(2)
「実際は一週間も稼働しないですよ。怪しい時間帯の行動を調べることになります。パックにしないで、一週間張り付くように調べてしまうともっとお金がかかりますよ」
「……」
「ま、まあ、そこら辺はじっくり考えていただくこととして」
固まりかけたクライアントに、俺はそう言って話をすすめさせることにした。
そもそもこの契約の話が得意じゃないし、どっちで契約したらいいですか、って逆質問されるから、イライラしして好きじゃないのだ。佐東さんはこれを上手く持っていかないとビジネスにならないと言っていた。もらえるクライアントからは貰わないと、ということらしい。まあ、どんな金額をもらうにせよ、内金が入らなければこっちは動けない。本当に調べていい内容なのか、クライアントが何か誤解しているだけなのか、もっと話を聞いておいた方がいい。
応接室で、さらに長い時間を状況の確認についやした。
書類の記入をし、契約が決まってクライアントが帰る為、エレベータを呼び出した。
待っていると、クライアントの加茂が振り返った。
「内金をいれれば、調査していただけるんですね」
「はい。内金の確認次第、行います」
「開始の連絡は?」
俺は佐東さんの後ろに隠れるように立っていた。
表情を見せてはまずいと思うからだ。
こんな風にクライアントが何度も同じことを聞いてくるのが嫌だった。
このクライアントにしてみれば、つい何時間かの間に初めて聞いたり読んだりしたことで、不安なのは分かるのだが、俺はこんな退屈な会話を何度も聞かされるのはいやだった。
「期間の間のどこかで調査を開始します。今回は証拠がつかめれば良いわけですから、緊急の事態を除いては、途中でご連絡することはありません。この日にもう一度、このオフィスに来てください。報告書をお渡しします」
「よろしくお願いします。すぐ振り込みます」
加茂は深く頭を下げると、エレベータのドアが閉まった。
佐東さんが振り返ると、言った。
「君島。そういう顔するな」
「すみません」
「さあ、伊藤さんに飯をおごってもらおう」
昼も大分まわっていたのに、伊藤さんは約束の為にオフィスに残っていてくれた。
俺と佐東さんはあれこれと話しながら、結局焼肉屋のランチに決めた。
伊藤さんは快くうなずいてくれた。
食事をしながら、少しクライアントの話をした。
当然名前は出さない。
俺は言いたかったことを口にした。
「奥さん、クライアントと比較すると、かなり若いですよね?」
「写真を見る限りはな。写真と現実は違う…… ってお前もそれくらいわかるよな?」
「けどなんか、好みというか、色っぽいというか」
「君島は、ああいうのが好みなのか?」
「どんな感じなんだ?」
「色の白い、美人というわけではないんだけど、雰囲気があるというか」
「色はな…… 化粧があるんだからな。実際みてがっくりするなよ」
俺は少しカチンときた。
「別に何かするわけじゃないんですから、がっくりなんて」
「今日の話し、資料に起こしておいてくれよ」
「はい」
俺がさっきの話の内容をまとめて記録することになる。
音声もそのまま取っておくが、音声は聞きたいところを探すのが難しい。
要点をまとめるのと、それが何分ぐらいに記録されているのかを書き留めておくのだ。
「あ、伊藤さん、それで相談が……」
「何だ君島」
「奥さん、俺が思うに、何か病気……」
どん、と足を蹴られた。
佐東さんが目を細めて、睨んでいる。
「病気って、お前医者かなにかか?」
「いいえ」
「なら受けた仕事をきちんとこなすことが先だよな」
「なんの話だ?」
「……伊藤さん、なんでもないですよ。こいつ病気ちゃうか? って思うような変わったタイプの女性」
「ああ、そういうはよくあるよ。人から見ると病気なんじゃないかってな。一人一人、個性だから」
「……」
いや、違う、と言いかけたが、佐東さんがまだ睨んだままだった。
俺は空気を読んで、出かかった言葉を飲み込んだ。
食事を終え店を出た時、伊藤さんはごきげんだった。
「この仕事を二人を中心でやってくれると、助かるよ」
「まかせてください」
佐東さんはガッツポーズをしてみせる。
伊藤さんが微笑む。
「頼むぞ。……悪いが、俺は用事があってこのまま出かける。明日には入金が確認出来るだろう。すぐ取り掛かれるよう調査の前の下調べを十分しておくんだぞ」
「はい」
佐東さんと俺はほぼ同時に返事をした。
すこし伊藤さんの姿を見送った後、佐東さんが突っついてきた。
「おい。分かるだろうが」
「……」
「確かに病気かな、とも思うが、旦那は浮気だと思っているんだから、俺たちは調査すればいい。調査の結果まったく浮気でもなんでもなければ、その時は病院に行ってもらえばいいんだ。病気の内容によっちゃそれでも離婚できる」
「こっちに払った金額は……」
佐東さんは手を広げた。
自分の正当性を主張する時のくせみたいなものだった。
「俺たちの行為は無駄じゃないさ」
「……」
「ちょっとまて、まだ奥さんが病気かも、ってことは確定じゃないんだぞ。とにかくこのことは黙って入金が入ったら調査。いいな」
「はい」
少し不服だったが、今回の仕事をこなせれば、自分たちだけでも複数の案件をやれる、という証明も出来る。
奥さんが病気ぐらいの仕事が、ちょうどいいのかもしれない。
クライアントには申し訳ないが……
オフィスに戻ると、俺はICレコーダーを一度ざっと聞き直した。
実際に話を聞いていた時も変だ、と思ったところが、一層際立ってきた。
まず最初。
奥さんは旦那が起きている時に外に出ようとしていた、ということ。
まるで人の言葉が通じなくなったように、うー、とか、あーとか言っていたらしい。
発作が起きるように、夜になると家の外に出ようとする。
たまたまクライアントの仕事が落ち着いていた時期だったからよかった、と言っていた。
早く家に帰って、奥さんが外に出ないよう押さえていたのだという。
そして、そのころから、肌が少し『はたけ』のように白くなったと言っていた。