(31)
佐東さんへのメッセージを返すと、幸子への返信を考えた。
会えない? つまり向こうは会いたいということだ。
何のために、もうお金とか、そういうことは一切考えなくていいはずだ。
この前、それとなく言っていた旦那がふるう暴力、のことだろうか。
それに巻き込まれるだけの度胸も勇気もないが、逃げたいのなら、探偵社でのこれまでの経験から逃がしてやることは出来るかもしれない。
幸子のことを考えると、透きとおるような白い肌を思い出し、それとともに情動がよみがえる。抱きたい、そういう欲望だ。いや、何かがすり替えられている。俺が本当に欲しいのは、幸子なのか、加茂の奥さん、加茂美樹なのか。
そういう本音を押し殺してメッセージを書いた。
『旦那から逃げたい、とかそういう事?』
送ってから、何を見るでなく外を見ていた。
飲み物を手にとろうとして、まだ何も注文していないことに気付き、手を上げて店員を呼び寄せた。
コーヒーを頼むと、スマフォの画面にメッセージが返ってきた。
『わかりました。検査が終わったら孝明とそちらへ向かいます』
お願いします、とだけ送信する。
すると幸子からも通知が来ている。
『旦那とは別れるから。誰にも言わずにここに来て』
幸子の自撮り画像。キス顔での写真にハートのスタンプが打ってある。
「ん?」
俺は、妙に空間が空いている背景部分、特に窓の外の風景に気が付いた。
……湖。
いや、海? 向こう岸に山が見えるから、おそらく湖、湖のような場所だ。
何か見覚えがある湖。
俺はその写真に位置情報が含まれるか調べる。
「!」
スマフォに地図が表示された。
あの場所、佐東さんがいなくなった山道の先。
湖…… 間違いなく加茂の別荘を指し示している。
『おい、いまそこにいるのか?』
俺は慌てて確かめる。
幸子がなぜそこにいる?
『うん。お友達と一緒だよ。お友達って、えっと、知り合いの女性』
知り合いの女性?? だと? 加茂の奥さんか?
その女性は加茂、っていうのか、などと送ったら、どうなるかを考えて止める。
何かそれとなく、自然に確かめないと……
「お待たせしました」
さ、幸子?
俺は素早くスマフォの電源ボタンを押して画面を消した。
ゆっくりと横を向くと、女が立っていた。
「?」
「あ、すみません、なんでもないです。ここに置いてください」
店員はコーヒーを置いて帰っていった。背中で笑っているようだった。
注文した時の店員ではなく、今来た店員が幸子の声に似ていたのだ、いや、似ていなかったかもしれない。クイズで声を当ててみろ、と言われて正確に幸子の声を当てられる自信はない。とにかく、心理的に追い込まれていた。
何故急に会社は俺をクビにしようとするのか、幸子と加茂の奥さんの関係はなんなのか、未だに行方が分からない井上、浮気相手と思われる二人、急に姿を表した佐東さん……
そもそもの始まりは奇妙でもなんでもない、ただの浮気調査。
「そうか」
さっきスクリーンショットをとった資料から、加茂が依頼してきた内容をもう一度みてみることにした。
自分でまとめた資料だったが、忘れかけていた。
スマフォの画像を拡大して、文字の確認をするのは難しかったが、この資料は自分で書いたものだったので、ある程度、思い出して補完できた。
初めに加茂の奥さんは何か病気にかかった。会話も上手く出来なくなるような病気だ。病気かどうか、加茂は名言しなかったが、話の内容からして明らかに病気になっていたのだろう、ということだ。
病気の進行に伴い、肌も白くなっていいき、奥さんは夜中に外に出ようとし始めた。
加茂が何故、病院に行かせなかったのがよく分からないが、病状が落ち着いてきたら、外には出ようとしなくなったそうだ。しかし、どうやら加茂が完全に寝てから外に出いているのでは、という疑惑が残った。それで俺たちに浮気調査をしてきた、という訳だ。
ただ加茂は病気だとは一言も言っていない。病気ではなかったか、という俺の想像に過ぎない。
それは当然だ、加茂自身が病気だ、と思ったら病院につれていくだろう。
あー、うーとか言い出したのを病気と思わないかどうかは、他人の主観による。
そんなことを思いながら、資料を読み返していた。
ふと、加茂の奥さんの調査に入る前の件の資料が目に留まる。
「そういえば」
奥さんの名前をみると『幸子』だった。いや輪郭とかは似ている気がするが、同じ人物ではないだろう、なにしろ肌の色が……
「お待たせしました」
声の方を見ると、女性が立っていた。
「えっと…… 佐東さん?」
初めて見る佐東さんの奥さんは、真っ直ぐな長い髪にスーツを着ていて、学校の懇談会に出る母親のような格好をしていた。
後ろには佐東さんが立っていた。
背の高さから言えば、奥さんに隠れることは出来ないのに、わざと奥さんの影に入るようにしてこちらに目を合わせない。
「……」
「あの……」
「孝明、ちゃんとして」
まるで子どもをたしなめるような口調だった。
奥さんの影から出てくるようにこちらを覗き込むと、
「あっ、君島? 君、君島だよね」
と言った。俺は「はい」とは答えたものの強烈な違和感を感じていた。なんだろう、この人は佐東さんなんだろうか。記憶喪失かなにかなのだろうか。
「孝明、そっちの奥に座って」
「うん」
佐東さんは恥ずかしそうに背中を丸めて、壁側の奥の席に座った。
奥さんも静かに座ると、店員がやってきた。
「ホットと、アイスココア」
と慌てたように告げた。
「君島さん。これは一体どういうことなんです?」
「?」
「孝明のこの状態は、何なんですか?」
電話で告げたハッタリが効いているのだ。
知っている風に答えなければ奥さんは直ぐにでも佐東さんを連れて帰ってしまうだろう。
何か、この一瞬で考えつくこと……
あえて言葉を発せず、佐東さんの様子をじっくりと見た。
久しぶりに合うせいか、肌の色が違う気がする。
「佐東さん、左手を見せてください」
おそるおそる佐東さんが手を伸ばしてくる。




