51 死線をさまよう
何度かの外泊のあと、8月のはじめに予定通り退院した父は、3時間かけて電車を乗り継ぎ帰ってきた。
すっかり酔いの回った赤い顔をして。
「ひとりで大丈夫だから迎えはいいや」と言ったのはこのためだったかと、苦い思いを噛みしめる。
アルコールは父の体を確実に蝕んでいた。入院中の内科検査では、肝機能の低下に加えてアルコール性の糖尿病と、脳の萎縮を指摘されていた。
しかしそれでも飲むのをやめられず、入院前と何ひとつ変わらない、いや、さらに悲惨な酒浸りの日々が始まった――はずだった。その時期のわたしの記憶は、膜がかかったようにぼんやりとしている。
覚えているのは、亡者のような姿の父がよろよろと自転車をひきずって新盆の線香をあげに叔父の家に行ったこと、それからしばらく経ったころ、思い詰めた表情で突然こう言いだしたことだ。
「俺は、このままじゃあだめだ。明日病院に行って、先生にきちんと話してくる」
父の中でどういう心境の変化があったのかはわからない。
それに断酒を決意できたとしても、それを守り通すのは決して簡単なことではない。何年も飲まずにいた人がちょっとした油断で逆戻りしたという話は、枚挙にいとまがなかった。
それでも、真っ暗闇の未来にほんのかすかな光が差した気がして、わたしの胸はひそやかに躍った。
しかし翌朝部屋から出てきた父の顔は、苦し気に歪んでいた。
やはり無理だったのか。
失望の色を隠せないわたしに、父は居間と台所の間の大きな段差を指さして言った。
「夜中に水を飲みに行こうとしたら、足が滑って……ここの角に思いっきり頭ぶつけちゃってよ……なんだか気持ち悪くて、何度もトイレで吐いちゃったんだ……」
よく見ると、顔が土気色になっていた。
それからどうやって父を病院に連れて行ったのかは、まったく思い出せない。次に覚えている光景は、父の容態について医師から説明を受けているところだった。
「おそらく転んだ時に頭をかなり強く打ったんでしょう、脳が腫れてきています。今はまだ自分で呼吸ができていますが、どこかのタイミングでおそらく呼吸が止まると思います。そのときに人工呼吸器をつけるかどうか、ご家族で決めておいていただきたい」
言っている意味が、すぐには呑み込めなかった。
「つけるかどうかって……つけないことも、ありうるんですか?」
わたしのことばに、その医師は憐れむような表情を浮かべた。
「人工呼吸器は、一度つけるとあとから外すということはできないんです。特に本人がアルコールの問題を抱えておられる場合、つけないという選択をされる家族の方も、少なくはないんですよ」
そこは父が胃癌の手術をして以来のかかりつけの病院だった。
ここ数年は術後の経過観察だけでなく、肝臓をやられては入退院を繰り返し、酔って転んで血だらけで駆け込んだことも何度もあった。
そしてそのたびに「これじゃあ家族も大変だね」と先生や看護師に同情された。
――もう、いいんじゃないか?
ふとそんな想いが湧き上がる。
このまま先の見えない苦しい時間を長引かせることなど、父は望んでいないはずだ。
それにわたしだって――もう楽になりたい。
その時わたしは、心のどこかで父の死を願っている自分をはっきり意識した。
父さえいなければ、毎日こんな気持ちで過ごさなくても済むのだ。
もっと自由に、自分たちの未来を考えることができるのだ。
こんなにも無力で情けない娘であることに、これ以上傷つかなくて済むのだ。
そう考えてしまう自分にまた傷ついていくという矛盾。
ほのかな期待と疼くような罪悪感がないまぜになったまま、海外出張先の兄に国際電話をかけた。
しかし、医師のことばを伝え聞いた兄は即答した。
「いやいや、呼吸器つけないなんて、できるわけないでしょ」
わずかの迷いもなく決断した兄を目の当たりにして、ますます自分の醜さがあぶりだされるような気がした。
ひどい娘だ。
わかっている、わたしは本当にひどい娘だ。
深い憂いと自責の中で、数日後、父に人工呼吸器が装着された。




