真昼の防御体制
一度『れんげ屋』に戻ることになり、伊織と蓮華さんの後ろを黙ってついていく。
オレの顔色を察してか、二人とも声はかけてこない。
以前見た『れんげ屋』とは全く違う、とういうか一切関係のないビルの裏口の扉を開けると、そこは『れんげ屋』に繋がっていた。
「おかえりなさーい。もう見つかったのー?」
ジゼルが座ってた椅子を、くるくると回しながら聞いてくる。
「ちゃんと見つけてきたわい。今から発表するから全員呼んできてくれんかの?」
蓮華さんがソファに座って急須から飲み物を注いでいる。
出てるのは紅茶みたいな色をしているが。
「あいあいさー」
ジゼルさんは返事をするとどこかへと走り去っていった。
「いや、もう既に全員いるけど…」
オレが蓮華さんの対面に腰掛けると、伊織が隣に座った。
「そういえばまだ紹介してない人が一人いるんですよ」
座って直ぐに懐から本を取り出しながら伊織が告げた。
今でも十分個性で溢れているのにまだいるのかよ。
そんなことを思っていると、ジゼルが螺旋階段から降りて来るのが見えた。
「れんげちゃーん‼︎真昼君調べ物が終わってないから後で聞くってー」
もう一人は真昼って言うのか。まぁここにいれば直ぐに会うことになるだろう。
ジゼルはせっせとオレと伊織の分の飲み物を準備してくれている。
ジゼルは事務的なポジションなのだろうか。ものすごく手際が良い。
差し出された湯呑みをありがたくいただき、そっと口をつけると思いっきり紅茶の味がして、思わずむせてしまった。やっぱりあの急須の中身は紅茶で間違いなかったらしい。
「ごめんねー、最近れんげちゃんが紅茶にはまってるからー。しょっちゅう変わるから確認してから飲んだほうがいいよー‼︎メロンソーダが急須から出てくることもあるしー」
急須からメロンソーダってすごい光景だな。そもそも葉がいらない物に急須を中継する意味はあるのだろうか?
「仕事中ならしかたない。では、早速今回消えた言葉を発表するかの。それでは皆々様、防御体制‼︎」
蓮華さんがそう言うと、伊織とジゼルがこめかみを急いで押さえる。
意味がわからないが、オレもそれに倣う。
「今回消失した言葉はーーーーーー『恋』ーーーーーーーじゃ」
蓮華さんが『恋』と言った瞬間、頭の中に生前の記憶の一部が、物凄い勢いでフラッシュバックしてくる。
断片的な記憶の映像は直ぐに収まったが、頭が割れるように痛い。
伊織とジゼルがこめかみを押さえていた理由がよくわかった。
治らない痛みを堪えて二人の様子を伺うと、オレと大して変わらないぐらいに痛みを感じている様だった。こめかみを押さえることに痛みを軽減する意味はないらしい。
「蓮華さん、先に言ってくださいよ。なんなんですかこれ」
少しだけ申し訳なさそうな顔をしてオレを見る。
なんだ、こんな顔もできるのか。
「あぁ、すまんかったの。説明するの面倒じゃったから省いてしもうた」
前言撤回だ‼︎やっぱ可愛くない。
「今見えたのは取り戻した言葉に関する記憶じゃ」
「取り戻すって……これで今回の件は終わりなのか?」
「まだじゃ。消失させた原因となる人物が自ら取り戻さねばならぬ。さっきのは無理やりぬし様らに言の葉を取り戻させた代償じゃ。あの小娘の件を解決するためにも何が消失したのかは知っておかんと無理じゃからな」
「じゃぁオレの時も、言葉を取り戻すためにみんなはこんな痛みを……」
治まってきた痛みを堪えながら、申し訳なさそうに聞く。
「いえいえ、僕達はもう慣れっこなんで。今でも痛みは普通に感じるんですが」
伊織が髪を整えながらフォローしてくれる。
「獅童君の時は『方向性』だったからねー。私そういう難しい言葉考えたことあんまりなかったから記憶も少なかったしー」
「ありがとう、二人とも。でも、この体って痛み感じないのかと思ってたよ」
今回の原因となったあの女の子とぶつかった時に痛みを感じなかったはずだ。
「体は人形じゃからの。しかし記憶はそのまま人形に写しているのが原因だとは思うんじゃが……妾もぬし様らを人形にした時に、これなら痛みを感じずに済むかと思っとったんじゃがの…」
蓮華さんの言い方からして、おそらく頭痛という形で『痛み』を感じる原因がわかっていないのだろう。
「それじゃー原因になった女の子の情報を集めるまで休憩ねー‼︎れんげちゃん‼︎詳しく教えてー」
すっかり元気を取り戻したジゼルが部屋を出て行くと、蓮華さんも部屋を後にした。
「そういえば、自分が消失させた言葉で痛みを負った僕とジゼルさんの心配をしてくださいましたが、蓮華さんの事も心配しなきゃダメですよ」
伊織が隣に座っているオレの肩に手を置く。
「よく考えてみてください。あの時ぶつかった彼女がどんな言葉を消失させたのかはわかっていませんでしたよね?それでも蓮華さんは『恋』だと知っていた。これはですね、蓮華さんの言の葉の守人としての能力で、対象となる人物を目視した瞬間に言葉を取り戻してしまうからなんです。想像できますか?何の前触れもなくあんな痛みが襲ってくる怖さが」
伊織の言葉にオレは何も返せなかった。俺たちはあらかじめ覚悟を持って強制的に言葉を取り戻すことができるが、蓮華さんの場合はもはや事故と言ってもいい。
「それにね、僕は12年、ジゼルさんで20年近く人形やっててもあれだけ痛みを感じるのに、蓮華さんは250年以上この痛みに耐え続けているんだよ。そのことは理解していて欲しいです」
伊織はそれだけ告げると、螺旋階段を登ってどこかへと消えて言った。
蓮華さんが時折見せる哀しげな表情が、オレの脳裏をよぎった。
一方、れんげ屋の一番奥にあるジゼルの部屋では
液晶だけが光源になっている薄暗い部屋の中で、ジゼルの吐息が漏れる音が響く。
「んっ.....あっ.....れんげちゃん、そろそろ辞めてくれないとっ...くすぐった」
「あぁ、すまんかったの。他のこと考えておったわ」
蓮華がジゼルの首筋から手を離すと、頰を赤くしたジゼルは、座ったまま前にある机に体を倒れ込ませた。
「いつもよりやたら長いからびっくりしたよー。人が見た映像流し込まれるのって凄く体がくすぐったいんだからねー」
ジゼルがはだけさせたシャツを整え直す。
「で?どうじゃ?あの小娘の居場所はわかったんかの?」
「居場所の感知はできたよー。今はまだ池袋の大通りをぶらぶらしてる」
「なるほど。ではあの小娘に言の葉を取り戻してもらうために作戦会議じゃな」
そう言いながら蓮華が部屋を出ようとするが、扉を少し開けたまま立ち止まり、ジゼルの方へ振り返る。
「ところでジゼル。ぬし様意外に可愛い声で鳴くんじゃな。次は首筋以外から映像流してみるかの」
ニヤニヤとしながら言う蓮華に、ジゼルの顔が真っ赤になってゆく。
「もう‼︎れんげちゃんのばか‼︎ばかばかばかーー‼︎」
それを聞いて満足したのか、楽しそうにケラケラと笑いながら蓮華が部屋を後にする。
1人残された部屋で、首筋意外ってどこだろう?と考えてしまい、また顔が赤くなる。
「私もばかーー‼︎」