56 父の葬儀
父の中学の同級生に、赤城さんという人がいた。
とても温厚な老紳士で、体調を崩しがちな父のことをとても心配し、たびたび家にようすを見にきてくれていた。
わたしが直接会ったのは一度きりだったが、葬儀の準備をしているときにふと思い出し、父あての年賀状にあった番号を頼りに電話をかけた。
父が亡くなったことを告げると、電話の向こうで相手が息を呑むのが伝わってきた。
「そう、亡くなったんですか……」
しかしその空気はみるみる怒りの色を帯びて、わたしに襲いかかってきた。
「末の娘さんだね? 一度お会いしましたよね? あなた、どうして家を出たの?」
いきなり全身に冷水を浴びせられた気がした。
「それは……」
口ごもるわたしに相手はたたみかける。
「お父さんが、どれほど淋しかったかわかる?」
その言葉は、鋭いナイフのように胸に深く突き刺さった。
わたしたちが家を出ると決めた時も、何も言わなかった父。
けれどこの人の前では、少なからず本音を口にしていたに違いなかった。
淋しいと。
娘に見捨てられたと。
施設になんか、入りたくないと。
『あなたのせいでお父さんは死んだのだ』
この人が言いたいのは、そういうことだ。
とたんに頭の中でたくさんの言い訳が渦を巻きはじめる。
ああするより仕方なかったのです。
わたしたちがここにとどまったところで、父が元気になることはなかったでしょう。
そばにいながら崩れていく親を、なす術もなく見ていなければならない辛さが、あなたにわかりますか?
けれどそれを言ったところで意味がないことも知っている。
何をどう言いつくろったところで、変わらない。
わたしは父を、捨てたのだ。
その事実だけが、救いようのない重苦しさで心を押し潰していく。
電話の最期に赤城さんは、無念さを滲ませるように言った。
「わたしもね、去年倒れて半身が麻痺してるんで、あまり歩けないんですよ。だから申しわけないけど、そちらには行けません」
葬儀は、町内の小さなホールでひっそりと行われた。
元気な時には人望が厚く周囲からも一目置かれていた父だったが、参列者の数は想像以上に少なく、まるで淋しく惨めな晩年を象徴するように思われた。
集まった人々の中には、アルコールで自制心を失った父のせいで嫌な思いをしたと恨み言を口にするものもいた。
また、父のことを結局は意志が弱かったのだとなじったり、母に先立たれた淋しさでおかしくなってしまったのだと同情する声もあった。
「母ちゃんがいなくなっちまったからなぁ……」
「酒さえ飲まなけりゃよかったのによ」
そんなことばが耳に入るたびに、そうじゃない、そんな単純な話じゃないのだと叫びそうになる。
でも、それを言ったところで何の意味があるのだろう。
他人には、本当のところなどわからないのだ。
いや、何が本当かなんて、どうでもいいのかもしれない。
赤城さんに何ひとつ言い訳ができなかったように、わたしはこのときもただ精進落としのテーブルを回り、ひとりひとりにお酒を注いでは、「本当にいろいろお世話になりました」そう言ってただ頭を下げ続けた。
そうやってただ、胸の底に音もなく積もっていくやりきれなさに身を任せるよりほか術がなかった。




