(13)
「いいの? やっぱり、家に帰れたら返すよ」
「いや、いいよ。こっちだって忙しいんだ。勤務が不規則だし、必ず朝帰ってくるわけじゃない」
情報を与えすぎか、と思ったが、幸子の目的は俺の情報じゃない。セックスがしたいのと、家に帰るためにここがどこか知りたい、帰る為のお金が欲しい、それだけだ。
「まあ、いいや、ここに住んでいることを覚えちゃうのは勝手でしょ?」
「だから何時いるかなんて……」
「待ってたりするのも勝手でしょ」
「……」
そんなに俺がいいのか? 何もかもダメだった気がするが。
「何か他に隠しているのか?」
「?」
幸子は、何か、あまりに知識がないように思える。
テレビでみる、おバカタレントのような感じ。中学生かそこらの知識。体はアラサーなのに、生きていくための術すらろくに備えていない。だが、タレントのようにあざとさが感じられない。
そう…… 本当にその年月しか生きていないかのように純粋だ。
「これに送るのはどうするの?」
幸子はスマフォを掲げる。
俺は幸子が開いた画面からアドレスを指さし「これをここに打ち込め」と言う。
「君島のアドレスもここに入れて?」
「そんなことをしたらアドレスがバレちゃうぞ?」
「誰に?」
「俺に」
「そんなの当たり前じゃん。君島のも私にバレちゃうよ?」
俺は、ハハ、と小さく笑った。
「知られてもいいの。ここに打ってよ」
仕事用の、いくつかあるアドレスの中から、あたりさわりのなさそうなものを入れた。
「送信、っと。これで、私ん家と君島ん家がお互いに送られたね」
幸子は満足げに笑う。
「さ、お前はどうする? 俺はそろそろ出るぞ。ここはオートロックだから、勝手に出ていってもらえばいいんだが……」
「待って、すぐ着替えるよ」
俺達は一緒に都心のターミナル駅まで同じ電車に乗り、どうでもいいことを話していた。
そして幸子が分からないというから、乗り換えのホームまで案内し、別れた。
「ありがとう」
「最後の乗り換え間違えるなよ?」
ニッコリと笑った。そして幸子は屈託のない笑顔で大きく手を振る。
俺たちを回りの人が奇異な目で見る。
在来線に乗り換えているだけなのに、俺たちの別れが、新幹線のホームで行われるような別れ方だからだろう。
ドアが閉まると、電車はするすると流れるように加速していった。
途端に寂しさを感じた。俺はポケットに手を突っ込んでオフィスへ行く電車に乗り換えた。
オフィスに着くと人が少なく感じた。
井上が小走りに近づいてくる。
「君島さん…… 伊藤さんからのメール見ましたか?」
そう言えば幸子のことがあって、朝からずっとメールチェックしていなかった。
「いや、何かあったのか?」
「湖で手が浮かんだって……」
「えっ、まさか……」
まさか、さと……
「伊藤さんが佐東の奥さんと県警に行ってます」
「……」
スマフォを確認した。
井上が言った内容が、伊藤さんの言葉で、慎重に、丁寧に書かれていた。
とにかく仕事に影響するようなら今日は井上にまかせてお前は休め、と書いてあった。
「……」
「どうしますか?」
「何が」
「メール読んだんですよね」
「だから、なんだっていうんだ。同様なんてしていない。佐東さんのことは気になる。だが、仕事とは別だ」
井上に気づかれないように手の震えを抑えるのがやっとだった。
「そうですか。車準備して下に回しますから、支度して下りてきてください」
井上は、キャップをかぶってオフィスを出ていった。
俺は机に肘をついて、頭を抱えた。
「なんなんだ」
両手で机を叩いて、また頭を抱える。
なんで今日。
なんで湖で。
佐東さん…… 俺、どうすれば……
スマフォがバイブし、俺の体が、ビクンと反応した。
誰からかかってきたか確認もせず、慌てて電話に応答した。
「もしもし」
『君島?』
「なんだ、幸子か」
一瞬、『それどころじゃない』と電話を切ろうと思った。しかし、幸子の声を聞くと何故かそれができなかった。
『乗り換えの駅についたんだけど……』
「北側だったはずだ」
『北川…… あ、あった、北川・原口方面って』
「ん? 違う、俺が言ったのは方角だ、北側に向かえば乗り換え口があるはず」
『え、方角? わかった探してみる。また電話する』
「もう電話するな。本当にだ。これから仕事なんだ」
『え〜 マジ〜』
「切るぞ」
そう言ってスマフォを切って、ため息をつくと、俺は井上が車を回してくる裏口へ下りた。
しばらく待つと、車が止まった。
乗り込むと車はクライアントの家へ向かった。
「大丈夫っすか?」
「なんのことだ?」
「具合悪そうですよ」
「俺が?」
サイドミラーに自分の顔を映してみる。
具合がわるそう、なのかもしれない。疲れた顔には見える。
「今日はナナサンで俺がやりますから、君島さん寝てください」
「いや、イーブンでいい。運転もしてもらっているんだから、お前に負担かけすぎている」
「明日がポイントだと思いますよ。明日逆にしてもらえば……」
俺はちらっと井上の方を見た。
ハンドルを握っていて、視線は前を向けたままだった。井上は俺の負担とかではなく『明日がポイントだ』そう思っているようだった。
「ああ、そういうことなら」
「じゃ、今日はナナサンで俺がいっぱい見張ります、明日はお願いします」




