(10)
「さ、そろそろ時間だ。行ってこい」
「はい」
「佐東のことは任せろ」
俺はそれ以上言い出せなかった。佐東さんがさらわれたとか、何か事件に巻き込まれたとか、いろいろな考えが頭をよぎっていた。車に乗ってハンドルを握ると、助手席で佐東さんが「さあ行こう」そう言った気がした。
車を走らせ、クライアントの家の付近につくと、今日は便利な方の駐車場に止めた。昨日、クーペが止まっていた方の駐車場だ。
今日は佐東さんがいなくて、一人でやらなければならない。相手がここに止める可能性が高いなら、可能な限り近くに付けていた方が見失わない、と判断したからだ。
車を止めると、昨日とは色味の違う作業服を羽織り、クライアントである加茂の家に向かった。
今日は電柱の上を見るような仕草をして、昨日道路を測っていたのとは別の内容で来ているように見せかけた。
昨日、加茂の奥さんが買い物に出かけた時間よりもまだ早かった。
家の近くを通りすぎ、聞き耳を立てた。
加茂の家の中から、会話が聞こえた。
女性の声に交じって、男の声がしている。
電話であれば、奥さんの声だけが聞こえるはずだ、つまり、誰か中にいる。
ゆっくりと庭の側へ回って、窓から中を覗いてみる。
奥さんが座っているのが見えるが、男の姿は見えない。
鞄のなかから、三脚と測量器を取り出し、そのあたりに据えた。
反対側に測量用の棒を立て、まるで一人で測量をしているようにみせかけつつ、鞄の中のカメラとマイクでクライアントの家の中を監視した。
「ちがうって言ってるでしょ」
「嘘をつけ。あんな場所に…… 誰かと寝ていたんだろう」
「さっき説明したじゃない」
「そんな適当な説明…… られる…… もう騙されないぞ」
「とにかく今日は駄目なの。もう帰って…… 来週は大丈夫だから、昨日と同じ場所で……」
誰かと寝ていた、というのはどういう意味だ? そこにいるのは、昨日のクーペの男じゃないのか?
俺は聞きながら混乱していた。
加茂本人の声…… でもない。そして昨日の男とも違う声。
二股不倫なのか?
ガタガタと室内から音がして、男が帰るのでは、と予想した。
計測の真似事はそのまま放置して、家の出入り口を確認できる側にそれとなく回り込む。
出てきた男の映像を撮るのだ。
俺は動画を取りながら周りの様子を確認した。
本当に閑静な住宅街だ、ろくに人とすれ違わない。
カチャリ、と音がして扉が開いた。
マスクをして男が出てくる。しかし、奥さんは一切顔をださないし、さよならも言わない。
男は下を向き、帽子をかぶった。
そして門を出る前に左右をちらっと見渡して、出ていった。
撮れたことは撮れたが…… 最初にちらっと映った鼻から上の様子しかない。
俺は迷ったあげく、男を追跡した。
昼間から逢瀬を楽しんでいたのだとしたら、奥さんはしばらく動かないだろう。
男を追跡して、もっと情報をえるべきだ。
マスクと帽子で顔を隠した男は、俺が止めていた駐車場の方へ向かった。
止めてあった車を思い出すが、昨日のような格好いい外車などはなかったはずだ。
男は料金機で支払い、中へ入っていく。
スマフォで録画を進め、あたかもスマフォを操作しているフリをしながら見ていると、男はワンボックスへ乗り込んだ。
アウトドア向けの遊び車だ、俺はゆっくりと駐車場の入り口に向かう。
その車が駐車場を出ようとするタイミングで俺は運転席にスマフォを向けた。
スマフォに車の運転席が映る。男は帽子とマスクを取っていた。
俺はそのまますれ違って、駐車場の車に戻った。
映した車両のナンバーをオフィスに連絡しておく。スタッフが人物を割り出してくれるはずだ。
少し休憩してから、加茂の家付近へ戻った。
測量道具を回収し、電柱を見上げながら、ちらちらとクライアントの家をみる。
あたりが暗くなってきて、部屋の灯りがついていた。
ふと、スマフォを見ると、奥さんの画像SNSが更新されていた。
さっき男と食べていたのか、作ったケーキの写真だった。
「これの残りを食わされる旦那が可哀そうだ」
窓から、奥さんの影を確認すると、俺は着替えるために駐車場に戻った。
着替えて、戻ってくると今日は買いものにも出ないようで、その日は何も起こらなかった。
朝になり、そのまま何もなく車を走らせ、オフィスに戻った。
伊藤さんだけが出社していた。
「佐東だが……」
「何かわかりましたか?」
伊藤さんは首を振った。
「かなりマズイ状況だ。佐東の家、実家にも連絡したが、帰っていないんだと」
「あのクーペの男が暴力団構成員だってことは?」
「ナンバーから調べたが、関係なさそうだ。実は、その男も帰っていないらしい」
俺はどういうことか考えが及ばなかった。
「Nシステムに引っかからないルートをとったんじゃなくて、そもそも戻ってないようだ」
「……」
佐東さんとあの男が争って二人ともあの林の奥で倒れている、とかそういうことだろうか。
「佐東さんがいなくなったあたりを探しましょう」
「昨日何人か見に行かせてる。ほら、これが探索したあたりだ」
伊藤さんのパソコンに地図が表示されて、そこにピンが立っていた。クリックすると、撮影した映像が出てくる。
「お前が張り込んでいたラブホがこれ」
日中の映像は全く別の建物のように見えるが、間違いなかった。
「はい」
「今日も探しに行かせる。今日だめだったら、佐東の奥さんに言って捜索願いを出す」
「……」
「お前はクライアントの奥さんの監視を続けろ。昨日、家にいたという男の割り出しも終わるだろう」
「俺も佐東さんを探しにいきます」
「ダメだ。今日は家に帰って寝ろ。今日は仮眠室を使うなよ。体を壊す」
「……」
「明日になったら一人回せるから、今日の晩はしっかり頼む。佐東のことは、今は考えるな」
俺は伊藤さんの厳しい表情を見て、従うしかなかった。
そもそも、伊藤さんと佐東さんは年齢も違うし同期でもなかったが、この探偵社の創成期を支えた二人だ。
別々の探偵社から引き抜かれて、ぶつかり合いならがらもお互いを尊敬し仕事をしていた。そんな関係だと聞く。
だから伊藤さんの方が俺より何倍も悔しいはずだし、佐東さんの行方を捜したいはずだ。
俺は我慢して伊藤さんの言葉に従った。
家に帰ってシャワーを浴び、寝て起きて、またシャワーを浴びた。
出社すると、机の上にワンボックス車の男の資料が載っていた。奥さんと言い争っていた男だ。
男はIT企業に勤めているらしい。在宅勤務が売りの企業で、男も在宅勤務が良くてその会社を選んだらしい。
自己アピールが強いらしく、一通りのSNSに本人写真付き、かつ本名で登録している。




