(38)
何も状況が変わらないまま、俺は加茂の前に姿を現してしまった。
「あら、そちらにいらしたの。要望通り、玄関を開けましたから、どうぞこちらからおあがりください」
俺はスマフォをそのままお尻のポケットに突っ込んだ。
「……」
会釈をして、玄関扉へ近づいていく。
少しだけ、別荘の中の様子が目に入る。そのまま正面には階段があり、その横を入るとさっき見えていたベランダのある部屋の方へ入れるようだ。加茂との距離が五メートルぐらいに近づいたとき、どこにいたのかと思うくらいの数の鳥が、一斉に鳴き始めた。
また俺はビクッと反応して、足が止まった。
鳥たちの鳴き声は、うるさいほどの音量で、ピーピーと泣き叫んでいる。親鳥がヒナに餌をあげに戻ってきたかのようだ。
「えっ?」
自分の考えに、怖くなった。俺がエサ? 加茂は親鳥、そしてこの上の木々の枝に、エサをまつひな鳥がいる、というのか。一瞬、白骨化した村上の死体…… その肉がそがれていく様子が頭に浮かんだ。
「どうしました? また幻覚ですか」
俺はこれ以上近づく前に、加茂が気がくるっているのか、正常な人間なのか確かめたかった。
「あなたはさっきこう言いました。『私達がなにをしているのか』を教えると。下の湖では村上さんの車と死体を調べています。私たちが何をしているのか、というのは村上さんを死体にした、と言っているようなものですよね?」
「いいえ、私が何をしているのか、を話すだけです」
言い終わって、口角が軽くあがる。
「何がおかしいんです?」
「幻覚を見ている人と話していると、こんな風な会話になるのかな、と思ったものですから」
また『幻覚』の問題だ。俺の中で事実とそうでないものがごちゃまぜになってくる。
本当にこの周りの様子が、見えているものなのか、頭の中が勝手に作り出した夢のようなものなのかがはっきりしない。
和世さんの言った通り、一度医者に診てもらってからここにくるべきだったか。
「……扉を開け続けるのも疲れるので。入ってくるか、来ないのか決めてください」
何度も保留していた決断をここでしなければならなかった。
俺はもう一度、別荘の中の様子を見て、決断した。
「行きます。待ってください」
俺は玄関の方へ歩き出した。
加茂が部屋に入っていくのを見てから、俺は玄関から入る。
そして加茂が入った部屋を見ながら、タイミングを見てから中に潜り込み、テーブルをはさんで加茂の反対側の席をとる。
「そちらに座って…… ああ、もう座っていらっしゃるのね」
加茂も椅子を引いて、俺の正面に座った。
「まずは、あなたの推測を聞きましょうか」
加茂は、肘をたて、そこに顎をのせた。
優しそうな笑みを浮かべている。
俺は一瞬、手に力が入った。
「加茂美樹さん。あなたは画像SNSをやっていますよね」
「ええ」
「女子会の写真やら、習い事の写真、日常の風景などをとってアップしていますが、その中で定期的に不自然な画像がある」
「……」
「なんのことかしら?」
ほとんど推測は出来ていない。これからハッタリをかまそうとしているのだ。
「あの道路の画像ですよ。それ以外ありませんよね。そして、ある場所とは、ここ。この別荘のことだ。逢瀬の合図だったということです」
「へぇ、道路の写真でそんなことが分かるのかしらね」
「あなたが村上さんや長嶋さんと一緒になる日には、必ず道路の写真がアップされています」
「たった二回でしょう? 偶然かも」
机の下でぐっと手に力が入った。
「いいえ。佐東さんにその画像を見せたところ、これは『ある場所へ集まれ』という意味なのだ、と言いました」
「え? それが根拠? 記憶をなくした人が言っている狂言だわ」
「佐東さんが記憶をなくした? そんなことは一つも言っていませんが」
「はぁ…… 結構疲れるわね」
俺は加茂の行動に全神経を集中させた。
「そうよ。佐東さんは私が返してあげたんだから、だから知っているのよ。記憶がないって」
加茂が立ち上がった。
俺も一瞬、立ち上がろうとしたがやめた。だが、椅子を少しだけずらして、立ち上がりやすくした。
「佐東さんをここで監禁していたのか」
「あなたをここに呼んでいるように、その佐東という男とここで交渉していたのよ。協力するか、それとも拒否するか」
「協力?」
「佐東は協力を選んだ。だから返してあげた。だけど、そのまま戻すわけにはいかないでしょ」
俺は一方の手を添えた。
「どういうことだ」
「感染させたのよ」
「えっ?」
「しらばっくれないでよ。あなたと同じ状態になっているの。だから道路の画像の意味がわかる」
俺は今、正常な状態なのだろうか。思い出してみると、確かにあの画像の意味がわかったような瞬間があった。
「?」
何かを確かめようとして、テーブル越しに加茂が顔を近づけてくる。
しまった!
気づかれた……
「こんなものを握りしめてたのね」
バシャと音がして、俺の持っていた傘は床に叩きつけられた。
「先に座っているから変だとは思ってた。玄関から上がってくるまでも遅かったし」
「……」
「最初からやってやろう、ということね。ならばやり方はあるわ」
「呼びましたか」
その声には聞き覚えがあった。
玄関から入ってきた方の扉から、男が部屋に入ってくる。
「あなた、この男、覚えている?」
「いいえ」
「井上!」
俺の知っている井上ではない。肌が白過ぎる。
と、思った瞬間に俺は目を閉じていた。
井上の拳が、俺の頬をえぐるように突いてきた。椅子から転げ落ちた俺は、頬を押さえながら、片目を開いた。
「痛いでしょう? これでもまだ、戦う気があるの?」
加茂が髪を片手で流しながら、俺を見た。そして、すぐに井上の方を向いて、あごで指図した。
ゴールキーパーが置いたサッカーボールを蹴るかのように、大きくステップして、足を後ろに振り上げる。
手で顔を覆いながら、目をつぶってしまった。
直後に、自分の腕が弾かれたように鼻を直撃し、その後に井上のすねが当たった。
上半身が激しく壁にぶつかって音を立てる。




