(42)
「どこに行くつもり?」
店の奥から加茂の声がした。トイレへの逃げ道が塞がれた。
今度は、入店する音がして、そちらをみると入り口側には幸子が立っていた。
「見つけた」
両側から俺を追い詰めてきた。
「協力するよ、協力すればいいんだろ?」
「あなたは免疫があるのか、抵抗力があるのか、私達とは違うようね」
「どういうことだ」
俺は左右を見ながら後ろへ下がった。
幸子本棚にそって近づいてくる。加茂は瓶やペットボトルの棚沿いに俺を追っている。
「あなたには生きていた時の記憶があるのよ」
加茂がそう言った。そういえば、加茂の調査の前に奥さんの様子が変わった、という話があった。佐東さんも記憶喪失だという。井上も記憶を取り戻す、とか話していた。もしかして、奥さんも同じ病原体に冒され、記憶を失った、というのか……
「私の力がまだ本当ではなかったせいかしら」
今度は幸子がそう言った。
幸子から…… まさか、俺の部屋に上げた時、あの時に病気をうつされた?
「どちらにせよ半端な状態にある。この男は危険すぎる。完全に壊すしかない」
「壊す?」
「あなた、人間としては死んでいるもの」
ウソだ。俺は記憶がある。
俺は死んでいない。
だから佐東さんを井上を救おうとして……
「死んでいない!」
俺は商品棚から、右手と左手にスプレー缶をとって蓋を取り、握りしめた。
「何を取った? いけないんだ、泥棒だよ」
「警察呼ぼうよ。捕まえてもらおう」
幸子と加茂がからかうようにそう言う。
そうだ、警察を呼ぶ方法がある。
俺はレジの付近をみた。
「店員なら出てこないわよ。奥で血を吹いて倒れているから」
「加茂、まさかお前が」
「幸子があんまりトロいから、私が先回りしちゃった」
先回り? なんだ、どういうことなんだ。
「先回りって、どういうことだ」
「あなたには私が加茂美樹に見えるんでしょうけど、私が加茂美樹じゃないとしたらどうかしら」
にやり、と笑う。
反対側で幸子も笑う。
「ほら」
すると、幸子の髪の先がチリチリと線香花火のようにはじけていく。輪郭も同じように空間が弾けるようにして変形していく。
「……」
「これは誰? あなたが思っている幸子? それとも」
「加茂だ。加茂美樹。お前が加茂美樹だったのか」
シンクロしたように同時に同じ声で、挟まれた状態で笑われた。
『どちらも加茂美樹ではない』
「加茂美樹はもう居ない。お前と同じだ」
両方の加茂が、また輪郭や毛先がチリチリと弾けるように変化していく。今度は体格までが変わってしまう。
「幻覚なのか……」
目の前には、鏡で見る俺の顔があった。
あの動画も、こうやって撮ったというのか。
「幻覚? 私達は人間ではないのよ。もう、美樹だとか幸子、君島だ佐東だ、という呼称も、何も意味をなさない。言葉遣いも、性別も、何もかも」
「ちょっと色が白いのが難点だけど……」
そう言ってから、コンビニの入口側から、幸子の服を来た加茂美樹の顔をした女が近づいてくる。
「ねぇ、もう一度試してみてもいい? 君島さんあなたもその気はある?」
胸元を大きく開けて、前かがみになって揺らすようにしてくる。
幸子だ、こいつのせいで俺は……
「昇天させてあげるよ」
「あんた加茂の奥さんの方が抱きたかったんだろう。幸子から聞いたよ」
「なっ……」
「考えていること、わかるのよ。目の前に幸子の姿あるのに、全然違う姿を想像して、よく抱けるわね」
「近づくな!」
俺は幸子の服を着た女に整髪剤スプレーを噴射しながら、レジに走った。
「痛い……」
幸子の服を着た女は床に伏せてしまう。
俺は通り過ぎて、レジ台の向こう側にある非常通報装置を押す。
これで警備会社の画像確認が始まって、問題があれば警察がくるはずだ。
「そんなことをしても私達はなにも困らないぞ」
加茂は幸子のところに行き、引き起こした。
確かに加茂の方は服からなにから一切、姿が変わってしまう。幸子の服を着ている方は、着ている服までは変わらない。違う姿になってしまえば、ずっと追いかける以外に捕まえることは出来ない。
俺はそのままレジ台に飛び乗った。
「早く確認してくれ、警察を呼んでくれ!」
台に立ち上がるとレジを撮っているカメラに叫ぶ。
「早く! 助けてくれ!」
入店音がなる。
「!」
男女のカップル客が入ってきたが、俺の姿をみて立ち止まった。
幸子は入口へいってすれ違いざま、その客らに「あいつ、やばいよ」と小声で言って出ていってしまう。
「早く警察を呼べ!」
加茂も店を出て行くように出入口へ進む。
女の客は無視するように店の奥へ入る。男は俺を睨むように監視している。
加茂もゆっくりとコンビニを出ていってしまった。
よし、とりあえずこのまま人が増えてくれば……
俺はその後もカメラに向かって叫び続けた。
男女の客の後にも、何人か客が入ってきては入口で折り返したり、トイレだけ借りて帰っていった。
加茂達がどこで待ち伏せているのか分からない為、俺はここから出ていくことが出来なかった。
ようやく回転灯を付けたパトカーがやってきた。入ってくる警察官に俺は言った。
「助かった……」
