表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/3

 四方木(よもぎ) 正至(せいじ)という名前を初めて聞いたとき、わたしは率直にヨモギなのかセージなのかどっちなんだよ、と思った。多分小学生の頃のことだ。

 小学生時代はそこそこ仲が良かったような気がするけど、思春期が訪れたときあたりから段々とそりが合わなくなって遊ばなくなった。

 中学校は一緒だったけど一言も話さなかったし、高校はヨモギ君が県北の頭の良い私立の学校に進学していってしまったため、それ以降は噂すら聞かなくなった。わたしは地元の適当な高校に入ったから、そこでヨモギ君との縁は完全に切れたのであった。


 そう、確かに切れたはずなのだけれども。


「四方木正至です。よろしく」


 成長した女の子より成長した男の子の方が昔の面影を残しているような気がする。だからこっちは一発で分かったわけなのだけど、果たして向こうはどうだろう。

 どちらかというと可愛らしくて線が細く、頼りないイメージがあったけど、目の前の彼は少年らしさを完全に脱ぎ捨てた綺麗な顔立ちをしていた。


 思わず目を離せないでいると、なんともなしに視線を巡らせたような彼と目があった。ほんの一瞬。きっと一秒にも満たない時間だった。

 彼は少しだけ目を見開いた。……ような気がしたけど、直ぐに視線が逸れてしまったから向こうがこっちをちゃんと認識したかどうかは分からない。

 縁は異なもの味なものとは言うけど本当にそうだと思う。


 ◻︎


 わたしが通っている大学はいわゆるマンモス校というやつで、学部や学年でキャンパスが分散されていた。

 わたしの学部は一、二年次には比較的田舎にある隣県のキャンパスに通うことになっていて、三年生になると都心の方にあるキャンパスに移動しなければならないような学部だった。

 一、二年次はちょうどキャンパス近くに祖父母の家があったため祖父母の家に下宿していたのだけれども、都心のキャンパスに通うという話になると別に部屋を借りた方が良いだろうという結論に至り、大学から一時間も掛からないところに部屋を借りることにしたのだ。

 風呂とトイレが別で、なおかつシャワーの水圧が程よく、そして治安が良くオートロックで大学がそこそこ近くて値段もそこそこの場所を探すのは骨が折れた。もうばきばきだった。

「ねえさんワガママすぎ!」なんて文句を言いつつ一緒に探してくれた弟には感謝だ。そしてわたしは良い感じの根城を大学の比較的近くに構えることになったのである。


 都心の方のキャンパスに通うことになってから、第二週目の金曜日に交遊会という名の合コンが開催されることと相成った。

 もともとこちらのキャンパスには工学部と建築学部が入っていて、今回はそちら側からのお誘いだったらしい。大学で一番仲の良い友達である千都世(ちとせ)ちゃんは誰とでも友達になれるような子で、今回の合コンをそちら側の人たちと一緒にセッティングしたのは彼女だった。

 ツテの多い千都世ちゃんには主にテスト前に大変お世話になっているため、こういう飲みの数合わせには付き合うことにしている。

 今回も、わたしは千都世ちゃんに誘われて三人の野口英世を彼女に託すことになったのである。


 交遊会は大学の最寄り駅から一番近い歓楽街にある居酒屋で行われることになった。チェーン店で料理の美味しいお店だった。通されたのはお座敷のそこそこ広めの席だった。

 料理が美味しいお店で良かった。別に飲みは嫌いではない。肝臓が特別強いのか、お酒に強い父母の遺伝子を受け継いでいるからなのかは分からないが、お酒は結構いけるクチなのだ。

 けれども、飲み食いするという行為にプラスして男女の関係を結べるよう尽力することというルールが課されると、ありんこくらいの大きさの憂鬱がわたしの中に生まれるのである。別に強要されているわけではないし、美味しいお酒と食べ物があれば吹き飛ぶくらいの憂鬱だけど、それはわたしの腹のあたりを少し重くするのだ。


