10・執事様の決意
すー、すー、と泣きつかれて眠るリーリアを眺めながら、アリシアは彼女について考えていた。
(リーリア…いや。正しくは、リーリア=ベルモルト辺境伯令嬢。四大公爵家の一つ、ヴィリグラス公爵家の遠縁で比較的新しい一家。隣接するローズィリス王国との外交を担当している…んだっけ?領土は貧困がひどく移民が多いってこの前、主が言っていた気が…しないでも無いよう、な……?)
前世でも一切触れてこなかった勉学に関して、アリシアは劣等生だ。正直、五十以上ある爵位とその詳細をすべて覚えられる気になど全くしないし、興味もない。しかしそんな基本がないようではいざという時に困ってしまう。アリシアはシリウスのため、少しずつでも覚えることにしたのさ。結局、彼女が本気で頑張るのは"推し"に関係あることだけだった。
苦戦しながらもベルモルト辺境伯について、ある程度の情報を思い出す。
「…ん?辺境伯なら財力に問題はない、はず」
そう、問題はそこだ。
二百年前の戦争後にできた"辺境伯"という地位は伯爵位でありながらも、侯爵家と同等の力を持っている。しかも戦争の最前線で戦ったベルモルト辺境伯にはその活躍から多額の賞金が出たと聞いている。
「なのに・・・」
なのに、こんなにもリーリアの腕は細く、膝に乗っている体は軽い。髪は日頃の手入れが悪いのか、よく見るとぱさぱさしているし、七・八歳の子供にしては顔色が悪すぎる。
(実は辺境伯は裕福ではない…?いや、さっき会場を見渡した限りだと辺境伯―ヘルドギス卿は相当肥えていた。なら、リリィ嬢だけ…?)
リーリアの頭を撫でながら思考の波に揺られていると、ポツリと小さくリーリアが呟いた。
「…――――、――……―――……」
「!!!?」
それはリーリアが確かに〈誰か〉へ向かって言った言葉。
―さも、苦悩と悲嘆の中で絞り出したような声で。先の無い暗闇で光を探し求める哀れな少女の如く―。
「…"出涸らし令嬢"、か……」
賑やかなお茶会の声を遠くに感じながら、アリシアは"リーリア=ベルモルト"という人物に思いをはせた。
**
お茶会から三日後の深夜―。
アリシアは黒装束の衣装を身に着けた諜報員と向き合い、渋い顔で渡された紙を眺めていた。
「……そう、それがベルモルト辺境伯での境遇なんだね?」
もはや殺気だったアリシアの重々しい声が、ピリピリと張りつめた緊張の中を響いてく。
「――はい。この情報に誤りはございません。確かに、それがリーリア嬢の現状でございます」
幾度の死線を掻い潜った"影"の諜報員でさえ気圧されながら、アリシアの問いに静かに答える。
「―っ、ご苦労、今日はもういいよ」
「は、失礼いたします―っ!」
彼の返答に顔を歪めながら、アリシアは平静を繕って彼へと告げた。―が、その顔は泣き出す寸前の赤子の様だ。
(くそッ!まさかリーリアが家の中で虐待を受けていたとは―ッ!)
どうして早く気づけなかったのか。自分に対する焦燥と苛立ちが積もっていく。
(ごめん…ごめん、ミラ…。今、助けるから…っ!)
「今日は、徹夜…かな…」
彼女を救い出す。その決意だけを胸に、アリシアは朧げな月を見上げた。
そんな中、頭を満たすのはリーリアにそっくりな少女のこと。
救いたくても救えなかった、傍にいたかったのにいられなかった、彼女のこと。
だからこの決意は、純粋にリーリアを助けたいだけの感情じゃない。
―きっとアリシアの贖罪なのだ。