57 夢で逢えたら
父の葬儀が終わったあとも、日々は慌ただしく過ぎていった。
手術を受けた左胸には癌の取り残しが見つかり、もう一度メスを入れることになった。その傷が落ち着くのを待っての放射線治療。
午前中に病院に寄って午後から出社、さらに相続の手続きや遺品の整理、法事の準備とさまざまな雑事が追いかけてくる。
しかしどんなに時間に追われてみても、父を見捨てた罪悪感を紛らすことはできなかった。
『あなた、どうして家を出たの?
お父さんが、どれほど淋しかったかわかる?』
葬儀から日が経つにつれ、赤城に投げつけられた言葉はますます心に深く突き刺さっていった。静かな口調の裏に込められた非難の色を昨日のことのように思い出しては、何度も苦しく胸を押さえる。
わたしたちが、平気で親を捨てたとでも思っているのですか。
あなたは知らないでしょう、深い淵に自ら沈んでいこうとする親を、なす術もなく見ていなければならない苦しみを。
毎日のように自分が何の役にも立たない存在であると思い知らされ続ける、あの辛さを。
あの日の会話が思い出されるたびに頭の中で、口に出すことのできなかった反論を必死に試みた。
だがそれらは結局すべて自分を守るための言い訳でしかなく、どれほど言葉を重ねてもみても、父を捨てたという事実は変わらないのだ。
忙しなく日常を回し続けるその裏で、後悔と自責の念がしんしんと音もなく降り積もっていく。
それはいつしか根雪のように、わたしの心を重く陰鬱に覆いつくそうとしていた。
そんなある日、父の夢を見た。
夢の中の父は、暗く悲し気な顔をしていた。
晩年のガラス玉のような瞳ではなく、父らしい深い憂いを含んだ眼差しだった。
わたしは怯えて身を固くした。
許されるはずがない。
最後の最後に父を捨てた親不孝な娘。
しかし父は、少しもわたしを責めなかった。
それどころか、ぼさぼさの太い眉毛を八の字に下げ、顔を歪めて泣きながら、弱々しく震える声でわたしに詫びるのだった。
「本当にすまなかった……でもあの時の俺は、ああするよりほかにどうしようもなかったんだ……」
わたしは驚いて、父のくしゃくしゃになった泣き顔を見つめた。
わかってる。
お父さんがどんなにつらかったのか。
ずっとずっと何もかも我慢して、自分を犠牲にして。
そうやって生きてきたせいでとうとう壊れてしまったんだってことも、全部わかってるから。
だから、謝らなくていいよ。
謝る必要なんてないよ。
目覚めると頬が濡れていた。
ベッドの上でしばし呆然とし、ついさっきまで言葉を交わしていたはずの父がそこにいないことで、ようやく夢を見ていたと気づく。
父が、会いにきてくれた。
わたしを責めるためでなく、ただ詫びるために。
父の残像とともに胸に残された、切ない温もり。
その輪郭が次第に消えていくのが無性に淋しくて、交わした会話を頭の中で何度も何度もなぞり続けた。まるで失った長い時間を上書きしようとするかのように。
◇ ◇ ◇
残念ながら、わたしと父との話は、ここではまだ終わらない。
数十年積み重ねられてきた親子関係の歪みは一度ですべてがクリアになるほど単純なものではなく、結果から言えば、この後もわたしは少なからず父への負い目のような感情を引きずり続けることになった。
しかしこのときに心の中に小さな種がまかれたことは確かで、今になってみれば、それがこの後に起こる変化の伏線だったのかもしれない。
長いことお付き合いいただき、ありがとうございました。
この後の話は、息子との関係を中心に「備忘録3」として連載する予定です。




