(39)
し、死ぬのか…… 俺はここで……
顔面に激しい痛みがあって、まともに目が開けられなくなった。
「殺しますか?」
「……」
加茂は、あごに手を当てて、何か考えているようだった。
「とりあえず、向こうの部屋の柱にでも縛り付けておいて」
「はい」
井上は、俺の腹を蹴り、そのまま靴底で押し出した。床をするように動くと、今度は頭の方を踏みつけ、また靴底で隣の部屋に行くように押し出す。押して動かないと、足を引いてから強く蹴った。
口の中に血と何か石のようなものがたまってきて、口を開いて吐いた。鼻からも血が出ていて、呼吸は口でするしかなかった。
柱と言っていた場所まで蹴り動かされると、加茂から投げられたロープを受け取った井上が俺をそこに縛り付けた。
体全体に力が入らず、この縛り付けらた状態のまま、死んでいくのか、という思いがよぎる。
「助けてくれ……」
加茂と井上には、全く聞こえていないようだった。
「あなたはこの男を知っているはずなのよ」
井上は俺の方を向くが、何も話さない。
「戻った時には絶対に聞かれるんだから、覚えておかないと」
「こいつに、頭を殴られ、車から引きずり降ろされた、と言うんだな」
「そうよ。記憶を作ってから戻らないと、佐東みたいになるわよ」
どういうことだ、記憶を作ってから…… 佐東みたいに失敗……
「こんなに血だらけじゃよくわからない」
井上がしゃがんで、髪を引っ張り上げる。顔の皮がつれて痛い。
「ほら」
加茂がタオルを投げる。床に落ちて含まれている水が跳ねる。
タオルを拾い上げ、井上が俺の顔を拭く。含まれている水が、肌をつたって、服に落ちてくる。
「へえ、こいつが…… なんだっけ?」
「君島よ。私を調査していた探偵。あなたも同じ探偵社に勤めている探偵」
「きみじま、だな」
井上は俺のお尻のポケットに手を伸ばした。
「こいつ、なんか持ってる」
俺のスマフォを取り上げ、加茂の方へ持っていく。
「ああ、これを使えばあなたの記憶を取り戻せるかも」
加茂がスマフォの画面を指でなぞったり、ボタンを押したりするが、段々表情が険しくなってくる。
ロックがかかっているはずだ、何をみているのだろう。
「……これ、ロックされているわ」
加茂と井上がこっちに近づいてくる。
「指でロックされているから、君島の指をここにあててロックを解除しなさい」
「わかった」
井上が俺のスマフォを持って、膝をつく。柱に縛り付けられている俺の腕を強引に引っ張り、指をスマフォにあてる。
力が強くて、抵抗できない。
何指か試しているうち、ロックが解除してしまう。
「解除できた」
井上はスマフォを読み上げるように顔を前にかかげ、加茂のところへ持っていく。
加茂は奪い取るようにそれを受け取ると、また指を動かし始める。
「ほら、これが『佐東』ね。おぼえなさい。う~ん。もっといい写真ないかしら……」
写真はそれ以外はないだろう。伊藤さんの写真ぐらいは入っていたかもしれないが……
「あ、電話番号があるわ。これを控えておけばいい。一人ひとり呼び出せば、名前と顔も一致する」
「……なるほど」
「なぜ」
加茂と井上が驚いたように振り返った。
「どうした、きみじま」
「なんで記憶を失っている。お前も、佐東さんも」
「すべて正常なのよ。記憶が残っているあなたが例外なの」
お、俺? さっきから何を言っているのか。感染させた、とか、俺が例外だとか。
「井上はここで完全に記憶を作ってから探偵社に戻る。君島が犯人だったという証言をする」
「警察はきみじまを探す。そして湖の近くで首をつっているのを発見する」
「……というシナリオよ。井上が、君島に殴られたことを証言し、私は君島が浮気相手を殺して肉をえぐるところを見た、と証言する」
「何を言っているんだ。でたらめ過ぎて、だれも信じない」
俺は加茂と井上を睨みつけた。
「警察は私の証言を信じるわ」
加茂はニヤリと笑った。
スマフォを取り出すと、俺の目の前にしゃがんだ。
「どうして警察が、私の証言を信じるのか、見せてあげる」
俺の目の前に横向きにしたスマフォを突き出す。
ぼんやりと暗い映像に、パッと明かりがつくと、それはこの部屋を映したものだった。
「よくみて」
人が映っている。その目の前に、もう一人が横たわっている。
横たわっているのは細身の男。クーペのオーナー、村上と思われた。
そしてその前にいるのは…… こっちは完璧に見覚えのある服装。
「まさか……」
映像の中の男が、くるっと振り返ると、鏡で見たのと同じ《俺》がそこにいた。
『もっと近寄って撮れよ』
動画を撮った時に聞いたことがある。そうこれは俺の声だ。
画像はそれに反応して、小さい声で『ごめんなさい』といって動き出す。姿のない声は加茂、加茂美樹の声だった。
十分近づくと、映像のブレがおさまる。
『これから、この刃物で、肉を裂くことにします』
か細い女性の声がそう言った。
『その後美味しくいただきます、はどうした』
男はニヤリとカメラに向かって言った。小さい、果物ナイフ程度の刃物をカメラに向け、横たわっている男の体を切り裂いていく。村上の心臓は止まっているようで、血は流れ出ていくだけで噴き出すことはない。
「うっ……」
延々と続く残酷な死体の解体に、俺はスマフォから目をそむけた。
軽く貧血のようになり、目の前が白くなった。
そうだ、俺はこんなことできない……
他人の怪我の『話』を聞いただけで、その突き出した骨や、血の色、削られた肉のようすを想像して、吐き気とともに脳貧血を起こして倒れてしまう。俺はずっとそうやってきた。どう考えても、これを実行している映像は、俺とは考えられない。
「これは…… 俺じゃない」
そう口を開くのが精いっぱいだった。
「あなたでしょ? 鏡をみたことないの? どこからみても、これはあなた自身だわ。人肉を食わなければ生命が維持出来なくなってしまった哀れな生物」
そ、そういうことだったのか……
動画の中の俺は、ナイフに切り取った肉を、何度かそのまま口に運んでいた。
「俺じゃない……」
映像を見続けると気を失ってしまうので、目を閉じた。しかし、えぐるときに骨にあたるのであろう、きしむような音がするたびに想像してしまい、血の気が引いていく。