安堵感の後、時間をおいてから次々とやってくる警察関連の車両の数に、自分にかけられた容疑の大きさに戸惑い始めた。
コンビニの店員はバックヤードで絞殺されており、警察は俺がやったと判断したようだった。俺は何度もその容疑を否定した。
湖の底から見つかった車と、車の中にあった死体についての殺害容疑も同様に疑われた。
その後の裁判で、コンビニ店員の殺害以外は無罪になった。
コンビニ殺人について、罪を認めない俺の態度のせいで、無期懲役になってしまった。
ずっと否定したのだが、結局、レジの金目当てだったということになっていた。確かに殺してまで得たいものが整髪用スプレー二本では殺人の動機になりえない、と思ったのだろう。勤めていた探偵社をクビになり、将来に漠然と不安を持った容疑者は通りかかったコンビニのレジの金欲しさに忍び込み、店員にみつかると首を絞め、殺した、んだそうだ。
俺はもう上告しなかった。
裁判に勝ったとして、治るあてもない病気を治すために病院に通う金もない。
それに刑務所の外には、人間の姿をした恐ろしい生き物がいる。
刑務所は安全だった。
「面会だ」
父や母には、来るな、と言って以来一度も面会にきたことはない。俺の噂が広まったせいで、あちこち逃げ回るように暮らしていて、それどころではない、というのも本当の理由だろう。だから今日来る探偵社の佐々木さんが、久しぶりの面会人だった。
刑務所の通路を歩いていると、若い刑務官が興味深げに、俺の顔を見るのが分かる。そして、十分距離を置いた後『あれが人肉食った君島ってヤツ?』と、聞こえるように話している。裁判をしていたころ、ある動画サイトに加茂美樹が撮ったビデオが投稿されて話題になったのだ。おそらく、加茂の声はカットして、俺だけが単独でやったように見せる内容だった。だから、警察はどうしてもそっちの容疑でも有罪にしたかったようだ。こっちで有罪にならなかった、その点については、俺についた弁護士のファインプレーだと思っている。
面接室へ続く廊下の扉を開くと『ビィー』とうるさい音がなる。
俺は歩きながら、鳥の鳴き声を聞き、ふと廊下の外を見た。
鳥のフンが何か意味ありげな配置に落ちていた。言葉にはならなかったが、何を意味しているのかを体が感じたようだった。俺は足が動かなくなった。
「どうした? 早く歩け」
そうだ。ここは刑務所だ、外にでなければやられることもないだろう。俺はそう考えることにして、なんとか歩き出した。
「早くしろ」
「はい」
面接室にはいると向こうからも女性が入ってきた。
もう容姿も記憶がない。面会者は髪が長く、眼鏡をかけていた。
お互いに座ると、女性は顔を近づけてきて、小さい声で言った。
「どうもお久しぶり」
「……」
女性は正面に掛かった髪をかき上げると、言った。
「忘れちゃったかな。けどいいのよ。確かめに来ただけだから」
「何のことですか」
「病気の進行状況よ。さっき見覚えのあるものを見聞きしなかった?」
「まさか、あれはお前が……」
女性は笑った。
「に、匂いでわかるお前は……」
言えない、人の時の名前を言っても意味がない。俺が社会にいた時は『加茂美樹』だった女だ。
「良かった。ずいぶん長くかかったけど、私に匂いで気づくなんて、病気が進行している証拠よ」
「……」
「ああ、けど思い出せないのね。記憶が冒されてきたんだ。もう少しよ。もう少しで完全に記憶がなくなって、無事に私達の仲間入り」
何か、何か変だと思っていた。
そうか…… 物覚えが悪いんじゃなくて、記憶が消え始めていたのだ。
「た、たすけてくれ……」
慌てて立ち上がろうとして、転んでしまった。
「どうした、君島」
「君、何を言ったんだ、面会はここまでだ」
「君島、君島?」
「この独房、いつの間に君島になったんでしたっけ?」
「ああ…… そういえば、お前が長期休暇の時だったな」
「いつの間にこんなに?」
「面会がきっかけらしいな。色白の、ちょっと色っぽい感じの女性だった」
「面会ですか?」
周りをみて、喫煙場所に行こうという仕草をした。
しばらく歩いてから周りを見渡し、廊下で話を始めた。
「なんです、あそこでは話せないんですか」
「気味悪いうわさがあってな」
「……人肉食ったっていう?」
うなずいた。
「聞くのを嫌がる連中がいるのさ」
「……」
喫煙場所につくと、お互いタバコに火をつけた。
ものすごい勢いで回る換気扇が、煙を外へ追い出す。
ステンレスのバケツに入った水は、溶け出したニコチンでどす黒く変色している。
ふぅーと最初の煙を吐くと、話し始めた。
「君島に面会があったんだ」
「はぁ。それで気が狂ったんですか?」
「まぁきけ」
先輩は、面会の時の騒動を細かく話した。
「面会人とあって気が狂った?」
先輩はうなずいた。
「そのまま気が狂ったわけではないんだが」
「それじゃ、なんで?」
「いや、わからん。その時以降、野外作業になると暴れだして手が付けられない。独房行きって訳さ」
「暴れるっていったって」
「上空をみて、鳥、鳥って暴れだすのさ」
窓の外には確かに鳥が舞っている。
「あの鳥ですかね?」
「さあな」
終わり




