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人間の箱  作者: 渡部晃
1/1

プラン1

酷い目覚めだった。


観たばかりの夢の終りが喉奥にこびり付き、渇きを誤魔化そうと飲み掛けの缶珈琲に手を伸ばし、倒す。毒々しい液体と腐った臭いとが拡がる。出来たばかりの滲みに幸先良く、うんうんと羽虫が集っていて、僕はぐてんと布団の外に身を転がし、何が哀しくて目覚めなならんの、思って。

唇の端を這う虫を潰し、袖で其奴と一緒に涎を拭く。ラッキーストライクをくわえ込む。ライターが見当たらなくて、くわえたままで薄れてく夢のを終りを反芻する。

エレベーターの前に居た。表示を信じるなら僕は十二階に存在して、轟音を発して下から箱が飛んでくる。速度は音に相反し、酷くゆるい。箱が止まるまでの間、僕は夢を実感しながらも意味不明な思考をする。同じ事だけを何度も、何度も。

「なんや、冷凍が始まってるみたいやないか」

十階で箱が止まる。昨夜は九階で止まった。今日も同じ夢を観てるな思って、箱が十三階で止まったら自分は其れに乗るのか乗らないのか、また何か入ってるのか入っていないのか。不鮮明に考えてる間に目が覚める。十三階、十三階。フィルターがぐしゃぐしゃになって、煙草を液体の拡がりに投げた。一瞬で毒に染まった。


ACアダプターのコードを手繰り、携帯を開く。午後二時、着信と留守録が八件。

「ああ、もしもし。陽光信販ですが。服部さんさあ、いい加減金返してよ本当に。電話出ろや屑が」

「何回電話したら出るんですか、服部、お前。連絡下さい」

「お前さあ、社会人だろ。高校生でも用意しろったら期日までに金用意するぞ。金返せよお前、なあ。詐欺師がコラ、服部」

フクベ、フクベ、フクベ。そんな奴何処に存在してんのか知らんのやけど、熱湯染みた重油に身体中まみれたような気分で、僕は枕元に積み上がったエロ雑誌の上から、ライターを見つけ出す。同時に煙草を一本投げた事を思い出した。あれは最後の煙草だった。しょうもない思って、灰皿の代わりにしている別の空き缶を逆さにし、出てきた中からまだ長い奴を選び抜くと、フィルターを何に使ったのか解らんティッシュで雑に拭き、其奴に火をつけた。粉のような雑見が口に残り、後の苦い質感を肺で玩ぶ。数時間ぶりの煙に少しだけ脳が痺れた。

また布団に倒れ込む。眼前には汚濁。何時か、僕の中身がまだ正常に生きていた頃、ドキュメント番組で観たゴミ屋敷を盛大に馬鹿にしていた。目の先の現状は其れと同じか少しマシな程で、散乱するゴミの袋と、其れからも這い出した弁当の空きカスと、大量のペットボトルと缶、オナニー後のティッシュ、エロ雑誌、壊れたテレビはノイズだけを配信、羽虫、何かの配線が剥き出しになってお互いを掻き毟るように絡み、その間を動脈のように流れるエレキギター用のシールドが埃と手垢にまみれたGibsonのSGを貫き、すぐ真横で何時か食べ掛けたカップ麺から夥しい無数の「見たことの無い虫」が飛び交い、丁寧な畏怖、其処からの自堕落、思念、自意識、ノイズ。残りは汚濁の最下層に埋まるニーチェとレーニン、それからブレイクコアとプログレッシブ、80年代のパンクばかりを集めたCDで、此の暗くて狭い部屋は形成されているのです。今朝は腐った珈琲で水溜まりまで出来た、何とも傑作、阿鼻叫喚。

後はフクベとか、誰やねん、其れ。


こうやって汚濁の中に身を隠し、自身の荒廃していく様子を眺めて三ヶ月が経つ。水道と電気、ガス等のライフラインは今月末に止まる。連日、法を度外視した借金の取立てが唯一の来客。大家からの立ち退き要請は無視を決め込んでいるが、締め切っていても部屋から放たれる「異臭」は迷惑行為に該当するらしく、先日通報をされた。

