(12)
加茂が決定的な証拠をつきつけて、奥さんと別れる。たっぷりの慰謝料を請求して。その金でこの調査料も支払うことだろう。それには、浮気の決定的瞬間が欲しいのだ。車が入っていく写真ではなく、二人がそろってホテルから出てくる写真が、だ。
だが、あの浮気相手と思われる男の車は都心に戻っていない。
あの後もずっとだ。
あの車でずっと走っていれば、どこかのNシステムに引っかかるはずだ。廃車にしたとか、ナンバープレートを外して走っているぐらいしか考えられない。
ということは、つまり、本当の浮気相手は、あのワンボックスの男、ということになる。
オフィスにつくと、俺が先におりて、井上は車を駐車場に返しに行った。
抱えられるだけの荷物をオフィスに運びこむ。
洗濯が必要なものをクリーニングのカゴにいれ、そうじゃないものはハンガーにかけて片付ける。
自席に戻ると、日報をまとめる。
日報の他に、井上と話していたようなことを社内の掲示板に書き込んでおく。
誰かがみて、コメントを付けていくシステムになっている。
俺も他の調査員の掲示を読んで、思ったことを書いていく。
そう言った、いつものルーチンが終わって、俺はタイムカードを押してオフィスを出た。
都心を抜けると、俺の帰る道は完全に通勤の流れと逆になる。
ガラガラの電車に乗って、自宅のある駅で降りる。
こんな時間に食事ができる場所は、駅前のハンバーガーショップしかなかった。
夜勤が続くときは、決まってこの駅前のハンバーガーショップで、朝セットと単品でバーガーを追加注文した。
俺にとっては夕食なのだ。がっつり食いたい。
トレイをもって席を探す。
今日は席が詰まっていて、いつもの席が空いていなかった。ようやく見つけた席に座ると、バーガーから先に平らげ、ポテトとドリンクを飲みながら、スマフォでニュースをチェックしていた。
スマフォを見ている視界に、ちらちらと横に座っている女性の姿が入ってきた。
色が白く、髪は真っ黒で、小柄で大人しそうな女性。
席に座るときには『綺麗な女性だな』とは思ったが、別に気にはならなかった。
しかし、スマフォを見ているところにちらちらとその姿は入ってくるとなると、気にせざるを得なかった。
俺は意を決してその女性の方を振り向いた。
「!」
いきなり、ふらっと倒れてきた。
突然のことで反応できず、なんとかテーブルとかに顔を打つ前に受け止めることができた。
「大丈夫ですか?」
「……」
呼びかけに対して、まったく反応がない。
手に伝わる体温は、熱いわけでも、冷たいわけでもなかった。ただ、すやすやと寝息を立てている。
俺はあちこち触らないように、ゆっくりと女性の体を起こし、テーブルに載せた。
「大丈夫ですか?」
あまり大きな声を出して、起こさない方がいいか、とも思った。
女性に何も動きがないので、スマフォでニュースのチェックに戻った。
「うん……」
ちらっと横を向くと、女性は体を起こしていた。
だが、まだ目は開いていないようだった。フラフラと、頭が揺れている。
俺は倒れてくるその女性を支えた。
「あの、起きてください。こんなところで寝てると……」
「!」
女性が目を覚ました。
「ち、痴漢!」
俺の手をつかんで、持ち上げ怒鳴り散らした。
「なっ……」
混んでいる店内で一斉に注目を浴びた。
「寝ぼけてるんですよ、あなたは」
冷静にいなすつもりだが、女が手を放しそうにない。
「ホラ、外にでれば目を覚ましますから」
どうにもならない、俺は慌てて片手で鞄を整え、店の外へ連れ出した。
「あのね、あなた寝ぼけてこっちに迷惑かけたうえに……」
女性の様子がおかしい。
「あの位置、ちゃんと監視カメラに映るところだから、俺がそんなことしてないのはすぐわかるんだよ? 名誉棄損で逆に訴えるからね」
とにかくこっちが言うべきことを伝えて、去ってしまおうと思った。
関わればかかわるだけ危険だ。
俺は手を振り切ると、踵を返した。
「待って……」
振り返ると、女は上目づかいで見つめていた。
涙がこぼれそうになっていて、瞳の光がゆらゆら揺れていた。
不覚にも、俺は立ち止まってしまった。
指先をすくうように握ってくると、するする女が近づいてきて、抱きついてきた。
やわらかくて、いい匂いがした。
「ごめんなさい……」
初め、どこに手を置いていいかわからなかったが、そっと女性の背中に手を置いた。
「あなたの部屋に連れて行って……」
「えっ?」
やばい、これは絶対に地雷だ、金銭目的か…… 俺が探偵社の人間と知って近づいてきているのか。
とにかく変なことばかり頭にうかんだ。拒否しなければ、と思った。
「いいでしょ?」
次に女の瞳を見たときには考えが変わっていた。
どことなる、加茂の奥さんのような印象がある。女の肌が、普通の人より白いせいかもしれない。
こっちはわかってて部屋に引き込めば、金もとられずにヤレるじゃないか。探りに来ているなら、逆にこっちが探り返してやる、と、そんな、安易な発想が頭を支配した。
単純に体の欲求に理性が負けていた。
そのまま俺の部屋に一緒に帰り、名前も聞かないまま体を重ねていた。
何度も何度も体が交わると、女の目的が金や情報ではないことが分かった。
俺は行為の最中、女の姿に加茂の奥さんの姿を重ねていた。そのせいで、何か、妙に興奮した。
夕方になって、俺が出社の準備をしていると、音のせいか、気配を感じたのか女も起きてきた。
「パソコン借りていい?」
「ゲストで使ってくれ」
「?」
パソコンが立ち上がると、アカウントが二つ表示されている。
「あ、こっち? ネットつながるの?」
「つながるさ」
女は名を『幸子』とだけ言った。苗字はたずねなかった。どうせ今回きりだ、と向こうもこっちも思っているというわけだ。
ブラウザを立ち上げると地図を出して一生懸命に何かを探していた。
「この場所って、ここであってるの?」
俺は画面をのぞき込むようにして確認し、うなずいた。
幸子は左に表示している乗り換え案内を指さし「この金額を頂戴」と言った。
「つーか、これ持ってけよ」
一万円札を渡す。
二枚三枚渡すのは買ったみたいだし、千円二千円はけち臭い感じがした。




