(8)
「佐東さん?」
そうだ、鍵を持っているとすれば佐東さんだ。
「どうでした?」
話しかけるが、反応はないし、人影もない。
「?」
俺はゆっくりとスライドドアから顔を出す。
「おぉぉ……」
スライドドアの取っ手を押してくる黒い影が見えた。
髪型は佐東さんそっくりだが、服はボロボロにちぎれ、そこから見える肌は黒く腐っていた。
「腐臭…… 本物のゾンビっ…… うそ?」
その黒い人物が閉める力はさして強くなく、俺はそのドアを押し戻した。
「佐東さん? 佐東さんでしょ?」
仕事の最中にこんな悪ふざけをしたことはなかったが…… そう思いたかった。
「そうだよ…… あの林のなかで、カマれちまったんだよ…… 体が腐っていくから、お前を噛むしか……」
「うそだ! 冗談やめてくだ…… 」
後ろから腕を引かれる。
振り向くと、そっちには小さい婆さんが、やっぱり皮膚が腐って黒くなって、そこにいた。
そして、大きな口を開けて、俺の手を……
「やめろ!」
俺が突き飛ばすと、元お婆さんだったゾンビは、床に倒れて下半身と上半身が千切れた。
更に酷い腐臭が広がり、駐車場の弱い灯りに照らされた白い蛆が這い回った。
「うっ……」
「君島、お前人殺しだ…… 死刑だ…… おとなしくカマれろよ」
いや、人じゃないだろ、ゾンビなんだから……
手を伸ばしてヨロヨロと進んでくる。
「佐東さん、病院で、病院でみてもらいましょう。病気なら治るかも」
「治んねぇよ、お前をかじればもう少しだけ動けるんだ……」
俺はスライドドアを開けて、佐東さんの肩をつかみ、後部座席にすわらせた。
そして、ロープでぐるぐる巻きつけ、動けないようにした。
「なにすんだよ…… 噛まないと腐っちまうって言っただろう…… おい……」
そして素早く運転席に戻った。
エンジンを掛けるが、セルは回る音がするが、かかったような音がしない。
「噛ませろ……」
佐東さんは飛び出さんばかりに目をひんむき、口を大きく開けてそう言う。
ゾっとしつつももしかしたらマフラー部分になにか詰められたのかと思い、運転席を出る。
車の後ろに回ると、また人がいる。
腐った肌、髪を後ろに撫で付けている…… 奥さんの浮気相手?
片手を車のマフラーに突っ込んで、腕がちぎれかかっている。
「お、お前…… 俺のこと、つけてきやがったな……」
「いや、不倫するお前がわるいんだろ」
「だから、噛ませろよ」
口と思われる裂け目を超えて口が開く。
「やばい!」
思わず足を伸ばして、蹴り飛ばしてしまう。
まるで体重がないみたいに無抵抗に駐車場の壁にぶつかり、不倫男は砕けてしまう。
「うっ……」
また更に酷い腐臭が広がる。
俺は細い棒を拾い上げると、マフラーのつまりをひっかきだして、取り除いた。
運転席に戻ると、佐東さんは相変わらず目を大きく見開いて喚いていた。
「今度こそ」
セルが回ってエンジンがかかる。
興奮していたせいか、アクセルを踏みすぎるようだ。
勢い良く飛びした車は、駐車場を勢い良く走り、のれんのような出入口を突破……
「うあっぁぁぁ……」
奥さんが飛び出して来た。
白い肌の奥さんが、俺の車の前に。ブレーキを踏んだが間に合わなかった。
ものすごい音がして車がとまった。俺はエンジンも切らずに運転席を降りた。
奥さんはまともだったのに…… お、俺が轢き殺してしまった。
「奥さん…… 大丈夫ですか」
「大丈夫なわけねぇだろ」
車のライトに向かって倒れていた奥さんが上体を起こしてきた。
黒く腐った肌、抜けてしまって薄くなった髪の毛…… 飛び出し気味の眼球……
「うぅっ……」
奥さんの姿をみた俺は、強い吐き気を感じて、そのまま駐車場の壁に歩いて、手を突いた。
「うぅぅぅうぇっ……」
自分の吐瀉物が見える。胃、小腸、大腸…… 内臓が口から…… あ、ありえない。
ブルッと寒気がして目が覚めた。
「ゆ、夢……」
た、確かにゾンビなんて夢以外にお目にかかれないだろう。
どうやら俺は後ろの座席で、固まった様になって寝てしまっていたようだ。
口を開けて寝ていたらしく、口が乾いて、喉が痛い。
視界に何かが見えたような気がして、ゆっくりと横をみる。
「……佐東さん」
佐東さんがいない。
スマフォのメッセージを確認する。
「……」
一時間と五分。もう一時間過ぎてしまっている。
いや…… せめて。
俺は運転席の方へ移動して、車を裏の方へ回す。
そして林の方向へ車を向け、ライトをハイビームにする。
山道が続いていて、草木が揺れているだけだった。
他に動くものはない。
大声で呼びたいところだったが、それは出来ない。
今日失敗したとして、明日成功すればいいのだ。無理に尾行調査していることをバラす必要はない。
俺は車の時間を見て、佐東さんに言われた言いつけをまもり、車をクライアントの家へ向かわせた。
同じように高速を走らせると、四十分もたたない内に戻ってこれた。
最初にクーペが止まっていた方の駐車場を覗く。
クーペは戻っては来ていない。
当然だ、奥さんを送り返せば、ここに長居する意味はない。
駐車場は、もう殆どの車がいなくなっている。
念のため、俺はそこを通り過ぎて最初の駐車場に止めた。
もしかして、先回りできたのだろうか。
何度もクライアントの家の回りを回る。
不審に思われないように、コンビニの袋をもって、いったりきたりのテンポを変えて。
先回り出来ているなら、この後に奥さんが帰ってくるはずだ。
しばらくして、俺はうごくのを止めた。
人通りが少なすぎて、返って動いている方が不審に思える。
三時間、四時間と過ぎていく。
空が明るくなってきた。
急に、鳥が鳴いて沢山の鳥が空に見えた。