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「何を言っているの? 声も、姿も、君島さん以外いないわ」
映像の音がさらに大きくなった。
「この映像なかのあなたは、幻覚を見ている時のあなたよ」
違う…… 幻覚は見ていたのかもしれないが…… 違う。
何かがぷっつりと切れ、俺は気を失った。
凄い数の鳥の鳴き声で目が覚めた。
俺はまだ柱にくくりつけらていて、部屋の窓は閉じられていた。窓を閉じたせいか、部屋は暗かった。
ダイニングキッチン側にはぼんやり灯りがついていたが、こっちの部屋には明かりがついていない。
あの映像、合成したようには思えなかった。
特に死体の肉をえぐる部分が…… いや思い出すのはやめよう。また貧血になってしまう。
とすると、本当に俺がやったか、俺のそっくりさんがやったのだろう。
幻覚を見ているときの自分の状況は、自分のその間の記憶と違ったものだった。つまり、あれをやっているのが《幻覚を見ている俺》であった場合、本当に俺がやっていたのかもしれないことになる。
いや、それでも……
「この場が…… いまこの瞬間が幻覚なのかも」
俺は口に出してそう言った。
確かに、自分が言った。
幻覚の中で?
さっき水をかけらたような気がするのに、目覚めなかった。
幻覚のなかから、もう抜け出せなくなったのかもしれない。この中で解決するしかないのだ。幻覚の中のルールで。
部屋の中に響いていた鳥の鳴き声が、突然、ぴたりと止んだ。
俺はあたりを見回した。
「私に協力する?」
小さく声がした。
こえのする方向は、ダイニングキッチンからの灯りの影になっていて、暗く、見えない。
「加茂か?」
「どう? 私に協力するなら、縄をとくわ」
闇から、四つん這いで近づいてくる加茂が見えた。
襟元から、白い肌の胸のふくらみが見える。
「協力してくれる? ここに男を連れてくるの。それだけでいい」
「男って?」
「誰でもいい。若くて、力のありあまっているような。食べ出のあるやつが」
俺は加茂美樹の胸ばかりに気がいってしまっている。
「縄をといてくれるなら、つれてきます」
「ふふふ…… そういってくれると思った」
加茂が素早く近づいてくると、俺に抱きついてきた。
俺は加茂の胸に顔をうずめながら、何か赤黒いものがうごめくのを感じた。
「いい子。連れてきたら、もっといいことしてあげる」
加茂は立ち上がると、俺の後ろに回り、縛っていたロープを外した。
俺は慌てて立とうとしたが、変な恰好のまま、ずっと動かなかったせいで、体中がしびれて立ち上がれなかった。
「行きなさい」
フラフラしながらも、何とか立ち上がると、ダイニングキッチンの向こうにある扉へ向かって歩き出した。
廊下にでて扉を開けようとすると、灯りがパッとついた。
「まずは一人」
加茂がそう言った。
俺はうなずいた。
扉を開け、自転車を探して山道を歩き始めると、再びけたたましい鳥の鳴き声が始まった。
バタン、とその後にドアが閉まる音がして、別荘から漏れていた明かりが消えた。
俺はスマフォで道を照らそうとして、取られたままであることに気付いた。
「……」
振り返ったが、もどってスマフォを取り返そうとは思わなかった。
逃げれる。
今、逃げれば、なんとかなる…… かもしれない。
走って自転車を道にだし、飛び乗る。
懸命にペダルをこぐ。
月や星の明かりは、頭上を覆う木々の枝葉でとどかない。自転車の灯りだけが頼りだった。
何度か来た記憶をたよりに山道を進むと、ラブホの光が見えてきた。
頭上を見て、俺は様子がおかしいことに気付く。
鳥たちの鳴き声だった。
移動しているのに、まるで追いかけてきているように、まったく変わらないのだ。
一帯全域に鳥がいるとは考えにくい。
そもそもこの暗い中、鳥たちは飛べるのだろうか。
もう一度、力を入れて自転車を全力で走らせた。追ってきているのだとしたら、鳥たちも合わせて移動してくるはずだ。
やはり鳥たちが追ってきている。
頭の隅に嫌なことが浮かんだが、自転車をこいで温まった体が言った。考えすぎるな、鳥が自転車をこぐことをじゃましない限り、問題ない、と。
山道を抜けると、鳥の鳴き声は置き去りにされた。空を飛んでまでは追いかけてこないようだった。
「助かった」
ラブホの駐車場へ入ると、人の声がした。俺は聞き覚えのあるその声に、自転車のブレーキをかけた。
「助けて……」
さっきよりも小さい声。幸子の声だった。
助けて、とはどういう意味だろう。
なぜ加茂と一緒にいなかったのだろうか。まさか、加茂の狂気に気付いて、逃げ出してこのどこかに隠れているのではないか。
そもそも今日、あの別荘にきたきっかけを思い出した。
幸子が送ってきたメッセージと画像だ。
俺は自転車を置いて、声のする方へ、階段をあがった。
階段や上がった先の廊下には誰もいなかった。
声がしなくなっていた。
「幸子?」
俺は受け付けを通りすぎ、関係者立ち入り禁止と書かれたドアを開けた。
いきなり明るい白色光に、目がついていかなかった。
目を細めながら、事務所を見渡す。
「幸子、いるのか? 大丈夫か?」
ようやく全体が見えてきたが、誰もいない。
受け付けには誰かがいるだろう、と奥へ入ると、開け放っていたはずの扉が閉まる。
振り返るが、扉には誰もない。
受け付けへ移動しようと、部屋を進むとつまずいて転びそうになる。
「えっ」
机のしたから、手が出ていた。
「幸子?」
かがむと、こっちを見て、横たわっている女性がいた。
「か、和世さん!」
ビックリして、遠ざけようと動揺して壁に背中をぶつけてしまう。
目が開きっぱなしであり、床には血が滴っている。
つまりそれは和世さんではなく、和世さんだった人の死体だった。
「わざわざ机のしたに死体を置くなんて」




