光に手を伸ばして
翌日、渋谷へやってたきた理由はもちろん、目下の原因である女子高生の後をつけてのことだった。
昨日浴場を後にし、リビングへ向かうと、高級レストランのようなメニューがテーブルにたくさん置いてあり、ジゼルさんの料理スキルに驚きつつ堪能した後眠りについたのだが、朝早くに伊織から起こされた。
そんなわけで『恋』が無くなってから3日目の朝8時である。
蓮華さんはいつもと変わらない黒地に赤い花柄の着物なのだが、隣にいる伊織はTシャツにジャケット、少しだけ掠れた加工のデニムという格好をしている。服装だけではなく見た目も、短髪の黒髪で、身長はオレより10センチ程高く、顔は綺麗に整っているもののまだ幼さが残っている。
いかにも好青年と言ったところだろうか。
「では早速接触してみるかの」
蓮華さんがそう言うと、前方からあの女子高生が歩いて来るのが見えた。
蓮華さんがオレ達から離れ人混みに紛れる。
するとこちらが接触するよりも早く、女子高生がオレを見て近づいてきた。
「あ、昨日の子じゃん。今日は渋谷?偶然だね」
決して偶然ではないのだが。
そこまで言うと、伊織の方を見る。
「お知り合いの方ですか?初めまして。僕は伊織と申します」
伊織が先に名乗ると、少女は髪を撫でながら、見た目を少し整える。
「初めまして。神崎 奈緒です。昨日弟さん?と池袋でぶつかってしまいまして」
神崎奈緒っていうのか。そう言えば名前はお互い知らなかったな。
「そうでしたか。麿由利がご迷惑お掛けしました」
伊織がオレの肩に手を置きながら言うと、神崎は手をバタバタさせている。
「いえいえ、私もよそ見してたので。麿由利って名前だったんだね」
「名乗らなかったのですか?重ね重ねすいません。麿由利は奈緒さんに謝ったの?」
いきなり下の名前で呼ぶとは、流石イケメンはやる事が違う。そして地味に演技が上手くて腹が立つ。不自然になるのを避けるために合わせるが。
「僕、ちゃんと謝ったよ」
僕って....なんかむず痒いな。
「ちゃんと謝ってくれましたよ。それに、麿由利君に怪我がなくてよかったです」
そう言った神崎の笑顔は可愛らしいもので、自ら命を絶つような人間には見えなかった。
「ご心配ありがとうございます。あっ、その服、『プリティーキャッスル』の新作じゃないですか?奈緒さんの可愛らしい見た目にお似合いですね」
プリティーキャッスル?神崎が着ている白いフリルの付いたワンピースの事だろうか?
しかしなぜ伊織は女物の服について詳しいのだ。イケメンは総じて褒められて嬉しい知識をどこからか蓄えているのだろうか。
「あっ、はい。よくご存知ですね。でも、似合ってるとか、可愛いとか、そんな...」
あー、これは落ちる寸前ですわ。
乙女の顔してますわ。
「胸が大きすぎて僕の守備範囲から大きく離れてますが、似合ってますよ」
え?
思わずオレが神崎の顔を見ると、神崎も同じ表情をしていた。
「む、胸って、あの...」
神崎が見られていた事に気付いて、両手で隠すようにする。
「やっぱり女性たる者、水を垂らせば垂直落下するような控えめなのが理想ですよね。大きくて恥じらうのではなく、小さすぎて恥じらーーーー」
ここまでで止めねばと思い、伊織の腹に思いっきり拳を叩き込む。
お腹を押さえて屈み込む伊織を尻目に、オレが神崎の前に立ちふさがる。
「お兄ちゃんって素直じゃなくてさ。こうやって意地悪するって事は、奈緒お姉ちゃんの事気になってるのかもなー」
全力で取り繕うと、神崎が顔を赤くさせる。
「そ、そうなんだ。びっくりしちゃった。面白いお兄さんだね。私、そろそろ行くね。また今度」
そう言ってオレ達の方を向きながら、後ろ歩きで手を振り、背を向けようとした瞬間、神崎の進行方向の信号が赤色になるのが見えた。
「神崎、危なっ...」
視界の端に、トラックが進み始めるのが見える。もう駄目だ。届かない。
そう思った瞬間、オレの頰に突風が叩きつけられる。
ーー廻ーー
今日もあの少年に会うとは思わなかった。
しかもイケメンを連れて。
弟も弟なら、兄も中々癖が強い。
何だか久々に褒められた?きっと褒められていはずだが、同時に恥ずかしくもある。
なんだか落ち着かなくなって、少年とお兄さんに手を振りながら踵を返すと、信号が赤に変わるのが見えた。
しかし、急ぎ気味だった私の足は止まらない。スローモーションになっていく中、トラックが発進するのが見えて、「あ、駄目かも」と思うのと同時に、迫り来る死の恐怖が、何だかつい最近もこんなことあったな。なんて、不思議な事を悠長に考えている。
トラックを運転しているおじさんの、引きつった恐怖の顔を見て、全てを思い出した。
つい先日、私は死んだのだ。その時、お風呂場の鏡に映った私が、丁度おじさんと同じ表情をしていた。
ここ最近私が生きていた場所って地獄だったのかな?自分で命を捨てたんだもん。きっとそうかも。
地獄って、こうやって何度も何度も自分が死ぬシーンを見せられたりするところなのかな?
だとすれば結構きついな。あと何回この恐怖を味わえばいいんだろ。
トラックのミラーに反射する夏の太陽の光が眩しくて、それに向かって何となく手を伸ばす。とくに意味は無いのだけれど、地獄って凄く暗いイメージがあるし、もしかしてあの光に手を伸ばせば、天国に連れて行ってもらえるような気がしたから。
そろそろトラックとぶつかってもおかしく無いなぁ。なんて思ったその瞬間、伸ばした手を天使に引っ張ってもらえた気がした。