お兄ちゃんも迎えに来たよ。まだ七歳なんだから、夜遊びは許可できないかな~」
「え、エディっ⁉セオ兄様もっ⁉」
ルーカスに対して説教紛いのことを零すエドワードと、相変わらず読めない笑みを浮かべたセオドールも現れる。
(あ、あれ?私ってヒロインか何かだっけ…?)
確か下町に出かけたティアラが誘拐されるイベントで、全く同じメンバーが助けに来るシーンがあった気がする。
目の前で繰り広げられるカオスを達観した面持ちで眺めながら、アリシアは現実逃避気味に思考を飛ばした。
「ごきげんよう、辺境伯。僕の執事に何をやってくれたのかな?」
「―ひぃ?!」
「あぁ、全くだ。ヘルドギス卿。うちの可愛い娘に何やってんだ?」
(父上っ!口調、口調!)
すっかりいつもの調子を取り戻したアリシアは、今にも剣を抜き取ってしまいそうなルーカスへ突っ込みを入れる。
いくら相手が犯罪者だからと言って、ココには王太子もいるのだ。少しくらいは気を付けるべきだろう。
ルーカスとヘルドギスに気を取られていたアリシアは、聞き慣れた少年の声で檻へと視線を戻した。
「アリィ、今カギを開けるからっ!」
「エディ…っ!」
何時の間に鍵を入手したのか、手に鍵の束を持った頭脳派二人がアリシアたちの救助へ来た。
「エドワード、カギってこれじゃないか?」
牢の鍵穴から想定したであろうカイルが、三十程ある鍵の中から一つを選び取り鍵穴へと導いた。
「あっ、本当だ!カイル、助かったよ」
「…べつに」
満更でも無さそうにそっぽを向くカイルに苦笑しながら、エドワードは穴に差し入れた鍵をゆっくりと回していく。
「っ、開いた!…うわぁ!暗くて良く見えなかったけど、凄い傷じゃないか!もう…直ぐに〈治癒〉してもらわないと…」
「―はぁぁ。お前はどこまでバカなんだ…?何故、未婚の肌に傷をつける…」
エドワードは心配そうに、カイルは呆れ果てた様子でアリシアに言う。
傷に出来るだけ触れないよう注意しながら、エドワードはアリシア、カイルはいつの間にか気絶していたリーリアの手足を拘束する枷を解いていく。
天上から吊るされていた手錠が無くなった瞬間、足に力が入らなかったのか、アリシアはペタリと地面に座り込んだ。
「…あ、ありがとう、二人とも」
「そう思うんだったら、もうちょっと自重してね!」
「全くだな」
「―はぃ…」
ツンデレな弟の…いや、主に魔王の圧に負けて、アリシアは小さくなって頷いた。
「…ぅ、ん………」
「‼リリィ嬢!」
「わ、私…は……」
ぐったりと横たわったまま、リーリアは焦点の合わない瞳でアリシアを見つめた。
「もう大丈夫です!リリィ嬢。みんなが…助けに来てくれましたから」
一言、一言、噛みしめる様にアリシアは告げる。
ギュッと締め付けられる胸を隠しながら、アリシアはヘラリと嬉しそうに微笑んだ。
「……そう、なん、です…か……よかっ、た……」
「⁉リリィ嬢!?」
掠れた声で言い、再びぐったりと脱力したリーリアを少女は慌てて覗き込む。
「疲れて眠ってしまっただけだろう。リーリア嬢はお前じゃないんだから」
「むっ、その言い方は心外ですね!」
まるでアリシアが元気であるかのような言葉に、少女は激痛を訴える身体について言おうかと不服そうに口をとがらせて口を開いた。
しかしアリシアが声を出す寸前、部屋に絶叫が響いた。
「うわぁあああああああああああ!!」
「「「!?!?!」」」
慌てて声の方を見れば、ルーカスやセオドール、オリバーがヘルドギスを囲んでいた。…そしてシリウスはその様子をニコニコしながら眺めている。
「たっ、助けてくれぇ…っ!い、痛いのは、嫌なんだぁぁ!」
壁にくっつくまで後退し、両手を掲げながら肥えた男は言う。
「心配は無用ですよ、辺境伯。跡にならないように、ちゃ~んと〈治癒〉してあげますから♪」
「あぁ、だから安心して殴られろ」
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃッッッ?!!?」
(さ、流石は王国きっての騎士公爵家…っ、えげつなッ!)
思わず心の中で叫んでしまうような光景が広がっていた。
「…ま、まさに、フルボッコ……」
些か辺境伯が可哀そうに思えながらも、座り込んだまま呟くアリシア。
「あれは痛いよ…」
あちゃ~と俯いて片目を抑え、頭痛を和らげるエドワード。
「―ま、まぁ…少しは改心するのではないですか?」
ピクピクと頬を痙攣させドン引きしながら、ぼやくカイル。
三人は「あはは…」と乾いた笑みを浮かべながら、殴られては治され、殴られては治され、を繰り返している辺境伯に合掌をしていた。
「っと、そろそろ止めに行かないと。罪を償ってもらう前に精神が壊れてしまいそうだ」
暫くその光景を眺めてから、アリシアは体に気を使って立ち上がり―
「!?!」
ぐらりと体がよろめいた。
「!アリィ!大丈夫?」
「―な、なにっ…が………」
どんどん暗くなっていく、落ちていく視界と思考に逆らいながら呟く。
「アリィ!アリシアっ、アリシア――――――!!!」
今にも泣き出しそうな顔をして覗き込むエドワード。
「シア!アリシア⁉大丈夫ですかっ⁉アリシア!…」
本当に心配そうに顔を歪めながら、叫ぶカイル。
―それでも、段々と身体の機能が落ちていく。
視界は真っ暗になり、ザワザワと聞こえる声もはっきりとしない。
体はまるで重く、どこまでが自分の体なのかさえ分からなくなっていた。
「―――――――――アリシアっっっ!!」
そう叫んだ大好きな人の声を最期に―アリシアの意識は暗転した。