14・執事様と逃走
「はぁ…っ、はっ…はぁっ、はぁっっ」
駆ける、駆ける、駆ける、駆ける―。
朝日が照らし出す辺境伯の地を、アリシアとリーリアはただ駆けていた。
「シア様っ!もういいです!!私を降ろして貴方だけ逃げてください!」
「り、リリィ、嬢…っ!―はぁっ、ダメですっ!っ貴方に、これ以上、苦しい思いなどっ、させたくない…っ!!」
アリシアの腕の中で涙を流し懇望するリーリア。しかしアリシアはそんな彼女の願いを拒絶し、酸欠の頭でリーリア体を抱きしめ走り続ける。
『アリシア。後ろから追手四十だ。……もう、諦めよ。そんな体で【精神操作】をしたら……』
林の中を優柔不断に駆けるアリシアに、契約星霊(王)―レイデスから捻話が届く。
彼にしては珍しく気遣うような声にも、アリシアは頑なに首を振った。
『…っ、大丈夫。心配してくれてありがとう、レイデス。でも諦めるわけには行かないから…ッ』
『……アリシアっ!―いや、分かっておる。お前は決めたことは曲げぬからな…。せめて、何かあったら我を呼ぶのだ。必ず』
『―うん。ありがとう』
神聖な気配が消えると同時に、多くの影がアリシアに追いついた。
「…リリィ嬢。どうか目を瞑っていて下さい」
「……シア、様……。…分かりました」
すぅ、と深呼吸をして、眼前に迫る敵へ備える。
確か数は…四十。いつもなら【精神操作】を使って一瞬で型を付けるが…。
「魔力の残りが少なすぎる……」
【精神操作】は本来長い時間、多くの術者、大量の生贄を使って行う術であるため、魔力の消費が尋常じゃないのだ。―が。今は逃亡のために惜しみなく術を発動させたため、残りは中級魔術でさえ発動できるか危うい程しか残っていない。
元よりアリシアは魔力量が有り余るほど魔力を持っているわけではない。ただ一般人に比べれば"多い"。魔術師にとっては"少し多い"くらいの量でしかない。"百年に一度の逸材"などでは全く無い彼女は、ただ最小限の魔力で最大の威力を出す工夫を重ねているだけなのだ。
「…せめて、リリィ嬢だけでも……」
「残念だが、それは無理だ」
「!?」
何時の間にか眼前に迫っていた一人の暗殺者に〈勘〉で対応すると、すぐに【精神操作】を発動させる。
「――っ⁉なんだ、これは…っ!?」
動こうとしても動けない…そんな初めての体験に敵は困惑を露にした。まるで足が床と一体になってしまったかのように縫い付けられる。
「~~~~~~っっっ!!」
しかし、アリシアの体に身を切り裂く激痛が走ったのも同時だった。
「う、あ!!…っ!いっ……っぁ!て、天地…一閃――桜花爛漫…ッッ!」
何とか敵の動きを止めている間に、アリシアは剣を振りかざす。その異常な速さと共に、魔力越えによって切れた血管の血が辺りに飛び散る。
しかし、背に腹は代えられない。…なんとしてでも、この好機を逃すわけには行かないのだから。
目にも止まらぬ速さで五、十、十五…と一閃していく。
「上下天光――深淵奈落」
更に一撃、二撃、三撃…アリシアは決して止まることなく、ただ敵を斬っていく。
【精神操作】の術が解けるまで――――あと十秒。
「あとっ、十三人……っ!虚空連星――紫雲虹霓!」
木々がアリシアの体に傷を残していく。
けれど二十七人もの返り血を浴びた彼女に、そんなことはどうでもよかった。
ただ、ただ剣を振り続ける。矢が飛んでこようが、剣で斬りつけられようが、構わずに。
「ひゅ――ッ、げほっ!かはぁ――――」
四十人…認知できる全ての敵を倒し切ったアリシアは、そのまま倒れた。
精神力も体力も魔力も――全てが尽きたのだ。
「!シア様…っ!」
使用人よりも酷いボロボロの布を纏ったリーリアが、満身創痍のアリシアの元へ駆け寄っていく。
しかし何を思ったか、アリシアは傷だらけの身を無理やり起こしてリーリアへ叫んだ。
「‼…っぁ!来てはダメだ!リリィ嬢!!」
「え――――?………ぁ…」
アリシアの言葉の意味を理解した時には、リーリアの前に四十一人目の敵が現れていた。
元より大きかった瞳を更に大きくし、リーリアは黒装束の暗殺者を…ただ見つめていた。
―が、リーリアに彼の刃が当たることは、無かった。
「【死ね】………ッ!!!」
アリシアが驚くべき速さで前髪をたくし上げ、【精神操作】の術を発動させたからである。
「…………」
たった一言。
それだけで、四十一人目の敵は地に崩れ落ちた。
アリシアが叫んだ、たった一言の言葉によって…彼は二度と目を開けることも、息をすることも無くなったのだ。
「……ぇ…?今…一体…なに、が……?」
目の前で起きたことが理解できず、リーリアはただ茫然と死体となったソレを眺めていた。
ほんの五秒前は生きていた…彼を。
しかし、リーリアの視線は直ぐにアリシアへと引き戻された。
「~~~~~~~ッ!!!あぁ――――!!」
声にならない苦痛の叫びをあげて、今度こそ本当にアリシアは地に倒れこむ。頭を突き刺すような痛みに頭を抱え込むも、ちっともその痛みは治らなかった。
―当たり前だ。
例え【星霊王の右目】を持っていたとしても、たった一言で人間の存在を消したのだ。その上、満身創痍の身体、空っぽの魔力容量…耐えられるはずがない。魔術が発動しただけ奇跡といえよう。
「シア様!!!」
「―っぁ……ごめ、ん…み…ラ…」
「シア様…?シア様ぁあああーーーーッッ!」
リリィ嬢って、そんなに叫ぶキャラだったっけ?
なんて見当違いなことを考えながら、アリシアの意識は完全に闇に飲まれていった。
***
「ごめ…ん……リリィ嬢……私が弱かったせいで、貴女にまで被害が…」
「なっ、何をおっしゃるのですか!シア様は赤の他人と言っても良い私に、身を挺してココまでしてくれたというのに…っ!」
腕には魔力を奪う枷、足には鎖。
現在、アリシアとリーリアは天井から吊るされているらしい。
すっかり空っぽの魔力は少し溜まるだけで、腕に着いた枷に奪われていく。
その上アリシアは動けないほど傷だらけで、喋るのもやっとの程の大傷を負っている現状だ。
「ほぅ、起きたか」
騒ぎを聞きつけたのか、レンガ造りの牢に一人の男性が現れた。
「「!」」
リーリアと同じ青色の髪に、こちらは彼女とは違う新緑の瞳。
彼の肥えた体を包む絹のローブは、その卑しい笑みの印象を後押ししている。
「ベルモルト卿………っ!」
「…おとう、さま………」
そう。鉄格子越しにアリシアを見つめていたのは―この事件の犯人である、ヘルドギス=ベルモルト…その人だった。