55 父が教えてくれた病
父の胃に再び癌が見つかったのは、老人ホームに入居して3年が経ったころだった。スキルス性胃癌という、進行が早く発見しにくいタイプの癌だった。
例にもれず父もすでに手遅れの状態で、医師は余命3か月だと告げた。
そのことを知らされたとき、わたしは心のどこかで安堵している自分に気がついた。
これでやっと解放される。
愛されていない淋しさで、愛せない罪悪感で、もう苦しまなくても済む。
そんな風に思ってしまう自分を、わたしは憎んだ。
そうやってますます、父への気持ちはくぐもっていった。
老人ホームと提携しているという古い病院は、暗くさびれていた。
入院患者の多くが高齢者で、皆がベッドの上でただ最期の時を待つだけのような重く澱んだ空気が病院全体を支配していた。
父の体はやせ衰えて頬はこけ、落ちくぼんだ目ばかりが大きかったが、痛みはほとんど感じていないようで、半ば眠るように時を過ごしていた。
その姿を見て、父は自分でこの病気を呼びよせたのだという気がした。
母が亡くなってからの15年間、父はずっと強く死を願い続けていた。
その念がきっと、癌という形になったのだ。
よかったのだ、これでよかったのだ。
これでやっと、父の長かった苦しみが終わる。
その年の夏、ふと思い立って、初めて乳癌検診を受けた。
それまでは面倒がっていたのだが、年齢的にもそろそろリスクが高くなってきたし、何より父が2度も癌になったということが、わたしの気持ちを強く動かした。
その検診で、左胸に癌が見つかった。
ああ、これは父が教えてくれたのだ。
自分が癌になってわたしの命を救ってくれたのだ。
検査結果を聞いたあとにドーナツショップでぼんやりと座っていたら、しみじみとそんな想いが湧いてきて、下を向いてこっそりと泣いた。
幸い、わたしの胸に見つかった癌はごく初期で、転移の可能性はほぼないとのことだった。
手術も部分麻酔で日帰りという、ごく簡単なものだった。
「これならそんなに急ぐことはないですよ」
医師にはそう言われたが、さっさとかたをつけてしまいたくて、最短の日程で手術を受けることにした。
その手術からちょうど1週間後の夜、勢ぞろいした子供と孫に囲まれて、父は静かに息を引き取った。