 けれども、その日の飲みは例外だった。結構すっきりした気持ちで臨めた。ヨモギ君がいたからである。小中一緒だった人がいると思うと懐かしさで気持ちがそわそわと浮ついてしまった。

 本当は彼と小中学校時代の話をしたいのだけど、ヨモギ君は必ず女の子側の誰かと話をしていて全く話が出来そうな雰囲気にならなかった。というかそもそも、こんなみんなで楽しみましょう!といった雰囲気の場で内輪すぎる話をするのもどうなんだろう。

 考えて、それからわたしは彼に話しかけたいという気持ちを抑えることにした。まぁ熱烈に話しかけたい訳でもないし、今回はそういう巡り合わせにならなかったのだと思うことにした。周りに合わせてお酒をちびりちびりと舐めれば口腔内にふわりとした甘みが広がった。梅酒ってなんでこんなにおいしいんだろう。


 月面探査機は三輪が良いか、はたまた四輪が良いか。隣に座っていた初国(はつくに)君が一生懸命ジェスチャーを交えながら何故か熱心に語っていたけど、明太ポテトサラダの美味しすぎてそちらに意識が向いて正直あんまり聞いていなかった。

 初国君もあまり聞かせる気が無いのか専門用語を逐一使って話を進めていたけど、わたしの専門はバリバリの文系だ。そんな理系の知識を煮詰めたような話をされても馬の耳に念仏を唱えているがごとし、といった風にしかならなかった。

 確かに初国君は結構面白いキャラをしている。しかし、それと彼の話がわたしに響くかどうかはまた別問題なのである。初国君の話はわたしには響かなかった。ていうか何故初国君は月面探査機の話を今しているのだろう?


 やれ四輪の方が安定しているけど重量が云々、なんて三角座りで語りつつズブズブ沈んでいく初国君に「初国君飲みすぎだよ、お水飲みなよ」とお冷を渡していると、席を移動して、いつのまにかわたしの隣からいなくなって幹事の男の子の隣に座っていた千都世ちゃんが「そっち側、酒に弱い人が多いのね。今日はお開きにしよっか」と笑って提案していた。ナイスだ千都世ちゃん。

 女子側はこういった飲みに慣れてる面子が集まっていたから潰れた人はいなかったけど、男子の方は五人中二人が沈んでいた。半数は超していないけど、沈みっぷりが見事だった。二人沈んでいるうちの一人は初国君で、もう一人はヨモギ君だ。

 初国君はともかくヨモギ君はさっきまでケロっとしていたような気がするけど、存外彼はお酒に弱いのかもしれない。


「初国はさ、おれと家が近いからいいんだけど…四方木は反対側なんだよな」


 男子側の幹事である白川君が初国君の介抱をしながら、わたしの最寄りから二駅先の駅名を口にした。

 千都世ちゃんは地下鉄で、わたし以外の他の三人の女の子はそれぞれ、実家住まいで最寄駅まで身内が迎えに来てくれることになっていたり、今日会った相手方の男の子と意気投合したため男の子と一緒に帰ることにしていたり等、ヨモギ君と同じ方向へ帰る子はいないようだった。……わたしを除いて。


「路線と方向一緒っぽいし、わたしが途中まで付き添うよ」


 小さく手を挙げると千都世ちゃんにかなりびっくりされた。


「え、でも大丈夫?イスミ、四方木君とあんまり話してなかったし」

「言ってなかったけど、ヨモギ君とは小中学校が一緒だったんだよね。だから多分大丈夫だよ。それに随分酔ってるし」


 多分、千都世ちゃんは一夜の過ち的な観点で心配してくれているのだろう。この歳にもなるとそういう話は聞かなくもないけど、少なくともわたし達の間柄でそういうのは無いと思う。なんとなく、ヨモギ君は合コンにそういったものを求めていないような気がしたのだ。笑顔は無いし何か表情かたいし返答は「ああ」だとか「うん」だとか「そうかもね」ばかりだったし。斜め向かいに座っているヨモギ君を見る。酔っ払っているからか、表情はぽやんとしている。


