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普通に話したらおれのアリバイはない。途中で佐東さんとはぐれ、その後は……
いや、ラブホの婆さんに会っている。あの話さえすれば、いや、その後の時間はどうする? ずっと加茂の家を見ていた、のだ。いや、駐車場のレシートがある。車をあそこに止めるには、それなりの時間に湖を離れなければならない。村上が殺されたとして、その時間帯にここにいることができない証明ができればいいのだ。
スマフォのスクリーンショットをめくり、時間を確かめながら、俺は話を始めた。
前置きとして、加茂から依頼を受けたことを軽く話す。
佐東さんと俺が、依頼を受けたこと。張り込みの過程で村上が現れ、奥さんを乗せて湖まできて、村上と奥さんを見失った直後に佐東さんもいなくなってしまった。俺は探したが、車で待機したのと、ラブホのお婆さんと話し、その後に車で帰ったことを話した。奇妙なことに奥さんは先に帰っていたこと、駐車場の領収書から夜中の時間には加茂の家の近くまで戻っているのは間違いないこと、を話した。
「加茂の本宅の近くの駐車場に止めた、という領収書があるんだな?」
「ここにはないですが、会社にあるはずです。経費の申請があるんで領収書を発行して会社に提出していますから」
一木は何かメモを取っている。ペンが止まると、口を開いた。
「それでは、その一週間後。井上さんと長嶋あつしさんが行方不明になった時の話に移ろう」
「ちょっとだけいいですか?」
「なんだ?」
「俺、疑われてるんですか?」
一木は笑った。
「まさか。まさか、今気づいたのか」
「いや、ここで話を聞こう、と言われた時になんとなく」
「いや、確かにお前の周りで警察が動いていなかったのが不思議なくらいだよ」
笑いが消え、目つきが厳しくなった。
「理由がわからん、という顔をするな」
「疑いがかかっているなら、もっと早くても」
「お前の会社からの要望だよ。会社に助けられていた、ってことだ」
一木は俺の後ろに回るように歩く。
「しかし、それももう限界だってことだ」
会社側が辞めさせたいのは、やはりこの事件のことだった。俺以外に犯人にたどり着ける人間はいないはずだ。まて、佐東さんは? あの加茂の奥さんの画像の意味が分かるのならば、事件の核心にたどり着けるかもしれない。
違う。今は自分の無実を証明しよう。
「佐東さん、井上ならともかく、村上、長嶋、という加茂美樹の浮気相手と思われる人を殺害したりする動機も、時間もありません」
「佐東と井上ならともかく、か」
「もちろん、佐東さんにも井上に対しても、何もないですよ。動機が、理由がないじゃないですか」
「問題はそこじゃない、可能か不可能か、というところだ」
完全に俺を犯人にしようとしての捜査だ、ということだ。
一木は湖から引き揚げられた車の方へ歩いていく。
「ほら、この車」
ナンバーを指さす。
「お前が追いかけていた車で間違いないんだろ」
「そうです」
「お前は車を追いかけまわしてたつもりだろうが、車の中には人が乗っているんだよ。追いかけられれば、逃げるだろう」
「追いかけているのがバレるようなことはしていません」
「じゃあ、なぜ湖に落ちた」
「あの別荘」
俺は指さした。
それは湖の崖上に小さく見える別荘だった。加茂の別荘。
「あそこの駐車場、そもそも車止めがあるわけじゃないから、誤って落ちたんじゃないですか」
一木は何かメモを取っている。
「誤って落ちた、のを目撃したのか」
「聞いていましたか? 落ちたんじゃないですか、と言っただけです」
クレーン車のエンジン音が急にうるさくなって、耳を塞いだ。
湖面に入ったワイヤーの先を見ていると、水面から泡が上がってきた。
「何が上がってくるかわかるか?」
「M社のワンボックスでしょう。長嶋あつしの車だ」
「そういうことが分かるのは、お前が関係しているからだろう?」
一木は俺の顔を指さして言う。
「お前が車を湖に落とした」
「違う」
クーペを追いかけたときも、ワンボックスを追いかけたときも、あのラブホで見失っている。ただ、それは俺しか証言できない。佐東さんは記憶がないみたいだし、井上は行方不明なのだ。
「証明できるのか」
黙るしかない。俺が落とした、と証明できなければ、俺が犯人になることはない。変な情報を警察に与える方が、俺にとって都合がわるい。
「またあそこから誤って落ちたと言う気か?」
「……」
ものすごいエンジン音が続いたか、と思うと、急にクレーン車の巻き上げが止まった。
大声で合図すると、ボートの上からダイバーが一人、潜っていった。
「佐東さんや井上のことを除けば、加茂美樹が一番疑わしいでしょう」
「もちろん調べているよ。ただ加茂は村上も長嶋も知らない、と言っている。君がこの湖まで追いかけたと日も、家で寝ていたと言うことだ」
「それは探偵社にあるドライブレコーダーの画像を確認すればすぐわかる話です」
「湖底から引き揚げた車にもドライブレコーダーはついていた。どこまで記録が残っているかわからんがな」
一木はそう言うと、俺を見つめた。
そして、親指を立てて、後ろへ引いた。
「こっちに遺体がある、見てみるか?」
「い、遺体……」
「まあ、気にするな」
気後れしている俺の後ろに回り、一木が体を押す。
鑑識が細かな作業を行っている脇に押し出され、俺は死体を見てしまった。
「どうだ? 何か感じないか?」
「……」
それは遺体、と言われて想像していたものとは全く違っていた。
肉やら皮、髪の毛と言った、生きていた時の容姿を想像させるものが一切ついていなかった。
「な、なんで白骨化しているんですか」
「こっちが聞きたい。何故だ?」
「知りませんよ……」
俺は軽く足が震えていた。
「クーペの中から発見された。助手席側に頭を倒しているような状態で」
引き下がろうとするところを、一木が押しているせいで、俺はその死体をずっと見ていなければならなかった。
鑑識が、骨と骨の間や、肋骨の内側、骨の湾曲した部分に何かを見つけ、ピンセットで丁寧につまんでいた。
「す、すみません、気分が……」
口を手で押さえると、一木が後ろに引っ張った。大切なものに嘔吐されたらたまらない、といった具合に。
「おっと、吐くならこっちにやってくれ」




