歌を奏でるもの
彼の喜びを知っています。
良いことがあった時の彼は、少年のようにはしゃぎます。
大きな声で笑ったり、ちょっとだけ踊ってみせたり。
そんなとき、大きな声で好きな歌を一緒に歌います。
彼の喜びが途切れないように。
彼の哀しみを知っています。
なにか嫌なことがあるたび、彼は私を連れて外へ出ます。
目的はありません。ただただ気が済むまで街を歩き回るのです。
そんなとき、彼にしか聞こえない声で鼻歌を歌います。
彼の哀しみを癒すように。
ときおり歩みを止めて景色に目をやります。
普段通りの街並みや、いつもと変わらない空に、じっと目を向けます。
私の手に彼の手が重なって、彼の世界が歌で満たされていくのを感じます。
私の歌が聴きたくなったとき、彼は私の体を手にとります。
絡まった指と指をほどいたら両腕を広げ、彼の頭を優しく抱きしめます。
私の歌を届けるために、私の歌で休まるように。