「ね、ヨモギ君一緒に帰っていいかな?」


 ぼんやりとした、揺れる水面みたいな目でわたしを見て、ヨモギ君は非常にゆったりとした動作で頷いた。


 会計を終えて外に出ると、夜風が火照った頬を冷やしてくれた。寒くもなければ暑くもなくて、良い気候だった。

 ヨモギ君は肩を並べて歩いているあいだ全く喋らなかった。駅前までは割と普通に歩いていたけど、駅構内に入ってホームに続く階段を登るときになって足取りが覚束なくなった。非常に危なっかしくて見ていられなかったので、思わず手を引いて普段は使わないエレベーターに乗り込んでしまった。大丈夫なのかなこの人。

 二駅先だと定期券外だけど、ヨモギ君の安全のためにも彼の最寄りまで付き添った方が良いのだろうか。うっかり路上で寝てしまって財布を誰かにすられたり、なんて話はたまに聞く。考え始めたら何だか心配になってきた。手を離したらホームに落ちたりしそうで怖い。手が離せなかった。


「ヨモギ君、倒れたりしないでね。多分支えきれないと思うから」

 言えば彼はのろのろと視線を合わせてきて「だいじょうぶ」と危うい呂律でそう言った。あまり大丈夫って感じの響きじゃない。


 五分後、ホームに来た電車に乗って数駅。次がわたしの最寄りだったから「ヨモギ君、わたし次の駅なんだけど、帰れる?」とヨモギ君に言ったのだが、返ってきたのは無言だけだし繋いだままの手も外れなかった。

 最寄り駅に着いて、無理矢理降りようとすると、なんとヨモギ君もついてきた。何故。そして結局家に入れるつもりのなかったヨモギ君を、わたしは家に入れてしまったのだった。

 きっと千都世ちゃんははわたしの軽率な行動に怒るかもしれない。これは彼女には黙っておこう、なんて心の中で思いながら、わたしは玄関先で崩れ落ちたヨモギ君のつむじを眺めたのだった。うーん、これからどうしよう。


 ◻︎


 朝、目が覚めると何か綺麗な男の人が自分の部屋にいてびびった。うわっこんな人の前で寝間着の中学ジャージを見られるなんて!って思ったけど、よくよく考えたら相手はヨモギ君だから問題なかった。どうせスッピンとかは見られているのだ。小学生とか中学生の頃の話だけど。


「おはようございます」

「……おはよう」

「朝ごはんはパンしかないけど良い?」

「……うん」


 ヨモギ君は、その感情をあまり表出させないような顔面にはっきりと困惑の色を浮かべた。まさか。ヨモギ君わたしのこと思い出してない説が浮上する。もしかしたら見知らぬ女に連れ込まれた……!みたいに思ってるのかもしれない。純然たる誤解だ。けれどもその心配は杞憂だった。


北風原(ならいはら)、だよね」

「えっ、うん。昨日自己紹介したけど北風原だよ」

「小中一緒だった?」

「このジャージに見覚えがあれば、中学は一緒だったと思うよ」


 ジャージの腕のところに刺繍されている苗字を見せたら彼は難しい顔で黙りこくってしまった。彼は昨日の服装から着替えていない。だから彼の白シャツは昨日のままだ。昨日はアイロンがかかっていて皺一つなかったシャツはくしゃくしゃになっていた。イマイチしまらない。


 彼はセミフォーマルとカジュアルの中間みたいな服装で飲みに参加していた。セミフォーマルより若干カジュアル寄りなジャケットは普通に脱がせて、他はどうしよう……と思い悩んでわたしは弟にテレフォンで相談をした。困ったときの弟頼みだ。

 親が心配性だから、都内某所の大学に通う大学一年生の弟とわたしの借りている部屋は結構近くにある。弟は「ねえさんのバカ!」とわたしを罵りつつも自分のシャツとズボンとコンビニで売ってる男物の下着を持ってきて「なんならこいつ、俺んとこに引っ張っていこうか?」と言ってくれた。わたしもブラコンだけど、弟もなかなかシスコンだ。やさしい。