この中、部屋の中で、少しずつやけど自分が何者なのかは見失えて来ている。が、完全な自我の喪失は途方もなく遠い。

ゲシュタルト崩壊も試したねんけど、あれはあかんかった。ナチスドイツが実際に人間に試した「鏡に向かわせて自分が何者か延々問わさせる拷問」なんやけど、僕は鏡が嫌いな性分故、この家に鏡は存在しないから砂嵐ばかりを映すテレビの電源を落とし、その中を除き込むことで代用した。

薄い黒さの中に、僕が少し歪んで映る。其奴に「お前はなんや。何もんや、ド阿呆」言うて、今考えたら赤面する程間抜けな真似をする。

一時間対峙したあたりで、写り込む自分の像がぐにゃぐにゃになって見え始める。その間も、其奴に「答えろ、お前は誰や」と、ひたすら続ける。

頭痛が始まる。酷い時で二回、嘔吐した。何日も寝ずに起きている時の身体の感覚に似てるな、思って。一週間も続けたあたりで、徴候は完全な物なって僕を攻撃した。

思考が出来なくなるのだ。四肢を動かす事も僕の意思ではどうにもならなくなり、頭の右側から急速に何かが伸縮しているような音がして、気付いた頃には言語すら無くなっている。不安感と焦燥感で酷い混乱に陥る。「自分が何なのか」と言うより、自分を指しながら「此れは何なのか」と言う考えが強まる、つまり自分は物にしか思えなくなるのだ。

やがて幻覚。テレビ画面の奥から貞子よろしく、ぬっと自分の姿をしたが人間が現れる。

「お前は誰や」

対峙した自分はニタニタと笑い、鉄よりも無機質で冷たい手の平で、僕の腕や身体を強く掴むではないか。

「お前は俺?違う。お前は誰や」

突貫して迫り寄る自分。

僕は言葉を発する事が出来ないので、あうやあ、と情けなく嗚咽を漏らし、失禁するのが精一杯だ。自分はそれを見、なんや汚いなあ、とげらげら笑う。思考が追い付かず、相当にまで貪ったニーチェの哲学までも喪失し、現状を分解する気の効いた思想も引き出せず、ただ、ぐらりとコールタールのような深みに沈む。堕ちる。

「見てみい」

自分が僕の頭を恐ろしい力で掴み、テレビ画面に押しつける。映像が画面の物なのか、脳に直接送られているのかは解らんのやけど、畜産工場のような場所で人間がバラバラに解体され肉の塊になる行程を見せられた。

「ラベルになんて書いてあるか、読んでみい」

僕の名前が在ったような気がしたが、既に自分の名前が何なのかすら解らないので、それは感覚的な物だった。

「いいか、あれがお前や。それでもって、俺は俺や。面白いやろ、俺はお前であって、お前は俺やないねんで。二律背反言うて。お前は俺のスペアでありおまけであり、その証拠にあれ、何処に流されるのか考えつくか、解らんやろ、あれ売られるんやないねんで。処分、処理。元から使えない、手違いで搬送された物を、お前みたいな奴を、国がわざわざ金出して処分してくれんねんで。感謝しい」

意識が終わった。


其処からどう帰還して、どう言う方法で今僕が存在するのかは思い出せないが、目が覚めたら酷い鉄の臭いと全身に無数の切傷があり、手元にべったりと血のこびり付いた業務用カッターナイフが転がっていた。

僕は常々自傷する人間を忌み嫌っていたので、心底から悔やんで泣いた。同時に、この方法で自我を喪失していく事を封印した。

何故、僕はこうして部屋に何ヵ月も引きこもり、僕を破壊しようとしてるのかなんて、絶対に言わん。誰にも。

其れは言ってしまえば意味を喪い、僕から何もなくなるからや。

僕は僕を保持しながら、僕を終わらせるのだ。

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