(28)
「また、ここにきとんか。危ないっちゅうたろうが」
何を言われているのかを理解し、後ろを振り返った。
お婆さんがそこに立っていた。
山道を和世さんが走ってやってくる。
「良かった……」
俺は手に持っているスマフォがびしょ濡れになっていることに気付いた。
「良かった。防水スマフォで」
「君島さん。ヤバいんじゃない?」
「……」
和世さんは別荘との距離を言いたいようだった。
「この前は、こっちに来んように幻覚をみとったが、今日は引き寄せるようじゃった」
「……」
「この次は、この別荘に飲み込まれて……」
「えっ」
「なぁ~んてね」
和世さんはおどけて見せたが、表情は硬いままだった。
「俺って、いつここに?」
「いつだったっけ?」
「なんか一生懸命ノートパソコンで映像を見ているな~って思って気を抜いてたら座ってないんだもん」
「えっ?」
俺はスマフォの履歴を見た。
幻覚を見ていた、と思われる時間の発信と着信の履歴がある。
「俺に向かって、『幻覚でも見ましたか?』って言いましたよね?」
「そんな失礼なこと言いませんよ。幻覚をみているかどうかなんて、本人にしかわからないんですから」
「……」
いったいどこからどうなって俺はこの山道をここまで来たのか。
誰かがここの別荘に、俺を入れたがっているとでも言うのか。
「とにかく風邪ひきますよ。事務所に戻りましょう」
俺は山道を帰りながら、車のオーナーへ電話をかけた。
やはり圏外か電源が入っていないという応答だった。
「あっ、君島さんケーコに電話した?」
「それってレンタカーの会社に勤めている娘?」
「そう。電話したでしょ?」
「はい……」
「幻覚見てるって、バレたから、そう思っていた方がいいよ」
俺はうなずいた。
あそこからは正常に戻りつつあった、ということだろうか。
「和世さんはその時に探し始めたんですか?」
「いなくなってすぐ婆ちゃんが『いかん!』っていうから」
お婆ちゃんがこっちをちらっと見る。
俺はお辞儀をする。
「すみません」
「体を治してきてから出直した方がいいですよ」
「いや、病気じゃないですから」
「幻覚見るのは病気です。都心には心療内科とかありますから」
和世さんは頭を指さした。
「病気……」
「だって、電話で『和室から出してくれ』って言ってた場所が、別荘の前なんでしょ? おかしいと思わないの?」
「残りの映像だけ確認させてください」
「あの……」
「それだけは!」
俺は山道で土下座した。
「……」
見上げると、和世さんはお婆さんと顔を見合わせた。
「対策はさせてもらいます。それでよければ」
「ありがとうございます」
オフィスに戻ると、和世さんは頑丈そうなロープを持ってきた。
「なんですか?」
「幻覚見てもどこかに出ていけないように、椅子に縛っときます」
ノートパソコンの置いてある場所の椅子に座ると、腰のあたりをロープで椅子に縛りつけられた。
「腕が使えるから外して出ていくかもしれませんよ?」
「後ろで縛るから大丈夫ですよ。それに、はずすだけの時間があれば、こっちも気が付きますから」
とにかく映像を見ていくことにした。
俺はスマフォに映しとった映像も確認した。加茂の奥さんがここを抜けて戻っていること、俺自身はここの下の駐車場を二度抜けていること、それはスマフォに残した。
後は…… 今、佐東さんが戻ってきている。ここから先の山道に入ったら、このラブホの駐車場を抜ける以外、まともな道では帰れない。
つまり、行方不明になったところから、今日までの映像の中で、佐東さんらしい姿が、このラブホの駐車場のカメラに映っていてもおかしくないわけだ。
もちろん、湖を使ってとこか別の岸から帰った可能性もあるから、このラブホの映像に映っていないこともありえる。
佐東さんがいつここを抜けたのか、知っておく必要があると思った。
なぜかはわからなかった。
ひたすら映像をみたが、佐東さんらしい人影は映っていなかった。
あれだけの幻覚をみた後なのに、その後は全く幻覚のような症状は出なかった。
俺が見ている間、お婆さんと和世さんの勤務が交代し、さらに交代になった。
受付から和世さんがオフィスに戻ってくるなり、俺に言った。
「まだ見てるんですか? 後何時間いるつもりですか?」
「すみません」
「すみません、という話じゃなくて。後どれくらいの映像を確認するつもりですか?」
「あ、あとちょっとですから」
和世さんが怪訝そうな顔をしてノートパソコンをのぞき込む。
「あ、はい。じゃ終わったら言ってください。送っていきますから」
「大丈夫です、幻覚なんてみませんから」
「大丈夫だと判断するのは、ここが正常な人がしますんで」
そう言って自らの頭を指でついた。
悔しいが言い返せなかった。
しばらくして、すべての映像を確認し終えた。
「ふぁ~」
事務所の天井を見上げて、大きく息を吐いた。
結局、佐東さんはこの駐車場を通過していなかった。
林を抜けていくか、湖を泳いだか、この山地をさまよってなんとか国道に出たとか、そういうことなのだろう。
このラブホの駐車場を抜けていなかったことに、どんな意味があるのかは、なんのために確かめようとしていたのかもう分からなくなっていた。
「さあ、帰りましょう。もう来ないでください。くるなら、治療がすんでからにしてください」
「……」
和世さんが、俺を縛り付けていたロープをほどいてくれた。
「立てますか?」