 弟が主導権を握り、玄関に転がっていたヨモギ君をソファに転がした。わたしはヨモギ君の首元のボタンを外し、弟がベルトを外した。


 そして朝、出来上がったのがよれよれシャツのヨモギ君なのであった。


「昨日のこと覚えてる?」

「合コンに出たら、そこに北風原がいた」

「うん。その合コンでくたくたになったヨモギ君を送ろうとしたんだけど、ヨモギ君一人じゃ帰れなそうだったから連れて来たんだよ」

「……なんかいろいろ、ごめん」


 そこまで気にしてはいない。ふらふらしていたけどちゃんと歩いてくれてはいたから、ヨモギ君が重くて家までつかない!みたいなことはなかったし。その旨を伝えても彼の眉間の皺が消失することは無かった。


「まぁ詳しい話は後にしよう。服とか用意したからお風呂入ってきなよ。お風呂場は玄関の近くだから」


 昔話もしたいし、と笑うと納得できないような表情を見せつつヨモギ君は浴室に向かっていった。


 ◻︎


 自分一人だったら食パンにマーガリン、それからホットミルクで済ませてしまうところだけど、今日はお客様もいることだし少しだけ手間をかけることにした。カリカリに焼いたハーフベーコンと目玉焼き、それからペーパードリップできちんと淹れたコーヒー。そこまで大きくないローテーブルの上にヨモギ君のぶんの朝ごはんを置いて、わたしのぶんはこれまたそこまで大きくない勉強机の上に置いた。


 弟がヨモギ君用に持って来た服は部屋着にできそうなゆるいデザインのシャツと、あとジーンズだった。何故持っているのか分からないけど、弟がいつも着るようなサイズと少し小さめのサイズのものを持って来てくれた。弟、気が利きすぎなのでは?どこに出しても恥ずかしくない弟だ。

 シャワーを浴びてさっぱりとしたヨモギ君がSUSHIという文字とオムライスの絵がプリントされたシャツを着て出てきた。笑ってしまった。ヨモギ君かわいい。


 湯上りだからか、ほんのりと頬を染めたヨモギ君はバスタオルを肩にかけていた。男の子だし、もっと早く出てくるかなと思っていたけど彼はシャワーを浴びるのが好きなのかもしれない。出てくるまでにコーヒーが淹れられて良かった。


「そこのテーブルの上のがヨモギ君の朝ごはんね」

「うん。ありがとう」


 ヨモギ君は小さな声で「いただきます」と言ったあと手を合わせた。ヨモギ君は食事中に喋らない人のようだ。トーストとベーコンと目玉焼きをバランス良く食べ進め、ぺろりと平らげたあと、用意された砂糖二本とミルク一つをコーヒーに全て突っ込んだ。甘いコーヒーを一口飲んだあと、彼はわたしの方に身体を向け改めて姿勢を正した。

 ヨモギ君は座布団に座ってもらっているけど、わたしは少し背の高い椅子に座っている。慌てて椅子から降りようとすると「そのままでいいよ」と抑揚のない淡白すぎる声がわたしの鼓膜を振動させた。


「迷惑をかけた上に朝食までいただいてしまって申し訳ない」

「かたいなヨモギ君…」

「朝食ぶんの金銭は請求して」

「いいよ、別に。ちょうど一人暮らししたてで寂しかったし」


 ヨモギ君はわたしをじっと見つめる。視線をそらしたら負けてしまうような気がして、わたしも彼の目を見返した。真っ直ぐすぎる視線だった。やっぱり表情が乏しくて、何を考えているか分からない。昔のヨモギ君は、もっと怒ったり泣いたり情感豊かだったような気がするけど……それはもしかしたら思い違いなのかもしれない。


 彼は何を考えているか分からない顔で「今日はひとまず帰るよ。後日改めてお礼とかするから……連絡先、教えて」と小首を傾げたのだった。結局その日、昔話は出来なかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