ソレ
後ろに跳ね飛ばられた瞬間、人とぶつかった事にはすぐ気づいた。
結構派手に尻もちを着いたが、全く痛くない。もしかして人形になったせいなのか。
とりあえず相手に謝らなければ。と、顔を上げると、自分の目を疑った。
何と表現したらいいのだろう。
見てはいけない、見えてはいけない何か。
雑に描かれた悪魔。
体に悪そうなガスの塊。
何とも形容し難い『それ』が見えたのは一瞬で、そこには今時のギャルと言えば‼︎を体現したような少女がオレと同じ体勢をしている。
あ、もうちょっとでパンツ見えそう。
思わず舌打ちしてしまう。
もちろんぶつかった事に対してではない。急いでた俺が悪いのだ。舌打ちは見えなかったパンツに対してだ。
直ぐに立ち上がり、彼女に手を差し伸べる。
「大丈夫ですか?すいません」
彼女と顔が合う。すると大急ぎで立ち上がった。
「あ‼︎ごめんね!お姉ちゃんよそ見して歩いてたから。僕は怪我してない?」
お姉ちゃん?僕?
オレの体に怪我がないか調べている彼女を置いて、近くにあったショーウィンドウに反射する自分の姿を見て気付く。
この少女の方がオレより背が高いし、メイクのせいか大人びて見える。
「大丈夫ですよ。僕も急いで歩いてました。ごめんなさい」
笑顔が引きつっているのがわかるが、説明しても理解はしてまらえまい。我慢だ。
オレがそう言うと、彼女は胸に手を当てて安堵している。
「よかった。お互い気をつけようね」
彼女は振り返りながらそう言うと。元来た道へと戻って行った。
振り返ると、伊織は物陰に潜んでいたようで、電柱の後ろから出て来た。
「何で隠れてるんだ。助けに来いよ」
オレの言葉が届いていないのか、伊織は少女が戻って行った方向を見つめている。
「見えなかったんですか?あの子の後ろに居た『アレ』を」
その言葉で、最初に見た『アレ』を思い出す。
「もしかして、あの子が今回の原因?」
「ちゃんと見えてたんですね。そうです。あの子が自ら命を落とし、そして今回の言の葉の消失の原因です。まさかこんなに早く、ひしかもこんな形で発見する事になるとは思っていませんでした」
「『アレ』は何なんだ.....」
オレの目に見えた『アレ』は今まで見た事もない。ましてや見えていいはずがない。心をかき乱される様な現象。
「とりあえず実践じゃと思って外に出してみただけなんじゃがの。よもや妾よりも早く見つけ出すとは」
オレ達が進んで来た裏路地からの声に、オレと伊織が振り返ると、蓮華さんが下駄をカタカタと鳴らしながら歩いて来た。
「先ほどぬし様が見たのは『言怨霊』言の葉への怨念を抱いた霊体。言の葉のエネルギーを喰らった死神の姿じゃ」
「言怨霊....じゃぁあの子は既に命を失って....」
自分もつい最近まで彼女と同じ存在だったのだが、実際に見るのとはわけが違う。既に死んでいるのに触れる事のできる存在。大抵の事は受け入れられる様にはなったが、アレを見てしまうと言葉を失う。
「失う?たわけが。失ったのではない。捨てたのじゃ。自らの意思での。
憐れみの言葉などもったいないわい」
蓮華さんが扇子を閉じたまま俺に突きつけ睨みつける。その目は、外見からは想像もできない程の怒りがこもっている。
そうだ。言の葉の消失は言葉を恨み、妬み、そして、『自らの意思で命を落とした者』によって発生する天災。
言の葉の消失は後世へ残すペナルティ。最も忌むべきは、自ら命を捨てた事であるとその時思い知った。
目が覚めてから、場の流れで深く考えていなかったが、オレは彼女と同じ様に、自ら命を落としたのだ。
脳裏をよぎるのは、あの日会社の屋上でフェンスを乗り越え、何とも言い表せられない浮遊感に包まれながら落下していく自分の姿が写った職場の窓。
その時のオレの顔は、先ほど見た『言怨霊』と全く一緒だった。